歯のブラッシングと治療について、以前に書いた機会がある。たぶん、一部で誤解があったと思われるが、こういうことだと説明しておいたほうが役に立つ。立たないか。スタッフも、誤解していたので。
《歯科衛生士によって、クリーニングがはじまった。歯科といえば一般には、嫌いだけれども仕方なく行くというイメージがあるかもしれないが、私は10時半からの予約を朝から楽しみにしていた。ある種のゆとりが出てきたのかもしれない。
前にも言った通り、水がろくに飲めない。少なからず見受けられる嚥下(えんげ、食べ物を飲み込むこと)障害がある患者や、水をほとんど飲めない患者たちは、治療やクリーニングの間に喉をグォー、グォーと鳴らす声を連発するのだけれど、そこは週1とはいえ大半が脳梗塞患者で占められる歯科医や歯科衛生士だけのことはあり、そういうことにも慣れている。しかも、この歯科衛生士の技術は高く、私にとって終始心地よく至福の時であった。
30歳前後の歯科衛生士さんはその日の作業を終えてやさしく私に聞いた。
「いかがでしたか?」
私は即座に、こう答えた。
「幸せです」
実は、脳梗塞発生のとき私の健康な歯も崩れてしまったため、その治療をクリーニングの前に受けた。一般的にはものすごく痛いものである。けれども、私にとって歯の痛みなど100あまりの故障や麻痺に比べればものの数ではなく、小さな痛みが消えていき、そのうえクリーニングも1カ月半ぶりに受けられたのである。》
(「ガッキィファイター」2016年1月10日号)
今日で、その治療は終わった。上記ではクリーニングと手術について過不足なく書いたつもりだけれども、「幸せでした」は文字どおりに受け取られなかった可能性がないではない。
痛みを感じたことを、私は生きていると実感した。が、そう書いたつもりでも、この症状にともなう歯の痛みには2種があることを、再度強調したほうがいいと思う。脳梗塞の際に生じた顔面麻痺による歯の破損治療と、発症後のブラッシング危機である。
この分野の専門書や入門書をナースよりは多く読んでも、歯のことまで触れたものは3冊だけ、しかもそれらはすべてブラッシングの「利き手」問題であった。
私は25歳から健康に気を遣うようになった。前にも触れたけれども、親族全員とも例外なく老衰で亡くなっているか、元気に生きているかのどちらかという、かなり珍しい家系だ(った)。4日前に母が脳梗塞で倒れたのは、我が親族では私に次ぐ不思議現象ではあるものの、母は平均寿命を超えており、麻痺も出なかった。私もなった記憶障害が生じたが、年相応とも言える。
単に長生きすればいいという時代ではない。食事や飲酒その他にもリスクが増えることを知悉(ちしつ)し、リスクを増やす習慣を続けるべきではない。そのうえで脳梗塞になったくせに、いう資格があるのか不明だが――。
私が健康に気を遣うようになったのは、25歳のことだ。ワープロを150万円で買った。2年のローンを組んで。
最初のワードプロセッサーは760万円もしたため高校生の分際では手が出なかった。が、150万円になれば話は別だ。
ブラウン管が使われていたことは、ここでは主要な話題ではない。周囲で誰も持っていなかったことも、この際どうでもいい。職場でも大活躍し始めて3カ月後、異変が起きた。両目とも1.5を維持していたのに、確実に視力が落ちる気配を感じたのである。以来、制限時間を設けた。いまもその制限は厳守かつ有効であり、日航最高齢現役機長の小林さんにもご指導いただき、50代後半のいまでも遠視(老眼)には至っていない。いつの間に歳を重ねたものやら。身体年齢はどこで計っても24~25歳を維持し、体脂肪率も10%を超えたことはなかった。
昨年の11月25日まで、18歳の4月ピークと考えられた体重も体型も変わらず。心配は脳くらいなものだった。いまの時代、配慮の外で突発的に起きうるのは脳が筆頭だからね。
ストイックといわれても、結構であるっ。たとえば最も好きな飲み物はコカ・コーラであり毎日1リットルは飲みたいほどだが、最初から月に500mlを1本と決めてきた。父も両祖父も、お酒の好きな人だったが、私が酒量に大きな制限を課したのは26歳である。ゼロではなく、コントロール下に置いたことが肝要だ。
