確か7月に入ってすぐの頃の話だと記憶しますが、関東でも落雷が凄かった日がありますよね。
私の地元でもかなり凄かったです。
大人になった今はそれなりに「耐える」ことができるようになりましたし、子供の頃覚えた
「空が光って落雷の音がするまで6秒以上かかる場合は落雷場所はかなり遠い」
という超ざっくりした計算を基に「お、近くなってきた」「かなり近くに来たぞ」というココロの準備もできるようになったので、子供の頃のような闇雲な恐怖はなくなりました。
それでも目の前でカッと光って2秒と経たずにすぐおきる
パカーーン
とも
パーーン
とも
カーーーッ
とも表現できないあの落雷音と地響きがあるとドキッとします。
前置きが長くなりましたが…
この雷雨の次の日、地元の某君(10)が言いました。
「昨日雷が落ちたよね。アンティのところどうだった?」
「うん、凄かったね」
「僕あの時クルアーンの時間(オンラインのタジュウィードレッスン)だったの。そしたら先生がね『あなたはクルアーンを詠んでいるのだから』って言ったの」
つまり。
先生は「何を怖がっているの?あなたはクルアーンを詠んでアッラーが守っているのに何を怖がっているの?」と。
言わんとすることは分かります
ただね、あの家のそばに落ちたような、地響きと共に大木を一気に叩き割るような大きな音で雷が落ちたら大人でも一瞬「ひゃっ」ってココロの中で思います。
それにこの子はまだ10歳。
この子が落雷時にどんな感じだったか分かりませんが、落雷時に「ひゃっ」と声が漏れたり読誦がとどまったりした事に対して「何故怖がるの?」は…
そりゃああなたは今日本から遠く離れた国のパソコンの前にいて、家の外で雷も落ちていない穏やかな環境にいるでしょう
311の時。
被災地(内陸部)にいた私達は家の中では潰されてしまうと外に飛び出し。
20m先にある家の塀(全長約15m)がいっぺんに倒れ。
家の目の前の舗装道路がユルユルのゴム製マットのように波打ち…
「あぁとうとう『最後の日』が来たのか」と本気で思い。
余震の前の地鳴りに敏感になり、夜に家の前を通る車のタイヤが地面をこする微かな音にすわ余震か、と飛び起きる日々を送り。
余震に疲れてパキスタンに「休憩」という名の一時避難をした時に。
フラットの上の階の網戸を通して室内に流れてくる風の音が地鳴りと同じ音で、親子で「来るぞ来るぞ」と身構えているのを見たパキスタンの親族が「どうしたの?」と不思議がり。
あの風の音が地鳴りと同じ音で…と伝えると「大丈夫よ〜。心配ないわよ〜」と言った時に「この怖さは分からないよね」と感じた事。
体験していない人は説明しても同じ感覚にはならないよね、と思いました。
それは仕方ないと思います。分かれ、というのが無理です。
しかし。
もしあの時の私達親子の様子を見て「あなたはアッラーを信じていないの?」的な事を言う人がいたら
「あなたに何がわかる」
と思うと思います。