10月30日曇り空の中、第1回大阪マラソン2011が開催されました。

天気予報では、午後から雨との事でひとまずスタート時はお天道様もこの日のために我慢してくれたみたいです。


スタート会場である大阪城には7時半前に到着。すでに大勢の出走者でごった返しています。

ボランティアの人達が『手荷物の預かりは8時までです。』と連呼しています。

あまり時間がないので周りも気にせずお外で着替え。恥じらいも無くした完全なる大阪のおっちゃんです。


今朝はブルーな気分になることが2つありました。


1つは、今回のレースでの大問題はレース中の生理現象です。それは大も小もです。


その対処として、朝起きてからは一切飲み食いはしない。

そして出来るだけスタートぎりぎりでトイレを済ませる。

ここまでは良かったのですが、以前からレース中の対処として考えていたのが仮設のトイレは絶対に長蛇の列になると予想していたので、ガソリンスタンドでトイレを借りると言う事。コンビニは結構みんな借りると予想しましたが

ガソリンスタンドは、それほど皆が借りるという意識はないんじゃないかと。


でもこのアイデア。当日朝起きたときにフッと落とし穴に気付いてしまいました。

もうお気づきの人もいるでしょ。


そうです。

交通規制して車が通行止めになっている所にあるガソリンスタンドが営業している訳がありません。

なんでこんな事もっと前に気付かんかったんや。完全に自分の思惑は崩されてしまいました。


そしてもう1つ。これはもう歳というか、うっかりというか別の意味でショック。

それは腕時計(ストップウォッチ機能付き)を忘れてしまいました。出かける直前まで確認していたにも関わらず。

正直ランナーとして失格行為です。ゴルフに行ってクラブを忘れるのとほぼ同じレベルです。

仕方ないので携帯電話で大体の時間を計算しながらのレースとなりました。


さて、そんな事もありながらも刻々とスタート時間が迫ってきています。

3万人が参加ですから当然スタート位置も細かく決められていてブロック分けされています。


Aブロックから順番に整列して私のブロックはLブロック。相当後方ですからスタートラインなんて全然見えません。またスタート前の大会関係者の挨拶等も全然聞こえません。

予想では、スタートしてから(午前9時)我々がスタートラインにたどり着くまで30分は掛かるだろうと。


そして午前9時を迎え、何やらスタートした模様。といっても我々の所ではその号砲すら聞こえず。

空中で5,6機待機しているヘリコプターの音だけがけたたましく聞こえておりました。


そしていよいよ列が動き出しました。といってもホントゆっくりゆっくり歩いてはまた少し止まり。

その繰り返しが何度かあり、今度はまだスタートラインまで行き着いていないのに皆一斉に走り出す場面もあり。



“おいおい、42.195km以上走らされるのかぁ?”



でもまた歩きに変わり、でも着実に進んでいって遠くにスタートラインが見えてきました。

30分掛かると予想されていたのが、意外ともっと早くスターと切れそうだなと。

そしていよいよスタートライン突破。9時17分でした。



≪頼むぞぉ、俺の右足。!!≫



スタート直後。やっぱり痛い。でもネットで調べて初めて自分で巻いたテーピングが効いているのか、

それともテンションが上がっているからなのか何とかなりそうな気配は感じつつ走り始めました。



予想はしていましたが、スタート直後。全く自分のペースで走らせてもらえません。

めちゃめちゃ遅いです。抜こうにも多すぎて隙間もありません。少し隙間を見つけてトライしようとしても

他にも狙っている面々が沢山でうまく間を縫って行けません。



あ~~~、イライライラ。ダメだぁ、これじゃ4時間切りは無理やん。



でもまだ足も痛いし、少しこのペースに付き合うか。5kmくらい行けば状況も変わってくるだろう。

そんな気持ちでまずは大阪府庁から森ノ宮駅に進み中央大通りを右折して鶴橋を目指しました。



今日は、たまたまニュージーランド時代の友人達が応援に駆けつけてくれていて最初の応援場所を

鶴橋と決めていたんです。前日に入念に応援場所と通過時間の予想を立てていて鶴橋は10時前くらい

じゃないかと予想してたんですが、スタート時間が予想より早かったので応援部隊が間に合わず、ここでの

ご対面はお預けに。そしてランナーは千日前通りを西へ御堂筋目指して進行。



まず5kmを通過。足の状態は....

