鳥取県米子市を拠点に日本全国や世界中の方のお悩み解決をカウンセリングや占い(コイン占い)を使ってお手伝いさせてもらっているゲッターラボの藤原つとむです。

 

先日、TVを見ていたらある若いスポーツ選手の事を特集していました。

この方は若くしてその競技の世界的な選手になりアメリカに家を買い移り住んでいました。
そして、その方は小学校の頃に「そのスポーツで成功してアメリカに家を買って住む」と書いていたんですね。

その事をスタジオのMCの芸人さんが「すごいな~子供の時にそんな目標を持つなんて」と言われていたんですね。


これよく聞く「成功」した人の話ですよね。

「子供時代に書いていた」

卒業文集とかに書いていて「そんな頃から」目指していいたんだと・・・・


実は僕はこんな話はあまり好きではないんですよ。
もちろん、この若い選手はすごいと思うし頑張ってほしいと思います。

ちょうど、ころれを見た頃にこんな内容のアニメを見たんですよ。

「異世界転生したら今度は頑張る」

アニメとか詳しくない人の為にちょっと説明しておくと、最近のアニメの傾向でこの「異世界転生」って設定のものがとても多いんですよ。

特徴は、主人公は何らかの理由で異世界に転生します(殆どは現実世界で事故死する)

現実世界での主人公は引きこもりやニート、いじめられっ子やブラック企業の社畜など何かで人生が詰んでいる。

転生すると反則級の能力を手に入れるか、もしくは現実世界では役に立たないけど異世界では最強のスキルになる能力を持っている。

その能力で努力せずに(稀に努力するのもある)最強キャラになりほぼ無敵で多くの人から慕われ、高い身分を手に入れ大金を手にし女性からはモテまくる(主人公が男性が多い)

ちなみに現実世界での記憶や人格は持ったままです。

見たらわかるように非常に「都合がいい」設定になるのです。
なので、「ご都合主義」のつまらない作品にもなりがちですが、それを逆手に上手く使って非常に面白いものもあります。


で~この2つがどう関係があるのって言うとですね~

最初のお話の若い選手がアメリカに家をって話で、「僕はこんな話はあまり好きではない」って言いましたよね。

僕が好きではないのは、この選手が成功したことでも子供時代に夢を持ったことでも若くして家を持ったことでもないんです。

好きではないのは「子供時代に目標を持ってた事を称える」ことなんです。
このTV番組でMCの方が言われたのは深い意味はないでしょうし、TV番組での言うことは台本で決まってますからこの方の考えではないかもしれません。

僕はこの考えとさっきの「異世界転生もの」ってどこかでつながってるように思えるし、この異世界転生ものの主人公たちの「ダメさ」を生んでいるように思うんですよ。

何が言いたいかって言うとですね。

この選手の「子供時代にすごい目標を持ったこと」を称えるのは僕はこの選手に失礼だと思うんですよ。

まあ、そこまで細かく考える必要はないんですけど・・・・


なぜ失礼かと言うと、この小学生の頃の「目標」って大半が親の影響でしょ。
この選手のお父さんはその競技をずっとやってた人で、この選手は6歳ぐらいからこの競技をしています。

自分で決めたとはかなり言い難いと思うんですよ。
「決めた」としてもそれは「それしか」見てきてないからそうなったんであって、むしろその時点では「親の夢」にほぼ等しくないでしょうか?

僕はこの選手がその目標を諦めずにやり続けて現実化したことが凄いと思うんですよ。

子供時代にその目標を持ったことは凄くもなんともないと思いますね。

だって「親次第」でしょ。

親が仮にそうだったらそんな「目標」を持った子供なんて山程いるんじゃないですかね?
でも、その大半は途中で挫折してその目標は叶ってない。叶ってないからその子供時代の「逸話」は語られることは無いってだけでしょ。

大半の人は挫折してしまうことをやり遂げている事が僕は凄いんだと思うんです。


これ多くのこういう話の人はそうではないですか?

スポーツ選手とかに多いイメージですが、それ以外でも多くあると思います。

先日、ツイッターを見ていたら情報商材系のビジネスをしている「意識高い系」のツイートしている人が、「大学には家庭の事情で行けなかったは本人の甘え」ってツイートをしていました。

