以前書いたわたしの食にまつわる谷山ストーリー

 

 

 

そこに書いてなかったこと

 

どん底から今の穏やかな日々への変遷を

 

お風呂に入っていたら、出したくなって

 

書いてみる

 

どこまで遡ろうかな

 

学生時代、幸せなお付き合いをしていたんだけれど

 

大学院の2年生の時に研究生として茨城県の東海村へと1年間引っ越した時に

 

その彼とは遠距離となって

 

まぁいろいろあって、その後お別れをすることになる

 

その後、

 

パン屋の修行時代は女性性をすっかり忘れ去ったような日々で

 

髪振り乱して仕事に没入して身だしなみなどどこへやら

 

その後疲れ果てて実家に帰ってパン屋を始めてからも

 

失恋のショックがあまりに大きすぎてどうしようもなくて

 

いてもたってもいられず、世界へ飛び出すしかない、と

 

ひとりバックパックで旅するように

 

初めての海外がペルー

 

マチュピチュを見たかった

 

初回だけは、東海村時代の先輩を誘って二人旅

 

その後もう一度ペルーに行った時からひとり

 

そのあと、スペイン、ポルトガル、モロッコ(少し)

 

もう一度南米へと、ボリビア、ペルー、エクアドル

 

またスペイン

 

ベトナム

、台湾

 

デンマーク、フランス

それくらい

旅先での出会いもあったけれど、ひとりで強く生きられるようになった

 

でも30近くなって、そろそろ結婚もしないとなぁ、と思っていた時に

 

ひょんな再会から、自分の中で空想を膨らませ始めて、運命だ!なんて決めつけちゃって

 

結婚した

 

その頃の自分、自分ではないみたいな気がする

 

何にもわかっていなかったし、あんな自分だったなんて、穴があったら入りたいくらいだ

 

でもそれもわたしだった

 

30すぎてもまだまだ未熟だった

 

だからこその、結婚生活のひどさを経験するべくして経験したのだろう

 

十数年ほどの、苦しい時代

 

二人の子供を産み育ててきたことが、本当に救いだった

 

私生活が情けなく悲しいのを抱えたまま

 

表面的には素敵なパン屋さんをしていることが

 

後ろめたかった

 

けどめちゃくちゃ頑張っていた、毎日

 

でもイライラもいつもマックスで、ガッカリして絶望して泣き崩れて

 

本当にそればかりの日常だった

 

パン屋を手伝ってもらっていて、

 

どうしてもわたしがメインになってしまうのが面白くなかったのだろうし、

 

価値観も違うし、

 

もう本当、結婚するなんて謎、と周りからは見られていたくらい

 

今考えても血迷っていたとしか思えない

 

(やはり、家系のカルマ、の解消のために、何か不思議な力でそう動かされたのかもしれないな、とも思える

 

なのだとしたら仕方ない

 

長女だから、それを背負ってしまったのかもしれない

 

なんとなく腑に落ちる)

 

いつの頃からか、言葉の暴力にとどまらず、DVも加わるようになって

 

子供たちの前で、追いかけられたり殴られそうになったり、蹴られたり

 

子供達を連れて家から逃げたり

 

実家で受け入れてもらえない時は、義実家へ行くしかなくて

 

行って保護してもらえるかと思ったら逆にお前が悪いと罵られたり

 

車を足でドスンドスンと凹ませられたり

 

いくら働いて稼いでも飲み代ゴルフ代に消えてしまって

 

いつの間にか蓄えもゼロになって両方の実家から援助してもらわなくてはならなかったり

 

こんな地獄があるのか?と思いつつも

 

子供たちのために、このまま頑張るしかないと思っていたし

 

パン屋の設備機器があるからにはどこへも行きようがないと思い込んでいたし

 

蓄えもないのでどこへも行きようがないと思っていたし

 

でもこんな生活が続くのは嫌だ、どうにかしたい、

 

と思い始めたのは2012年ごろ、だったかな

 

それまで封印していたスピリチュアルなことに触れる機会に恵まれて

 

それと音楽

 

大橋トリオさんにはまって、

 

久しぶりに心揺さぶられる感覚

 

出産してから始めての新幹線での一人旅

 

仙台にライブに出かけて、それからはライブを欠かさなくなった

 

こっちの世界で生きたいんだった、って目が醒めた

 

変わる可能性ももしかしたらあるのかもしれない

 

でもまだ希望の光はちっとも見えてこなかった

 

どうしたらよいのかわからなかった

 

いろんな本を読んでみたり、星を読んでもらったり、ヒーリングを受けたり、自分に向き合う時間を増やした

 

見える人に見ていただいたりすると、必ず変わるよ、でももう少し先かな、と言われたり、

 

家系のカルマだね、と言われたりすることもあった

 

はじめのうちは、もっとちゃんと仕事して欲しいとか、家のことも協力して欲しいとか、

 

相手に求めて裏切られて絶望して、の繰り返しで

 

後半はもう何も求めることはしまい、と心に決めて

 

イベント出店も子供たちを連れてひとりで出かけていくし

 

休日のお出かけも子供達を連れて勝手に

 

距離を置いてそれで安泰ならよかったのだけれど

 

パン屋の稼ぎしかない中、そこから夫の交友費、タバコ代、などを求められるのがすごく嫌で渋ると

 

そこからDVなどに発展してゆき

 

ますます荒れるようになり

 

このままでは子供達への影響もあるしまずいなと思うようになって

 

ある日警察を呼ぶような騒ぎになって

 

一晩、警察に世話になってもらった日から、ひとまず実家に預かってもらうことになって

 

ようやく離婚が現実のものと考えられるようになって

 

でも、財産や土地や、どうやって分けるのか、

 

慰謝料は、養育費は、

 

どこにどちらが住むのか、

 

親権は、

 

などなど、

 

解決しそうにない問題が山積み

 

親権だけは譲れない

 

それ以外はみんな手放すしかなかった

 

あちらは何も収入がないから、払う能力がないから、何も払わなくてもよいということだった

 

それに土地代などはあちらの両親が出してくれていたし、

 

子のしたことに、親は何の義務も責任もないのだ

 

最後は調停の世話になって

 

他者を介しての話し合い、なわけだけれど、

 

結局、財産などは全てあちらのもの、パン屋の機械などと家具や備品と親権のみわたしのもの、

 

ということに

 

もうなにもわたしにはなくなってしまうなんて、

 

今まで頑張って家を建ててローンの支払いも続けてきたのに、と

 

最後まで諦めきれなかったけれど、

 

離婚を成立させるためには、その選択肢しかなかった

 

というわけで覚悟を決めた

 

離婚成立は3月8日


続く