揺れる真理 | DRAGON

揺れる真理

以下は、「天地人」のなかで、わずか5歳の与六(後の直江兼続)の母が、与六への愛着を押し殺して、彼に上杉影勝の家臣になるよう教え諭す場面の一部の台詞。


どうして紅葉はあのように美しいか知っていますか。

木は、厳しい冬を乗り越えるために力を蓄えねばなりません。

紅葉が散るは、その身代わり。

自らの命を託して散っていくのです。

燃え上がるあの色は、我が命より大切なものを守るための決意の色。

そなたは、あの紅葉になるのです。


なんとも感動的、詩的な言葉だが、現在、問題になっている「派遣切り」を行っている企業の経営者に悪用されかねない可能性もある。


定額給付金について、麻生首相の発言がぶれにぶれているが、佐高信はそれを「理念・信念がないからだ。それゆえ一貫性がない。」と指摘。直後、寺島実郎は「定額給付金に見切りをつけて、野党の言うように廃案にすれば、そのしなやかな姿勢に共感を得て、支持が上がるのではないか」と指摘。


佐高の「一貫性」という表現と寺島の「しなやかな」という表現は、相反するともとれる。


「近年、日本の街並みはおしなべて近代的になり、伝統的な日本らしい街並みが失われ、どこも同じようになってきている。」と遺憾の意を表しつつ、古くからの街並みを今も残している街を訪れて感慨にふけっていた、ある人(誰であるか忘れた)が、「日本ではないような異国情緒を醸し出している一風変わっている街であり、古き良き日本が残っている」と評した。


何を言っているのだろうと思われるかもしれない。自分自身、まだ、整理がついていないし、論じようとすると収集不能になる。


ただ、一つには、「どんなことにでもケチはつけられるし、反論ができる。物事は複雑である。」ということがある。


「そんなことはない。真理は単純である。」というのなら、それも反論の一つであり、自己矛盾に陥っていることになる。というか、簡単に「真理は単純である」という人ほど、自分でよく考えもせず、簡単にケチをつけたり、受け売りの「真理」を振り回す傾向があるように思われる。


たとえ真理(とされていること)を多く覚えていても、それが受け売りなら、何の役にもたたないことを「天地人」での和尚が叫んでいる。



訳の分からないことをこねまわしてしまっているが、テーマの一つとして問い続けていることであり、今年は訳の分からない記事が多くなると思う。



泥沼のようなブログになると思いますが、良かったらお付き合いしてください。遅くなりましたが、今年もよろしくお願いします。