楽しみは他に山ほどある。
《歯科衛生士によって、クリーニングがはじまった。歯科といえば一般には、嫌いだけれども仕方なく行くというイメージがあるかもしれないが、私は10時半からの予約を朝から楽しみにしていた。ある種のゆとりが出てきたのかもしれない。
前にも言った通り、水がろくに飲めない。少なからず見受けられる嚥下(えんげ、食べ物を飲み込むこと)障害がある患者や、水をほとんど飲めない患者たちは、治療やクリーニングの間に喉をグォー、グォーと鳴らす声を連発するのだけれど、そこは週1とはいえ大半が脳梗塞患者で占められる歯科医や歯科衛生士だけのことはあり、そういうことにも慣れている。しかも、この歯科衛生士の技術は高く、私にとって終始心地よく至福の時であった。
30歳前後の歯科衛生士さんはその日の作業を終えてやさしく私に聞いた。
「いかがでしたか?」
私は即座に、こう答えた。
「幸せです」
実は、脳梗塞発生のとき私の健康な歯も崩れてしまったため、その治療をクリーニングの前に受けた。一般的にはものすごく痛いものである。けれども、私にとって歯の痛みなど100あまりの故障や麻痺に比べればものの数ではなく、小さな痛みが消えていき、そのうえクリーニングも1カ月半ぶりに受けられたのである。》
(「ガッキィファイター」2016年1月10日号)
今日で、その治療は終わった。上記ではクリーニングと手術について過不足なく書いたつもりだけれども、「幸せでした」は文字どおりに受け取られなかった可能性がないではない。
痛みを感じたことを、私は生きていると実感した。が、そう書いたつもりでも、この症状にともなう歯の痛みには2種があることを、再度強調したほうがいいと思う。脳梗塞の際に生じた顔面麻痺による歯の破損治療と、発症後のブラッシング危機である。
この分野の専門書や入門書をナースよりは多く読んでも、歯のことまで触れたものは3冊だけ、しかもそれらはすべてブラッシングの「利き手」問題であった。
私は25歳から健康に気を遣うようになった。前にも触れたけれども、親族全員とも例外なく老衰で亡くなっているか、元気に生きているかのどちらかという、かなり珍しい家系だ(った)。4日前に母が脳梗塞で倒れたのは、我が親族では私に次ぐ不思議現象ではあるものの、母は平均寿命を超えており、麻痺も出なかった。私もなった記憶障害が生じたが、年相応とも言える。
単に長生きすればいいという時代ではない。食事や飲酒その他にもリスクが増えることを知悉(ちしつ)し、リスクを増やす習慣を続けるべきではない。そのうえで脳梗塞になったくせに、いう資格があるのか不明だが――。
私が健康に気を遣うようになったのは、25歳のことだ。ワープロを150万円で買った。2年のローンを組んで。
最初のワードプロセッサーは760万円もしたため高校生の分際では手が出なかった。が、150万円になれば話は別だ。
ブラウン管が使われていたことは、ここでは主要な話題ではない。周囲で誰も持っていなかったことも、この際どうでもいい。職場でも大活躍し始めて3カ月後、異変が起きた。両目とも1.5を維持していたのに、確実に視力が落ちる気配を感じたのである。以来、制限時間を設けた。いまもその制限は厳守かつ有効であり、日航最高齢現役機長の小林さんにもご指導いただき、50代後半のいまでも遠視(老眼)には至っていない。いつの間に歳を重ねたものやら。身体年齢はどこで計っても24~25歳を維持し、体脂肪率も10%を超えたことはなかった。
昨年の11月25日まで、18歳の4月ピークと考えられた体重も体型も変わらず。心配は脳くらいなものだった。いまの時代、配慮の外で突発的に起きうるのは脳が筆頭だからね。
ストイックといわれても、結構であるっ。たとえば最も好きな飲み物はコカ・コーラであり毎日1リットルは飲みたいほどだが、最初から月に500mlを1本と決めてきた。父も両祖父も、お酒の好きな人だったが、私が酒量に大きな制限を課したのは26歳である。ゼロではなく、コントロール下に置いたことが肝要だ。
楽しみは他に山ほどある。