人格とか心とか | 彼は彼で、必死で生きてる           

彼は彼で、必死で生きてる           

良いも悪いも善も悪も
優れているも劣っているも
社会や時代が引っ張った
一本の線の上か下か。あるいは右か左か。

静かに目や耳を澄ませた時
見えてくるもの聞こえてくるものって
何なのだろう?

GFコーチング高橋祐紀です。

こんな人でいたい。

人はそんな思いを持って、
欲望を抑えたり、善行を繰り返したり、
そして、多くの人に素晴らしい人と思われて、

それでも、認知症とか、頭を打ったりとか、
脳の機能に変化が訪れる時、
築いてきた人格とか心とか、
きれいな素晴らしいものが
失われていってしまうことがあります。

悲しいですね。

老いて、日に日に自分のことができなくっていき
気力を失っていく父に、
前向きに考えなよ。

そう言ったこともありました。

ひとは老いて死んでゆく。
でも、今はこの時を生きている。
悲しくても、苦しくても、
生きている。

風が吹き抜けるよりも自然に、
お風呂で泡が浮かび上がってはじけるよりも自然に。

人は何かを失いながら、、同時にその裏側にあるものを
手に入れながら、
自分を生きながら、
人の記憶の中だけで生き続ける状態になったりもしながら。

死んだ人を前にして、
僕らは相対的に生きている。

生きている人達の中で、
そこに引かれた線を基準にして、
相対的に悲しんだり、苦しんだりする原因を見つける。
そして、悲しむ。苦しむ。喜ぶ。


回りがみんな貧しかったら貧しさが気にならないように。
回りがみんなお金持ちだったら、お金があっても嬉しくもない(のかな?)。

ふと思うのです。

比較や、常識や流行や人の評価や噂や、
いろんな基準に翻弄されて、
その中で感情を動かして、
幸せになったり、不幸になったり、

それが暮らしていくということかもしれませんが、

人をそのまま受けとめるように、
自分も自分の置かれた現状も
まずは、じっとそっとそのまま、一旦受けとめる。

感情を置いておいて、受けとめてみる。

悲しみも苦しみもとりあえず横に置いて、
事実だけ受けとめる。

人は生まれて輝いて、老いて死んでいくことを
ただ事実として受けとめてみる。

日が昇って沈んでいくこと。

意味もなくそこにある事実。

同じ一瞬を共有しているものとしての
大きな愛おしさが
そこにあるようなきがするのです。

青空を見ているこの一瞬。
この一瞬というパッケージの中に存在する
すべての人とものと、
存在する全てのものを共有している
愛おしさ。

なんて言葉を使ってみると、
とても幸せな気分になれるのです。