トレーナーと正規に行なうリハビリは、3時間プラスだと以前にも触れた。「プラス」というのは2種ある。1日に行なう自主トレという名の、誰か(ナースやケアワーカーが多い)が付き添って、ベッドで座る+立つを20回とか廊下の端から端まで2往復とか階段を8Fまで昇降するとか、各人の進捗(しんちょく)とやる気に応じて――これらはたぶん、この病院ならではなのかも。もう1つは、文字どおりの自主練。激しい運動を想像しないでいただきたい。正規のトレーニングのうち自室内でできるものを、間違いのない範囲で地味な訓練を続ける。

 (中略)

 私の場合、英語もドイツ語も日本語も壊されたけれども、圧倒的多数の入院患者たちと同様、テレビなどなどから流れてくる内容はほぼ完璧に聞き取れる。
 グアム島にてブッ倒れたときも、救急車に乗せられて海軍病院に運ばれたときも、ドクターや諸スタッフが話している声なども、すべて(たぶん)理解できていた。返事はできないものの、聞き取れる、というのは脳の言語中枢をやられた多くの患者たちに共通する。

 が、麻痺している部分の改善に関わってのコーチ(理学療法や作業療法など、麻痺の大きな部分の改善を担当してくれている)の指導は、別のようだと気がついた。
 毎日のように、コーチの新しい指示には、「もう1回お願いします」と言っている。
 4日前には、初めての階段訓練が始まった。特殊な補助装具を使って――まあ、スキーブーツのようなものをいつも履いていると思っていただければいいかな――訓練していたとする。

 降りるときは麻痺している右から、登るときは左から――という初めての指示に、初日の4日前から毎日、「もう一回」、そのうち「左右はこれでいい?」と訊いていた私である。小1みたいでしょ。

 理学療法の主任コーチに今朝、尋ねてみた。「もう一回、とか聞く人は、けっこう多いのか、それとも少ないのか」と。
 答えは、ある意味、想定外であった。

(中略)

 自覚の欠如も、この病気の特徴の一つだが、それをクリアする少数は、何が違うのか。ダメージの大きさ?
 そうではないらしい。
「日ごろの何かが違う」――というのが全コーチに共通する答えだ。
 まあまあ多角的に考える習慣があり、納得するとはどいうことか――その程度は知っているかどうか、という差らしい。

 入院友達(?)にも訊いた。
「みんなできているのだから、質問しない」派と、「初めての体験ばかりなのだから、分からないことは聞くしかない」派。比率は9:1くらいだと思われる。

 今日も、いろいろあった。午前中は、新しい歩行装具の中間チェック(仮縫いみたいなもの)があった。3段階目に、ようやくたどり着いたのだ。

 お昼は、カレーうどん+3品。朝一にあった作業療法のレッスンで、少しずつ役立ち始めている右手で、新たに目標を定めた際、一例として、ティッシュボックスからティッシュをとる場合は右手でやることになった。軽いから簡単という話ではない。2点の困難がある。まず、麻痺解凍期間には、遠くにある――患者にとってすぐ左(使えるほう)にティッシュボックスがない限り、遠いという――もので、麻痺がひどい側の手でもやれそうなら試みる。そして、すぐに必要なものほど、使える手でやってしまうのが我々の性(さが)だ。

 ティッシュボックスは、脳卒中が8割を占めるこの病院内のテーブルには、まず例外なく置いてある。顔面麻痺も多いし、手が自由に使えない人もいるしね。

 ランチを食べ始めて間もなく、私もティッシュが必要になったので、さっそく麻痺がひどい右手をボックスに伸ばしたその瞬間、食膳すべてをこぼしてしまった。ジーンズも左側のシューズもスポーツ用の靴下も椅子も床も、カレーだらけになる。やれやれ。みじめな気持ちになるかと問われれば、そのとおりである。

 ジーンズを手洗いしてくれるという36歳ナースの申し出をやんわりと断り、コインランドリーに向かった。これも独りでは行けないので、面倒をかけるのは同じだけれども、できることは重度患者でも自分でやることが、回復への近道になる。

 午後4時からは、昨日のMRI検査などの報告。分かりやすくいえば、たとえば16カ所に癌ができている状態なのに、この1月に2カ所の腫瘍が見つかった、これが良性か悪性か、みたいな局面である。
 さて、結果は――。

 こればっかりは、もう一回お願いするわけにはいかないよね。

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