疲れることが前提じゃなくて・・・ | 彼は彼で、必死で生きてる           

彼は彼で、必死で生きてる           

良いも悪いも善も悪も
優れているも劣っているも
社会や時代が引っ張った
一本の線の上か下か。あるいは右か左か。

静かに目や耳を澄ませた時
見えてくるもの聞こえてくるものって
何なのだろう?

GFコーチング高橋祐紀です。

「お疲れ様」
ねぎらいの言葉。そして、今日も一日ありがとう、と
感謝をこめて使う言葉でもあると思いますが、
違和感を感じることがあります。

お疲れ、お疲れ、お疲れ・・・

この言葉と、ワンセットになって
「今日はたいへんだったよ」
と仕事でたいへんだった話があって、
どれだけたいへんだったか
同情してくれ、という思いがみえる。
そんな状況。


仕事は元来たいへんなもの。
人生は辛いもの。

それが当たり前で、
そんなふうに人々が思いながら、
長く長く歴史は流れてきて、

人とあえば、愚痴を言ったり、
たいへんだった話をするのが
習慣化している日常。


楽しかった話よりも、
そんなマイナスの話の方が、
圧倒的に話題になりやすいし、
人と関わる材料としては
適しているのです。


愚痴を言う。
誰かが聞いてくれる。
聞いた人が自分の話をしてくれる。
忠告をしてくれる。
おまえが悪いんじゃないかと、責められたりもする。


話さなければ良かった、なんて思いながらも、
心の奥の方では、とても大切なことを感じていたりします。

自分の目の前に話を聞いてくれた人がいたこと。
自分の話に反応して言葉を発してくれた人がいたこと。
いいとか悪いとかでなくて、忠告してくれた人がいたこと。

言い争いがあって、そこに感じた嫌な気分。
それはほんとだとしても
そこに同席してくれた知人がいれくれたことを
心の奥の方、「存在レベル」みたいな所で
感じていたりするわけです。

人生、いろんなことがあります。
一日、いろんなことが起きます。

穴があったら入りたいようなこともおきます。
やり残して気にしたままのこともあります。

そんなこともあるけれど、
楽しいことも嬉しいことも
心を開けば、見つかるのだと思います。

一日の終わりに、
何かをやり遂げて
「お疲れ様」
とても良い言葉です。

今日もひとエネルギー使ってきたよ。
そんな意味のお疲れ様。
愚痴のための導入部分じゃなくて。

そんなことを思います。

今日の雨、
この辺りでは、
久しぶりに大地を潤してくれています。

「雨の中、たいへんだったよ。
だけどさ、久しぶりの雨で
渇いてた心も潤されていくようだよ」

「毎日毎日、疲れちゃうよね」 を
今日も良い一日だったよに変えていくこと、
できるような気がするわけです。

そんなことばかり考えていてお疲れ様。
 ですって。

ありがとう。
 結構楽しく
 こんなことばかり考えているんですよ。