練習の孤独感とは違う、大きなイベントに参加しているという雰囲気とテンションのせいか。痛みは感じつつも気にならないレベルになっていました。そしていよいよ念願の御堂筋。こんなとこ、絶対に走れないからねぇ。

御堂筋は、北上と南下の2回走るので真ん中で区切られていました。そして先頭集団とすれ違う事は

出来ませんでしたが、いわゆる競技者レベルのランナーがどんどん南下してきます。でも思ったほどの

スピード感は感じませんでしたねぇ。



今日は、他にも大学時代の友人も応援に駆けつけてくれています。

その二組とも応援場所の詳細は、携帯電話で私に直接連絡してくるため携帯持参でのレースです。


御堂筋を北上し始め少し経ってからまず大学時代の友人から電話。淀屋橋の沿道で道路の東側にメッセージボードを持って立っているから一番東側を走ってくれとの事。OKOKと了解して電話を切ると今度はNZ時代の友人から電話。淀屋橋の沿道で道路の西側にいるから出来るだけそちらに寄って走ってくれと。



「えぇ~~、どないしたらええねん。こんな沢山の人ごみの中でよう見つけんし、そんなに簡単に進路変更もでけへんぞぉ!」



で、結局二組とも確認できず淀屋橋の交差点を右折して土佐堀通りを東へランナーたちは駆けていきました。

京阪天満橋駅付近が10km地点です。通過タイムはほぼ1時間掛かっています。自分の目標タイムより5分もオーバーです。しかし状況は全然変わらず団子状態でなかなかペースが上がりません。



「あぁ~~、これは4時間以内は無理やなぁ。」



ほぼあきらめ状態です。そんな状況が少し続いて御堂筋を今度は南下する頃に少しづつ人と人との間に隙間が出来てきました。まだまだ団子状態には変わりないのですが、少しでもチャンスがあればと蛇行、スピード変化もありながら少し無理して追い抜き敢行していきました。



さて、応援部隊の2組ですがお互い知らない同士なのにどうしてか応援地点が不思議とかぶるんです。

御堂筋南下の際も、指定場所はわずか交差点二つ違い。そしてその次の指定場所はこれまた同じで通天閣近辺の折り返し地点である恵比寿の交差点。



後で聞くと二組ともその後、ランチで串カツを食べたそうな。何と言う偶然というか、考える事は同じと言うか。


さて、御堂筋も終わりに近づき千日前通を西へランナーたちは京セラドームに向けて進行していきます。

ドーム付近で折り返し地点があり、また難波方向に戻る途中、トミーズ雅さんと健さんを発見。最初は彼らの存在を確認しただけで抜いたのですが、その前にテレビカメラがあったのでとりあえず少し戻りカメラの前に顔だけ出して走り去っていきました。これが後に毎日放送でバッチリオンエアされておりました。



その後、OCAT付近でたむけん(たむらけんじ)を抜き、御堂筋を右折して高島屋方面へ。

このあたりが一番人が多い感じでしたね。時間的にもみんな買い物などで動き出す時間帯でしたし。

次に目指したのが通天閣。と言っても通天閣の下までは行きません。恵比寿の交差点で折り返しです。

ここでは、大学時代の友人は確認できたのですが、ニュージーランドチームがまたしても確認できず。

7人も居るのになんで分からんね。ってあとで聞くとその内二人はコンビニで買い物中だったとか。



『どういうこっちゃ!』



ここを過ぎるとまもなく25km地点です。15km地点でも動画撮影のカメラがあったのですが、人が多すぎて近寄るだけで一苦労。今回は少しバラけているのでカメラの前で



KARAの『ミスター』



を踊ってやろうと心に秘めながらカメラを確認。踊る前に手を一回叩いてパフォーマンスに入った瞬間、後ろからランナーが追突。またしても不完全燃焼。しかも帰宅後、この映像を確認したら手を叩いた所で終わってるし。




気を取り直してコースに戻り、本来のペースから少し早い走りで追い上げました。というのも完全にあきらめていた4時間切りが20km通過の地点で後半の走りいかんによっては、可能性はゼロではない所まで持ってこれていたので一か八かの勝負に出ました。



しかし、やはり無理だったようです。前半本当に大勢のランナーを掻き分けながら走っていたツケは相当足に負担をかけていたようで、27km地点で急に足が動かなくなった瞬間が自分でハッキリと分かりました。上体は何ともありません。まだまだ元気です。でも足が・・・・。腕を振っても上下のバランスが崩れるだけで前には進んでくれません。自分の意識ではどうする事も出来ないところまで来ています。


29km地点を走っていた時、急に私の名前を呼ぶ声が聞こえました。このあたりは、比較的沿道の人も少なく応援の声がハッキリ確認できます。その声の主は、何と大学時代のチームメイトのI君。応援に来るなんて一言も聞いていなかっただけに全くのサプライズです。それだけにうれしかったです。



彼の応援は大いにパワーをもらいました。



な~んて事は全くありません。なんせもう立派なメタボオヤジですから。AKB48みたいに若い女の子の声援ならいざ知らず、オヤジの一声に反応するような体にはなっていません。(すまん、I君。)



