脳卒中(脳梗塞など)や交通事故での頭部破砕、戦場での脳負傷などにつきまとう場合が多い高次脳機能障害を、本格的に治療してくれるところは日本に少ない。ない、といったほうが正確だ。

 たまたま私は米国海軍病院からスタートしたため、脳機能の快復に向けた取り組みもなされたが、現在に至るまで日本では何もされなかった。
 自覚する、ないしは論理的にそういうことだとしか考えられない、という判断らしきものができれば、あとは自らの工夫や努力次第ということになる。制度としては後進だが、遅れた役人集団のせいにしているほど暇でもない。キャリア試験をパスしても、問題解決能力が向上する次元とは異なり、ましてギャンブルを謳歌することなどできぬ。進学や就職や結婚などを軸に人生は例外なくギャンブルなのだから、地頭を研鑽し、おのれにしかできない方法や仕事や生き方を良きに計らう工夫こそが、人生という羅針盤でも最も肝要なストラテジーだということになる

 リハビリ病院で、平均の知能はもともと「ある」と推測された私(←謙遜)が、退院3カ月後の診断時に「病院階下のお昼900円を3度も確認したのに850円を出してしまいました」と言ったら、治癒もできぬ医師は「それは高次脳機能障害ですよ~。よく自覚されましたね~」とニコニコしながら話し、しつこいが本当に嬉しそうだった。
 
 高次脳機能障害用には、本物の高次脳機能障害キャリア役人が監修しちゃった所定の試験がいくつもあり病症が判定されるのだが、あくまで「意味のない平均」でしかない。
 中学の数学教師が昼食代の計算を間違えてばかりいるようでは復職は不可能でも、全身が麻痺して寝たきりになっても作家の本職さえできれば仕事はできる。平均に達しているかどうかだけテストして、かつなんの手当てもしない現状を毎日見聞していると、治療が可及的すみやかに必要なのは彼らであることがよくわかる――という皮肉を言っている場合ではないなあ。

 高次脳機能障害には、3次元の認識――つまり上下の感覚がなくなってしまう場合もある。階段があることそのものや、上がっているのか下がっているのかも判別がつかない症状は、歩く機能が残っても、介助なしに歩くことがきわめて危険であることは了解されよう。
 同じ階に入院していた、ごく普通にGUCCIやディオールやエルメスを着こなしている貴婦人は、かなり歩けてはいたのだが、ツエを補助道具として認識できず、すぐ放り投げてしまっていた。
 お金持ちなのに、お金持ちであること――口座関係や株関係すべて――を忘れてしまった若い社長は、普段は賢明なのに重大事でとりわけ健忘があるとは、家族以外には気づかれにくい。

 視覚の半分が完全に消えてしまうパターンも多く、病院内の廊下は介護士や看護師が付いていてくれるので入院時はいいとしても、退院後に単独で歩道を歩くのは危険すぎ、また食事も見事に、まるで壁でもあるように半分が見えていないため、箸がつけられない――。脳という現象に熱い関心を持たざるをえない。