**ハームリダクションについて前回の記事はこちら


ハームリダクション現場では”where they are at”という言葉をよく使います。「今この瞬間のその人の状況下でベストなサポートをする」という意味。薬物使用がやめられない、今使用したい、それならせめて使い回しの器具でのHIVや肝炎感染のリスクを避けるため、清潔な注射器を渡す。


バンクーバーの医師、ハームリダクションの一人者であるガボール•マテ先生が、自身が初めてハームリダクション現場に携わった初日の出来事を著作で語っています。


看護師に案内されクライアントの部屋に入ると、そのクライアントは今まさに自らドラッグを首から注射しようとしている最中だった。マテ先生は思わず、この角度から打つと危ないからこっちの角度から打つと良いよ、ととっさにアドバイスします。


自分でも気づかないうちに、説明されるまでもなく、ハームリダクションというものを初日に見せられた、と語っています。


現時点での最大限リスクを減らすこと。それをサポートするには、その人の今現時点でのありのままを、偏見なく批判する事なく受け入れることが最重要、とマテ先生は言いました。


その言葉を最初に知った時、私はまだ学生で実はあまりピンと来てはいなかった。


頭では理解していました。例えばある人が、ドラッグを注射し過ぎて既にぼろぼろの血管に、今からまたドラッグを注射しようとしている。それをジャッジしたり批判したり非難したりする気持ちがあったら、その人に清潔な注射器を渡したりはできない。それはわかる。


でもそれが一体実際にはどういう事なのかは、現場に出るまで本当の意味で理解していませんでした。


今はわかります。痛いほどわかる。でもわかるのとできるのは違う。


ハームリダクションの現場は、日本にいる皆さんが想像するよりもショッキングだと思います。


職場の前の道路には違法薬物を使い倒れている沢山の人。その人達が息をしているか、オーバードースしていないか死んでいないか確認しながら、歩く。


殴り合い、窃盗、暴力、救急搬送、オーバードース。何かしら毎日起きる。


家でローカルニュースで地元で起きた事件を観ると「またうちのクライアントが関係してるかな」「また同僚が巻き込まれたかな」と心配するんだけど、それがかなりの確率で当たっていたりする。色んな事件、犯罪、刺傷事件、ひき逃げ、死亡事故。


クライアントは必ずしも感謝してくれるわけじゃない。自分の状態を正確に理解していなかったり、幻覚が出ていたり正常な判断ができなかったりして、私達は彼らに怒鳴られたり罵倒されたり責められたりする。


そのような現場で、目の前にいるその人をジャッジする事なく偏見なく、ただ受け入れる事。リスペクトを欠く言動を容赦するわけじゃない。キチンと境界線は引く。言動を注意はしても、その人の人格はジャッジしない。その人の今の時点でのありのままを受け止め、今の時点で出来る限りの最大限のサポートをする。


難しい。でもできる限りやる。明日はもっと出来る様になりたいと思う。


その人の今この瞬間に向き合うということは、他でもない自分自身とも向き合うという事。自分自身の偏見や、生き方やトラウマや人生と。


まるで、毎日自分が試されているかのよう。


毎日、あなたにはこの人と向き合う資格がありますか、と問われているかのよう。


それがハームリダクション。


私もまだ、本当にはわかっても出来てもいないのだと思う。



これからも、向かい合い続けたいと思います。










<参考>

Gabor Mate 『In the Realm of Hungry Ghost 』: North Atlantic Book