「ゆらぎ」と幸せについて | 彼は彼で、必死で生きてる           

彼は彼で、必死で生きてる           

良いも悪いも善も悪も
優れているも劣っているも
社会や時代が引っ張った
一本の線の上か下か。あるいは右か左か。

静かに目や耳を澄ませた時
見えてくるもの聞こえてくるものって
何なのだろう?

GFコーチング高橋祐紀です。

ゆらぎ。
最近読む本のあちこちに登場してくる言葉です。

生体エネルギー。心。脳。

ひとつの絶対的価値観は、
ものすごい力を発揮する反面、
崩れるときは、ポキッと折れてしまいます。

わき目もふらずに努力して、
世界の頂点に立つ目標が達成されたとき、
達成感とともに
大きな喪失感を感じるとか。

パイロットを目指して頑張っていた人の前から、
パイロットいう仕事自体が、それどころか、
飛行機というものまで完全になくなるような、
そんな革命的なできごとが起こったら、

その変化に対応できる力とは
どんな力なのだろうか?

次のどんなことが起きても
対応できる姿勢とは、
どんな姿勢なのだろうか。

ボクサーの腕の状態が思い浮かびます。
そして、
クッションとして使われるバネが思い浮かびました。

力を発揮するためにも、
衝撃を吸収するためにも、

その中間の位置を
行ったり来たりしている状態がとても重要。

そんなことを思います。

柔よく剛を制すという言葉にも通ずることでしょうか。

そして、また
相反する二つのものがあって、
そこに新しいものが誕生するなんてことも思うと、

「ゆらぎ」がエネルギーを創り出しているなんて
どこかで読んだようなことが思い出されたりもするのです。


「軸がぶれない」
ちょっと格好いい言葉としてよく聞かれる言葉ですが、
程度問題はあるとしても、
軸がぶれてゆらぐこと、優柔不断であることが
実は何よりも大切なことような気さえするのです。

共感とは、心が影響を受けることのひとつの形です。
影響を受けるとは、変化が起きることに他なりません。
変化が起きるとは、以前の形状と異なった形状になることです。

簡単に異なった形状になれることが、
人の言葉を受けとめる力そのものです。

ぶれるとか、ぶれないとか意識に登るレベルの軸よりも
ずっと奥の奥に、普段表舞台にあがることのない
強い信念とか、命に根ざす力のような

決してぶれることのない軸を誰もが持っているように思います。

正直で真面目でいて、時に怠惰で時に自分を責め、
時にひとのことにいらいらし、時に夢を見て、
時に努力し、時に挫折し、時に悩む、

そんなあなただからこそ、持っている軸があり、
そんなあなただからこそ、人を受けとめることができ、
そんなあなただからこそ、回りを幸せにし、
回りの人と一緒に幸せになっていくことができる。

根拠があるのか、ないのか、
なんだかわからなくなりましたが、そんなふうに思えて
仕方ないのです。