マイカー参号機・・・購入編 | taka@GH-AP1のグラとS2000とPerfumeと

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アラ還おじさんが名古屋グランパスとS2000とPerfumeをメインに仕事の愚痴、日々の出来事などを交えて、思いつくままに書き綴っていきます。

久しぶりにマイカーの遍歴の続きを語ろう。


マイカー弐号機 の時に、買い替えに『さほど時間は掛からなかった。』と書いたが、実際には時間が掛かっている。購入を意識するまでには、それなりの時間があった。


参号機となったのは、弐号機の最後で書いたように『ユーノス・ロードスター』ビックリマーク


日本でのデヴューは1989年9月、筆者が実際に購入したのは1991年2月だった。


買い替えを決めるまでに1年半ほど掛かっている。。。


ロドスタがデヴューした直後に、会社の友人と試乗に行っていた。その時にオープンカーの楽しさを改めて知った。エスハチやエスロクに憧れて、CR-Xを購入したのだから。


だが、その時点では購入を決心するには至らなかった。

まずは、HONDA車でない事。

それから保管、家には車庫はなく屋外駐車になる。

ツーシーターと言う乗車定員。。。まぁ、CR-Xも2人乗りみたいなものだったが、我慢すれば4名乗ることが法的に許されているのは大きな違いだ。荷物も詰めるし。。。


で、極めつけは納車までの時間。

半年待ちは当たり前の状態だったプンプン


そんな訳で、弐号機も3年目の車検を通していた。前にも書いたが、更に数年は乗るつもりでダンパーの交換もしていたくらいだった。


弐号機の車検を通して3ヶ月ほど経った1991年2月のとある休日に、何を思ったか暇つぶしに再度、ロドスタの試乗に行った・・・1人で。


屋根を開けて、店の周りを一回りしてきた。2月の冷たい風が逆に心地よかった。

小気味良く決まるシフト、軽快なハンドリング。やっぱり楽しい音譜


ただ、エンジンには正直、がっかりした。ZCと比べると、もっさりとした回り方で、DOHCと呼ぶには・・・


でも、オープンの気持ち良さに比べたら、些細な欠点でしかなかった。


そうは言っても、まだ購入することは頭にはなかった。


一通り、試乗を終えて店に戻る。何気なく聞いて見た「まだ、納車には時間がかかりますよね」と。


意外な言葉が返ってきたビックリマーク「在庫次第ですけど、そんなに掛からないと思いますよ。在庫の確認をして見ましょうか。」


えっ!? と思いながらも、筆者は無意識の内に「お願いします」と答えていた。


営業マン:「色はどれにしますか。後、装備は?」

筆者:「色は白で。スペシャルパッケージでお願いします。」

営業マン:「はぁ、白ですか!?」

筆者:「ええ、白でお願いします。白ってそんなに売れてないんですか?」

営業マン:「白は、殆んど出ないですねぇ。」


などと会話をしていた。当時はロドスタの白は、殆んど見かけることはなかった。

売れ線は、赤、シルバー、そして90年に追加されたVスペのブリティッシュグリーン。


カタログですら、メインの写真に白が使われることなかった。ボディーカラーのバリエーションの一つとして、ベース車両の鉄チンホイールを履いた写真が載っているだけで、冷遇された色だった。


でも、筆者の中ではオープンスポーツは白のイメージが出来ていた。


PCのオンラインで在庫のチェックをする営業マン。結果を待つ筆者。。。


営業マン:「工場に在庫があります。今、発注すれば2日後に店に届きます。」

筆者:「納車にはどのくらい掛かります?」

営業マン:「車庫証明、登録など手続きで、10日ほどあれば納められると思いますよ。」


その時、筆者の頭の中で何かがはじけたドンッ


すぐにCR-Xの下取り査定をしてもらい、見積もりを。追い金は180万ほどだったと記憶している。


再度、仕様を確認する。ボディーカラーは白のスペシャルパッケージ。

オプションでトノカバーを付けることにした。


初期のNA6CEには、オープンにした時にコクピットを覆うトノカバーがOPで用意されていた。

中央がジッパーになっており、運転席側だけを開けて乗ることができた。


オープンカーのカッコいい一つの乗り方だと筆者は思っている。


ちょっと、話が逸れてしまったにひひ

買う気のない試乗を終えてから10~15分ほどの時間で、仮契約を終えていた。


短納期が決め手だったビックリマーク まさに衝動買いだったにひひ


こうしてHONDA党の筆者の元にマイカー参号機として、MAZDAの作ったユーノス・ロードスターが来ることになった。


このマイカー参号機が、その後のカーライフと人間関係に大きな変化をもたらすのだった。