ちょっと、面白い記事があったので、アップしてみる。
昨年の定例会と称する飲み会で、福島産の農産物の安全性で議論になった。
それに関する記事があった。
福島が挑む“全”の壁〜日本人は、食の安全を科学的に守れるか(BuzzFeedNEWS)
~引用~
5年も続いている福島県産米の全量全袋検査
まずは、福島県産米の現況を説明しましょう。15年度、16年度は基準値超過はなく、17年度も現在のところ、960万袋以上を測定して基準値超過ゼロ。それどころか、99.99%以上が検出限界(25Bq/kg)未満です。科学的には、県産米は「安全」と言い切れます。
全検査が始まった経緯は、記事の詳細を見て頂くとことして、現在は、
99.99%以上が検出限界未満
その誤解を解こうと2012年にはじまったのが、全量全袋検査。玄米30kgをいれた袋をベルトコンベヤーに乗せて一つずつ測る装置が新たに開発されて実現しました。米は全部検査済みで、基準値を超過していないことを確認しているので、もれなく安全、安心だ、というわけです。
~中略~
数値の高い米が出る主因が、収穫などに用いる機械・設備に放射性セシウムが付いていたとか、古い米が残っていたなど、接触により汚染度の高いものから米に汚染が移ってしまう「交差汚染(クロスコンタミネーション)」であることもわかってきて、注意されるようになりました。
今は、生産者が自信を持って、放射性セシウムをコントロールして生産しています。その結果が、99.99%以上が検出限界未満という状態です。
であるにも関わらず、全検査がやめられないのは、
検査結果の周知が進まない
科学的には安全。検査の結果は、ウェブサイトで公表されています。でも、周知が進みません。
米の全量全袋検査の実施やその結果について「全く知らなかった」と答えた人が7割に上りました。検査結果等を示した上で、今後の検査について問うたところ、「段階的に縮小」が35%、「検査を継続すべき」32%、「あと数年は継続」23%などの結果でした。
県のヒアリングによれば、消費者の心情を踏まえ、「検査した方が無難」「検査を止めて、消費者から文句が来たら対応できない」等、検査を求める流通業者が少なくないそうです。
莫大なコストがかかっている
県だって検査は続けたい、それで消費者が安心するのなら……。でも、そう簡単には行かない事情が山積です。まずは莫大な経費。ベルトコンベヤー式装置は1台2000万円。約200台導入しました。この装置を用いた検査は、人件費その他で毎年60億円程度かかります。
2016年は約52億円を東京電力に損害賠償請求して支払ってもらい、残りの約7億円が補助金、つまり国費でした。東電も国の支援を受けているのですから、結局は私たちから集められた税金が、検査に使われているのと同じことです。
放射性セシウムが99.99%以上の米から検出されない、というこんな検査を、安心のために毎年60億円もかけて行う意味があるのか?
と言う事なんですね。
~引用~
風評被害がこわい
~中略~
一方で、全量全袋検査をやめ、収穫した米の一部を調べるサンプリング検査等に移行したら、放射性セシウムフリーの米を作る農家の努力など知らない消費者が、「検査していないから危ないかも」と勘違いするかもしれません。
県水田畑作課の大波恒昭課長は「風評被害を懸念する声は、県内で依然として強い。一方、まだ検査は続けなければならないほど危険なのか? と誤解される、という意見もある」と言います。福島県産米の関係者は悩み、消費者の動向をひたすら心配しています。
ここでも、風評被害を恐れる故の忖度がされている訳ですね。
“全”検査を求める国民性
福島県は心配しすぎだ。そんなに金がかかるなら、毅然として検査をやめればいい……という“正論”もあります。しかし、県が不安になる状況はよく理解できます。なぜなら、日本の消費者はたびたび、“全”検査を求め、科学的には意味がないのに安心してきた歴史があるからです。
全部、検査しているから安心と言う神話ですね。
~引用~
震災後も、全品検査で安心
~中略~
「全てを検査して安全」というイメージは、その後も多くの食品問題でついて回ります。東日本大震災後の食品をめぐる風評被害の問題を調査し続けている東京大学大学院情報学環・総合防災情報研究センターの関谷直也・特任准教授によれば、 “全”をアピールして早期に業績を回復した業者や産地が目立ったそうです。
そういえば、私も思い出します。「ガイガーカウンターを食品にあてて測定し、全品検査をはじめました」という小売店がありました。そんな検査では、食品内部の放射性物質は検出できません。しかし、消費者には受けたのです。
「全数検査には、科学的に意味がある場合とない場合があります。ただ、全部測定する、というのが日本人のメンタリティには合っている。多くの中から一部を選んで検査する、というサンプリングを、ごまかし、と受け止める文化がある。全の検査は、消費者の安心にはつながります」と関谷准教授は指摘します。
意味があろうとなかろうと「安心できるか否か」で判断されると言う事なんですね。
人は正しいものを信じるのではなく、信じたいものを信じる訳です。
国際標準はシステム管理なのに…
食品を長く取材していると、日本人はとにかく検査が好き、しかも全部の検査が好きだ、と実感します。全数検査は膨大なコストを要します。しかも、検査で調べようとした項目しか、確認できません。
世界の潮流は、検査頼みではありません。生産段階で危害を生みそうなポイントをあらかじめ洗い出し、効果的な対策を講じるシステムの管理が中心で、それがうまく行っていることを統計学にのっとったサンプリング調査で確認します。
ところが、この考え方を日本人は受け入れられないのです。典型的なのが輸入食品。日本には年間約230万件の食品輸入が届け出られます。当然、すべての検査などできるはずがなく、検査の割合は1割弱。統計学に則ってサンプリングされ行われています。厚労省や輸入商社等は今、生産国での適切な管理指導に力をいれています。
でも、市民団体や週刊誌等の定番の批判は「1割も検査していない。危ない輸入食品に脅かされる」です。
科学的な安全vs.消費者の安心
福島県産米の話に戻れば、放射性セシウムについては生産段階での管理が徹底しているからこそ、非検出が99.99%以上に上っています。ほかの残留農薬やカビ毒等については、GAPという生産工程管理法を導入することにより、より高い安全性に結びつけようとしています。
~中略~
全検査は必要ないという「科学的な安全」と「消費者の安心」の対立構造。消費者は今後も、“全”を追い求めるのでしょうか。悩み続ける県担当者や関係者等の話を聞くにつけ、変わるべきは消費者なのでは、という思いが募ります。
全部検査している、という外形ではなく、農家の努力を見てほしい。検査のコストは、国民全員のお金の問題です。福島の再生は、福島県民ではない私たち自身の課題でもあります。