全身におよぶ麻痺とともに、言語中枢も破壊され、すべての医師は「よく死ななかった」というものの、一気に逝っていたほうがラクだったことはいうまでもない。生きた以上、最善を尽くそうと決めただけなのです。

 脳損傷にともなう言語障害について、少々。スポーツが原因とされる――それ以外のリスクや原因がすべて否定された。同じようにスポーツの最中や数日おいて脳梗塞になり入院している小学生や中高生やプロ選手も少なからずいる――私などの脳梗塞と、飲酒過多や高血圧ゆえになってしまった脳梗塞と、確率は全く違う(高血圧や塩分過多や高齢や引きこもり生活や飲酒やタバコなどのリスクは桁違いに多い)が、発症の結果に何か違いがあるわけではない。

 回復に近づく努力については、理学療法士や作業療法士らの例外なき経験知として、体幹がしっかりしておりスポーツを続けていた者が断然有利ではあるものの、しかし、そもそも脳梗塞発症に気がつかない場合や、即死する場合も多いから、それらは母数が分からない。

 人それぞれという面と、脳がやられた結果はそれなりに共通しているという面は濃厚にある。しかもこの脳梗塞という魅力的な構造こそは、森羅万象を深淵に語りうるテーマなのだ。

 これまで数千の関心を公的な文書にしてきたけれども(売文ね)、このリハビリ病院での長期かつ詳細な取材ほどスリルと深みでまさるものはない。いつ死んでもおかしくないうえ、努力をこれほど傾けたこともないのも事実だ。

 重篤な当事者でもあるため、どの専門医より体験知は1万桁は多い(当社比)。彼らは、こんなにも興味深い世界が足元にありながら、せいぜい1カ月に数度くらいチラ見する派か、研究熱心(自意識比)なためナマの人々に対することなくデータだけを集めている派かの、どちらかだよね実際。

 多くの悲惨な形で生き残った者たちと同様な、最初の日(昨年11月25日)から2週間あまりは、全身が麻痺していることにも気づかなかった。病名は米国で
cerebral infarction といわれ、日本では脳梗塞と診断され続けたのだが、ある時期から脳梗塞という、もともと人並みには知っていた病名を、自分で言う努力をし続けて実を結ぶまでに39日を要した。私より重い言語中枢木っ端微塵派も2~3週間でいくつもの単語を口にするようにはなる。私は脳梗塞という病名すら39日間にわたり、1度も言えなかったのだ。いまでは(認知症でも発症しない限り)絶対に忘れない。

 私の言語、筋肉や関節、記憶、感覚の多くが、脳との関係で失われた。壊死(えし)した脳部は2度と回復しないと例外なく報告されてもいる。では、なぜ、重篤な機能障害を起こした患者でも、言語、筋肉や関節、記憶、感覚を努力とリハビリによって、かなり取り戻すことが可能なのか?

 いったん脳のある部分が破壊されると(死なない程度にね)、普段は機能していないものの、「いざ鎌倉」という非常事態に例の2~3週間後から動き始める「裏の装置」があるはずだ、と思える。そういう非常装置を仮定しなければ、話ができなくなった私が今年2月6日にマイクを通して1時間の講演を(聴く方々が苦労したと推測されるけれども)敢行したり、来たる2月27日に公開対談をめざしてきた――ちなみに、講演と対談では脳の使い方が全く違うことに、脳梗塞になって初めて気がついた――ことも、説明がつかない。

 私の場合は失語症に加えて、錯誤症(言いたいことがやっと口に出ても違う言葉になる)、聴覚的理解障害(錯誤症がアウトプットの障害であるのに対し、こちらはインプットで似たようなことが起きる)、さらに記憶障害まで怒涛のごとく攻めいってきた。私のカルテに明記されているそれらの諸症状を前に、完敗な気がしないでもない。これら高次大脳機能障害にプラスして、身体麻痺による発声発音障害までプレゼントされたのである。

 それだけではない。麻痺は頭部全体にもオマケ(なのか?)でついてきたうえ、発症当日から米国グアム準州の海軍病院スタッフが、繰り返し萎縮していく私の舌を外に向けて引っ張り出し続けてくれたおかげで、現在おしゃべりを楽しめるようになりつつあるものの、いまなお舌の麻痺も治っていない。意外に苦労しているのですよ。出るか2月27日の奇跡?

 NHKの名アナウンサーだった酒豪の山川静夫さん――古典芸能の造詣ふかく、科学からクイズ番組まで広範囲におよび、「紅白歌合戦」の総合司会を務めた、いわば当時はまさにNHKの顔だった――も脳梗塞になり、幸い身体の麻痺は極小だった(ほとんどなかった)けれども、言語中枢をやられたため、やはり話せなくなった。日本の医学界やリハビリ界では「日常会話が話せる」が目標なので、山川さんのフリーアナウンサーや講演者としての再登場は、話す言葉をいったん失った脳梗塞患者の希望の星である。

 このような事実を踏まえると、私の仮説は、まんざらでもないはずだ。いや、それ以外どう仮定すれば良いのか。調べてみると、やはりこう考えるのが合理的、とする臨床家や学者もいるではないか。別の仮説は見当たらない。バカなのかな。俺たち患者もバカだけどさ。今朝は、特殊な装備をして歩く訓練に行く際、毎度部屋まで迎えに来てくれるコーチと話しているうちに「同時に2つのことをやるのが困難」な状況下、コーチが笑ってはいけないところで耐えがたいようであった。吹き出しているのである。「日垣さ~ん。左手に――(笑)」と。私は歩行練習用のステッキを持ったつもりなのに、握っていたのは長い靴ベラでありましたよ。

 そうそう、専門家の仮説として、まさにこんなものを見つけた。

「大脳には、通常は機能していないが、いったん障害を受けると働き始める隠れたシステムがあるのではないかと考えるのはどうであろうか」(『脳が言葉を取り戻すとき――失語症のカルテから』NHKブックス。二人の著者は失語症などの高次大脳機能障害の医師)
 おもしろい分野でありますね。

 さて、たとえば私は、いつから話せるようになったのか――。
 エピソードを参考にしていただこう。12月9日の夜だった。家族が帰ったあと、メールも当然できていなかったころだが、終戦直後のイラクやらキューバ旅行やらを楽しんできた同世代のSさんを病室に迎え、2時間の会話がごく普通に成立していることを私は疑わなかった。

 年をまたいだ1月28日には、音読や会話の猛特訓ゆえ、電話でもなんとか話が通じるようになっており、Sさんに念のため昨年12月9日夜の出来事と正直な感想を教えてほしい、とお願いする。要旨(要旨ね)は、こうであった。

「あの日、正直なところ日垣が一所懸命に話していることに心が強く動かされながらも、聞き取れる単語から、おおよその内容を推測したんだよ。帰り道で、涙が止まらなかった。話が大好きな日垣が、言葉を失っている。あの日垣はもう帰ってこない、と思って泣けてきた。こんな話ができる日が来ようとは――」

 ううううむ。そうであったのか。親しい友達は信頼ならんな。うそだけど。
 脳機能の一つである言語システムも、おもしろくないですか?