「悟る」なんて話 | 彼は彼で、必死で生きてる           

彼は彼で、必死で生きてる           

良いも悪いも善も悪も
優れているも劣っているも
社会や時代が引っ張った
一本の線の上か下か。あるいは右か左か。

静かに目や耳を澄ませた時
見えてくるもの聞こえてくるものって
何なのだろう?

人生についての悩みから解放されている状態を
人生について「悟る」というとしたら、

お金についての悩みから解放されている人を
お金について「悟っている」といっていいのでしょうか。

どうしたらお金について悟れるのかと言えば、
お金のことを考えないで生活している状態になること。

要するに、「現在と未来について、経済的に考え工夫し、
何かに気をつける」ことなんて無い状態になっている、
そういうことなんだろうな、と単純に思うわけです。

足りている。のでしょうね。

人生についての悩みも同じように考えれば、
悩みにつながるようなことと一切関わらないことが
悟りに近いことなのかもしれません。

地位や名声を求めないとか、悲しみや苦しみを
自然の摂理くらいに軽く捉えられるとか。

この世の中にある自分の周りに発生する様々な問題と、
直面するのをやめること・・・・・・・・・・

なんか違います。
僕としては何か違うと思うわけです。

どうしてもなくならない、世の中の理不尽なこと。不条理。

自分に必要なのは、その、時に荒すぎる波にもまれながらも
なんとか、自分を保ち生きていける力。
問題のとらえ方や、考え方や、心の保ちかた。
それだけのような気がするのです。

いろいろなできごとがあります。
その中で僕は叫びます。
  
  苦しいです。
  悲しいです。
  辛いです。
  憎たらしいです。
  どうにかならないのでしょうか。

と。

そして、叫びます。

 嬉しいです。
 楽しいです。
 ありがとう。

と。

そして、世の中の多くの人が
きっと自分と同じように、
感情を動かしながら生きているんじゃないかと、
そんなことに思いを馳せながら、

自分も今を生きていくわけです。

みんな生きている。そして僕も生きている。
みんなを応援しながら、
みんなに応援されていることを
信じてみる。

そんなことを心から感じられること。

それができたら、そのくらいで、
僕の求める「悟り」は
もういいんじゃないか、

そんなふうに思ったりするのです。