ブログタイトルは、わたしが大好きなお笑いコンビのイワイガワ • 井川修司さんによるnoteでの連載から拝借したものです。
若き日のイガワさんと、遠く離れた地で同じ19XX年を過ごしていたのかと思いながら読んでいると、次の更新が楽しみでならない今日この頃。
というわけでこの春、わたしに起きたトンデモなく楽しかった出来事のブログタイトルに使わせてもらってます。
イガワさん、どうかお許しください。
関根勤座長率いるカンコンキンシアターを初めて観たのはいつだったろうかと、ウィキペディアで調べてみたところ、おそらく1994年の8月のようだ。あれ、その1年前だったかな...
今は亡き新宿シアターアプル。電話番号は、03-3209-0222「サニオクオニニニ」。TBSラジオ伝説の深夜番組「コサキン」のリスナーであれば常識である。
中学三年生になる直前の1988年の3月から聴き始めた「コサキン」。
関根さんがゲスト出演していた「小堺くんのおすましでSHOW 5」を観に行ったり、リスナー参加のコーナーに出場したり、北海道でのロケに参加したり、心のなかでは"自称"コサキン通を気取っていた。ハガキが読まれたことなんて一回しかなかったクセに…。
まさに「THE 若気の至り」である。
カンコンキンシアターの旗揚げは、コサキンのラジオで知った。旗揚げ当初は、地上波で深夜に公演のダイジェストや関連番組が放送されていた。いつかきっと上京して観に行こうと心に決めていた。
大学2年の夏休み、ついにその時がやってきた。旗揚げから5年、地上波で放送することはなかったので、テレビで観ることができない激レアな舞台公演をこの目で確かめるため、期待に胸を膨らませ意気揚々と新宿歌舞伎町のシアターアプルに向かった。
しかし、ここで衝撃的な景色を目の当たりにする。
まず、桟敷席のお客さんの熱狂ぶりに圧倒されてしまった。みなさん腹を抱えて笑いころげている。本当に転がらんばかりに大笑いしていた。その人たちがステージの手前で波のようにうねっており、その中には舞台を観ていないんじゃないかというほど、七転八倒しながら狂ったように笑ってる人もいた。まるで何かの宗教儀式にも見えた。
そりゃカンコンキンマニアであれば、数日にわたる公演の間、複数回足を運ぶのは当然だ。もう観ていなくても、笑い転げる場所は心得ていたのだろう。
以前にテレビで放送されていたものよりもずっとずっとマニアックな内容に、ご常連さんたちのようにのめり込むことができない自分がいた。
そしてもうひとつ、当時のメインキャストの一人だったルー大柴さんが、客席に乱入し虚空を睨みながらブーメランパンツ一丁でくねくねと踊る姿に、わたしは少なからず恐怖を覚えた。
今のわたしなら、虚空を睨んでいるのは周りの客と目を合わせないようにしているから(?)と察して、その異様な光景をゲラゲラ笑いながら楽しんでいることだろう。
しかし、当時はどこを見てるのかわからないギロっとしたルーさんの眼とヌメっとした上半身に怯えてしまった。
...気持ちが悪かった...
もちろん楽しかったことは言うまでもない。今でもよく覚えているのは、先日亡くなった剛州さんのスタンダップコメディアンのコントと、別のコントのオチになんの脈略もなく柔道着姿のウド鈴木さんが登場し、「ヤワラちゃんでーす!」で終わった時には、わたしも腹を抱えて笑った。
しかしその時のわたしは、舞台の楽しさよりも、自分との熱量の差が歴然としている桟敷席のお客さんや、ルー大柴さんのくねくねに、大きな壁を感じてしまっていた。
確かに楽しいけれども、桟敷席のお客さんほど笑えない自分がいて、"楽しさ"より"気持ち悪さ"が勝ってしまったのだ。
わたしがカンコンキンシアターを観るために真夏の東京へ足を踏み入れたのは、この日が最初で最後だった。
そして、就職とほぼ同時にコサキンリスナーでもなくなった。
しかし、ラジオは聴かなくなっても、カンコンキンシアターが続いていることは耳に入ってきたし、関根麻里さんが入団し親子共演を果たしたことも知っていた。
深夜に放送されていた、「関根勤5minitesPerformance」も好きだったが、カンコンキンシアターおよび関根座長関連のソフトを収集することもなく、カンコンキンシアターは、わたしにとって"縁遠いモノ"という認識が変わることはなかった。
27年半もの長きにわたり放送されていた「コサキン」の最終回も聴き逃していた。この超長寿番組が放送されていた期間、わたしがリスナーだった時期は、三分の一にも満たない。"コサキン通"でもなんでもない、ただの通りすがりのファンのひとりでしかなかった。
十代半ばから二十代前半の青春時代の生活の一部だったコサキンの思い出は、風化していくだけのわたしに転機が訪れたのは、苦い思い出となったシアターアプルでのあの日から、約35年経った単身赴任先でのある日のことである。
その話はまた次回......
