次女の例から始めたい。
 識者といわれる人々が、ほぼ例外なく机上の空論を弄(もてあそ)ぶイデオロギーに私が与(くみ)しないのは、美学的見地のほかに、自分を棚に上げることをどうしても好めないゆえでもある。もちろん、自己を謙遜してみせたり正当化するために、そうするのではない。自分のできることやできなかったことをオープンにして、にもかかわらず、という立論は大いにありうる。

『父親のすすめ』(文春新書)では、進路については長女と長男の例にとどまった。出版時期が次女の受験期ではなかったためだ。言わずもがなだけれども、全テーマを自分に引きつけて論じるべきだと妄想しているわけではない。

 その分野なら、瞬速で日本レベルで誰にも負けない、という程度の地位は得るようにしたい。3位くらいまでは許していただきたいかも。言論に責任をもつというのは、そういうことだからである。

 私の次女が高3のときの話。教頭から電話がかかってきた。次女は農業高校の畜産学科におり――95%の生徒は中学の偏差値ゆえ他に行くところがなくここに来ているのが実態だけれども、娘が畜産学科と、翌年度から日本でも唯一スタートする大学の動物セラピー学科を強く希望したにすぎない。皆と同じという思考方法は我が家には馴染まないだけでなく、偏差値で進路を決めてトクするのは5%くらいだろうとも理解している。

 片道2時間の通学を1度も欠席しなかったことなど、私は子どもたちを心から尊敬しているだけでなく、自分の子であることを疑いかけた。そういう意味じゃなくて。私自身は隙あらばサボっていたので。

 職業高校についての専門家は6万人ほど日本にいる。その9割は子育てを経験しながら、なぜか職業高校に行かせていない者ばかりだ。偶然なのだろう。その畜産学科ありの農業高校で進路指導を当時していた教諭も、卒業時に告白してくれた。「自分の子はいま中学2年にいる。大勢と同じように将来の希望があるわけではいから、とりあえず良い偏差値の高校を、と親としては希望しているものの、もし我が子が本校に行きたいといったら、応えてあげられるかどうか非常に悩ましいところ。たぶん無理。お父さんはよく決意されましたね」だと。

 あほなのかなあ、この人。少なくとも自分の職場が最低であると確信しているだけでなく、おのれの子と話を深く交わしていない。それでもまあ、くそどものなかでは正直なつもりではあるのだろう。子どもが農業高校を志望したら、という前提の話なのであるぞ。応援してあげるところではないのか?

 まあ、いい。教頭からの電話に戻る。何十回かは校長や教頭や専門教科担任群や担任には会ってきた。わりと親しいのである。

 教頭の電話は、こういう内容だった。
(中略)




 いま私がいる病院でも無数の理不尽を見た。体験もした。死んでいてもおかしくない。他人への違法行為を黙認すれば共犯か奴隷根性にならざるをえない。外の仲間30人と弁護団が、私の静かで冷静な意見表明を取り囲んでくれた日を境に、ダイナミックかつ柔軟な変化を遂げた。医療スタッフらが脳梗塞患者を舐めなかった、というよりも、舐められない脳梗塞患者の脅し、違う、正論を引き受けたほうが自分たちにとっても有利だと理解したのである。

 前の公立病院は、私の人生を多彩にしてくれた。これまで、陰湿にイジめられたことも、戦地での拘束やタイのゴールデントライアングルでの暗殺未遂などなどを除いて、この国で立派な公務員様であられるナース集団に人格を崩壊させられるほどの虐待を受けたことも、私にとって初の体験だった。稀有な体験をありがとう。

(後略)

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