このあたりから、ガクッとペースも落ち込み今まで抜かれるより抜く方が圧倒的に多かったのに今度は圧倒的に私を抜いていくランナーが増えました。いかにもってランナーから60歳は過ぎてるんちゃうのって思う女性ランナーにまで。あぁぁぁぁっ~~~、屈辱だぁ。



そして30km通過。

残り12.195kmはそれはそれは地獄のような道のりでした。



私が本当に自分でヘトヘトだと感じた場面がありました。普通なら考えられないシチュエーションです。


それは37km付近でした。沿道の応援は、それはそれは暖かい声援でこのあたりに来ると

大体の人達の呼びかけが



『あとゴールまで5kmやでぇ!がんばれ、がんばれ!』

『ナイスラン・ナイスラン!!ようここまで走ってきた。もうちょっとや、がんばれ。』



というような内容がほとんどです。

まだまだ元気のあるランナーは、このような応援をしてくれた人達とハイタッチしながら走っていきます。

私も本当にそうしたかった。でも本当に前に歩を進めるだけで精一杯でした。

そんな中、一人のあきらかにおっちゃんであろうと思われる声の声援が一言響き渡りました。



『ファイトォォォ~~~~~!』



ああ、言いたい。あの一言を言いたい。本当に言いたい。人差し指を天に上げて言いたい。

でも言えなかった。声を出す元気がなかった。

もし言えてたなら間違いなく、あの場所で私は拍手喝采。沿道から更なる声援。

付近を走るランナーからは握手攻め。

そんな光景を想像しながら言えなかったあの一言を今、この場を借りて大いに叫ぼう。





『イッッッパァァァァ~~~~~ッッッッツゥゥ!!!』





そして残り5km。タイムは完全にあきらめました。でもとにかくゴールを目指して走るだけです。

最後の難関といわれていた南港大橋。でももう完全に行ってしまっている私の足にとって、この橋の上りも下りもそれほど何とも感じない。というか普段練習している丘陵地帯の坂道の方が数段キツイ。ギリギリの所で走っていたならば大きく立ちはだかったのだろうけど。



やっと南港エリアに入り遠くにWTCやハイアットリージェンシー、ミズノ本社が見えてきました。

私のマラソンもいよいよ終了の時が近づいてきました。目標タイムに届くかどうか、最後のラストスパートはどのあたりから仕掛けるか。そういったシビアなラストにしたかった。沿道の声援はゴールに近づくほどすごくて、過去南港にこれほどの人の集まりを見たことがないくらいでした。



そして最後のコーナーを曲がって正面にマラソンゴールお決まりの電光掲示時計が見えた。

時間は4時間42分を表示。私のスタートは17分遅れだったので4時間25分くらいか。



そして、ゴールイン。



感動の涙。達成感。喜び。


そんなものは全くなかった。込み上げて来るのは悔しさのみ。サブ4を目指して本気で取り組んできたので自分の力のなさにただただ残念で悔しい思いだけがずっと頭の中でループしていました。


でもレースに関しては後悔は全くなし。


確かにペースを守って走っていればもう少し良いタイムでゴールは出来たかもしれない。

でもそれでは絶対に4時間は切れなかった。というか切るというチャレンジを放棄した走りになっていただろう。

それだけはしたくなかった。確かに今の実力から言ってスタート直後から自分のペースで走れる状況にあったとしてもフルマラソンを4時間以内でゴールできるかどうかは確率的にせいぜい30%くらいだろう。

それは、42.195kmという距離が未知の距離である事。そしてこれまでのトレーニングが自分の計画通り納得いくものではなかったという事。


結果は完全なる惨敗と終わりました。


感動はありませんでした。



でもなにか大きな物は得たような気分です。

自信が持てた。そんな事はありません。今まで通り特別人間が飛躍的に変わったなんてありません。


ただ、今後生きていく上でプライベートにしてもビジネスにしても何かをやろうとか、考える時に

その思考や行動の組み立て方を今回のマラソン挑戦を通じて感じた所はあります。


そういった意味では、やはりマラソンは人生に例えられる物なのかなぁって思います。


しばらくは治療専念です。でもランニングはトレーニングというよりも、もう完全にライフワークの一部となっています。競技のためではなく、生活のリズムのためにこれからも走り続けると思います。



そして来年の大阪マラソンは



“絶対にリベンジ。そして沿道の声援には断固として的確なボケとツッコミ。”





を心に誓って2011年の年男チャレンジスペシャルは終了であります。




最後に、今回のチャレンジに対して本当に沢山の暖かいご声援メール、電話、そして現地での応援と私ごときの様なものに身に余る光栄であります。本当にありがとうございました。














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