中国食品の酷さ
不覚をとってしましました。
普段、野菜や食品は、いくら安くても、中国産のものは絶対食べないようにしているのですが、うかつでした。スーパーの菓子売り場で、何気なく菓子を買ったのですが、帰宅して表示を見たところ、中国産であることに気づきました。不注意でした。
しまったと思いましたが、まあ、菓子なら大丈夫だろうと、今回だけは大目にみて食べることにしました。
小さな袋に小分けにしてあるのですが、一袋目を開け、食べたところ、
まずっ!
とんでもなくまずいです。
仕方がないから、とりあえず食べてしまおうと、2袋目を開け口に放り込んだところ、
うっ!
薬のような薬品の味が口いっぱいに広がりました。
気のせいかとも思い、さらに噛みましたが、やはり、薬品の味は否定しようがありません。
吐き出し、他のものを食べようとしましたが、やはり同じでした。
もう、それ以食べることはやめることにしました。これはもはや、単なる好き嫌いの問題やまずいという範疇ではありません。
中国で作られた食品の酷さを実感した次第です。
たまたまだったのかもしれません。しかしながら、これまで、長年、日本の菓子を食べてきて(とりたてて菓子を食べるということではなく、ごく一般的な範囲ですが)、こんなことは一度もなく、おそらく初めてだと思うのですが(少なくとも、何回もは食べてはいません)、その中国産の菓子が酷いというのは、中国産はおかしい確率が高いと思います。
食べ物に関しては、日本は、レベルが高いのではないでしょうか。繊細ですし。
アメリカには、一度だけ行ったことがあるのですが、とにかく味は大雑把で、感性や頭を使い、工夫を凝らして作っているとは、とても思えません。例えば、サラダは、まろやかさなんて微塵もありませんし、甘いものは、そのままダイレクトに甘いです。一度、ガムをもらったのですが、口に入れたとたん、吐き出しそうになりました。もろに合成化学甘味料といった感じで、いかにも体に悪そうでした。
食べ物は、日本に限ります。
しかしながら、日本の食料自給率は40%そこそこで、米などを除くと、ほとんどが輸入品です。
現在、自由貿易や市場原理が支配的価値となっていますが、あらゆることに、一律的にその原理を適用することは間違っています。市場原理が絶対的に正しい訳ではありません。むしろ、行き過ぎた市場原理は、弊害が大きいといっていいです。
農業は過保護であると、度々、批判の対象となることがありますが、現実には、決して過保護にされているとは言えないと思います。その証拠の一つに、農業の担い手が減っていることが挙げられます。農業を取り巻く状況が、きわめて厳しいのです。
農業の最大の問題は、担い手の急速な減少です。農業が過保護にされているという意見はとんでもない的外れで、それを鵜呑みにしている国民もまともではありません。
このまま手をこまねいていると、もはや、取り返しのつかない状況を招いてしまいます。
農業には、もっと手厚く保護をするべきだというのが私の意見です(他の先進国、特に、ヨーロッパではそうです)。
しかし、外国産と比較して割高であり、もっと、国際競争力をつけるべきだというのが、おそらく多くの有識者たちの意見であり、多くの国民もそう思っているでしょう。
ところが、農業というのは工業製品と違う点が多く、国際競争にはなじみにくい分野です。
国土の地形の違いや天候の違い等です。
天候に左右され、思うように調整ができないので、作りすぎたとしてもやむを得ない面があり、補助金を出しても、それは、いざというときの保険だと思えばいいでしょう。もっとも、今年のように豊作になりすぎて、廃棄処分にすれば補助金を出すというのは、能がなさすぎます。それは、お役人の発想が貧困だからで、いくらでもやりようがあるはずです。
また、農業には、国土を保全するという機能があり、お金には代えられないものがあります。一旦、国土の崩壊が進めば、それこそ莫大な損失を被ることになります。
割高だろうが何だろうが、目には見えにくい形で貢献していることを考えれば、むしろ安いくらいなものです。
そういった目に見えにくいものの価値を見抜くことができず、直接、目に見えるもの、金銭に換算できるものにしか価値を見出せなくなってきているのが現代という社会ではないでしょうか。
経済やお金の面からだけしか見れなくなっているのが、今の多くの日本人の考え方のようですが、
そんな連中は飢えて死にやがれ
と、声を大にして言いたいと思います。