認めるとみえてくる世界と自分 | 彼は彼で、必死で生きてる           

彼は彼で、必死で生きてる           

良いも悪いも善も悪も
優れているも劣っているも
社会や時代が引っ張った
一本の線の上か下か。あるいは右か左か。

静かに目や耳を澄ませた時
見えてくるもの聞こえてくるものって
何なのだろう?

存在承認とか言う。

あなたがいるだけで、みんながすごく明るくなるんです。
そんな思い。

歌が下手でも、パソコンができなくても、
そんなあなたでも、
あなたがいると安心する。
毎日が嬉しい。

そんな話。

それは、そのまま生きている意味があるんだって、
思いにつながる。

なにげなく通り過ぎている目の前のできごと、ものごと、
そして人。

無機質でしかなかった
自分とは無関係のできごとに
鮮やかな色を与えていくと、
すべてが命を吹き込まれたように意味を持ち始める。

ふくらみ始めた梅のつぼみとか、
ちょっとだけ緑色になりつつある地面の
草たちの力とか。

生きている。
改めて、心の中で声をだしてみれば、
無機質になりつつあった自分も
活き活きと動き続ける世界の
一員であったことに気づくこともできる。

モノクロの鉛筆画に
絵の具の色をのせていくように、
すべてが命を輝かせはじめて、

そして

その絵の中に自分がいることを感じたり、
少なくとも、

その絵を描いている「生きている自分」を
強く感じることはできるでしょう。

承認は常に相互承認。

世界を認めることは、
そのまま
自分を認めることだって

いろんなものとの関係の中で
自分が存在できているんだって、
そんな
何かがわかってくるような予感を感じるのです・・・