自分はすごく勉強をしてお金を借りて国立の大学に行ったと言うのですが・・・

まあ、こういう人の発言の多くは「盛ってる」とか「嘘」って場合が多いんですがね。

本人がどんな努力をしようが何をしても無理って環境もあるんで、この発言自体が「狭い知識」でしか無いんですが・・・・そもそもですよ。

高校生で東大とか行こうと考えるのって、かなり親の影響や家庭環境でしょ。

もっと言うと高校や中学も進学校に行くって、子供時代から「そう考えるなにか」がないとそうならない、そこを目指さしたのは「親」であることが殆どでしょ。

小学生とかから、「僕は東大を目指すから有名な中学校に行かせてくれ」なんて自分だけの考えで言い出す子なんていても相当に稀ですよ。

物理的に良い大学に行けるかって事もですがその年齢で「そう思うか」ってのは、大いに「環境」の影響だと思います。

そして物理的環境が難しくてもそれを跳ね除けてって思うほどのモチベーションが生まれるのも「その子の生まれ育った環境」が大きいでしょうし、先程書いたようにどうにもできない環境って存在します。

もちろん、僕的に言うならそこにパーソナル心理学の「持って生まれた素質」も影響しますけどね。

親がそうであって環境が物理的にも精神的にもそろってもしない人もいますから。


なぜ「異世界転生」のアニメと共通しているかって言うですね。

異世界転生のアニメって要は「設定」を変えれれば、成功して幸せになれるって前提の話なんですよ(全部じゃないですよ)

最初の方に話した「異世界転生したら今度は頑張る」ってやつですよ。
この「異世界転生」って言葉の中には「最強の能力」ってのも含まれています。

要は生まれ持った設定を良くしたら成功して幸せになれるっていう思いがある話なんですね。

でも、もしも本当にこれが起こったとしてもたぶんダメでしょうね。

(ちなみに、異世界転生したら今度は頑張るの主人公は途中から心を入れ替えて本当に努力します)


何故なら人生において、物理的な成功とか社会的な成功ってかなり「生まれた環境」に左右されます。
それはさっき書いたようにある程度の年齢までは目指すのものは「親」とかの周りの環境が大きく影響するからです。

それによってスタートラインが大幅に変わります。
絶対に無理なのかって言われたらそれは絶対はないとは思いますが、100メートル走で何も持たずに走ってる人と50キロの重りを持って走ってる人で「50キロ」の方が遅いのは当たり前だし、その50キロの人はそもそも100メートル走の競技に出ようと思わない可能性が高いですよね。

最初に書いたスポーツ選手の親がその競技に理解がなくて、「公務員が幸せなんだ」って考えで住んでいるのは雪国の田舎だったら?

ちなみにこの選手は東京都出身でこの競技は日本では主に外でします。
そもそも、田舎ではこの競技をやってる人は少ないし(遊びでは少しはいます)、競技場もまず存在しないし競技で使う道具の専門店もありません。

この環境では「同じように目標を持ってそれを叶えれた」のでしょうか?

絶対に無理とは言いませんが、かなりのハードモードでしょうしそもそもそこまでのモチベーションがあるでしょうか?

環境とやりたいことが噛み合った結果なんだと思うんです。
だから、僕はよくこういう人たちの事を「役割」だって言うのですよ。


では、そんな環境とかもなく目指すこともなく大人になった人、今はまだ若いけどそんな情熱を持つことができない人は「詰んでる」のでしょうか?

僕はそうではないと思います。

それは社会的やお金的な成功はかなり「生まれた環境」が影響します。
だから、そこはとっても不公平です。

でも、心が幸せになれるかとか人生での幸せ感が得れるかっていうのは公平だと思うんですよ。

なぜなら、その心境になれるには僕的な言葉でいうと「気づき」が必要です。

本質的な自分らしい生き方とか、自分の本当の心に従った生き方になるにはこの気づきって必要です。


そしてこの気づくって言うのは一定量の「試練」が必要なんです。

人はある一定以上の量の負荷がかからないと気づくことができないんですね。


その体験から学んで気づくってことが起きます。
これは持って生まれた才能があるからとか幸運だからって少なくなることもありませんが、その一定量を超えたからって必ず気づくわけでもありません。

そしてこの試練というやつは不条理であればあるほど「得れる量」が増えます。


では、不条理ってどんな状態かと言うと「自分の責任ではないこと」です。

大人になってから起こることの殆どは自分の責任の部分が大きいいですし、自分の責任の結果だと認識できてない人はいつまでもそれに気づくまで同じ悩みを引き寄せますから、それに気が付かない限り「量」は増えません。


もちろん、大人になってからでも「自分の責任ではないこと」は起こります。

でも、一番は「生まれた環境」ではないですかね。


これはどうやっても自分の責任にすることはできません。
スピ系の人の中には「生まれも自分の選択」だと言う人もいますが、向こうの世界とか魂のレベルではそいうかもしれませんがそれを思うのは不可能でしょう。

思えたとしたらそれは「気づいた」後のことです。
そうなる前に思えっていうのは本当の意味での「不条理」にあったことのない人の発言だと思います。

あるお坊さんとお話をした時に、座禅ってやつには何の意味もないってお話をされていました。「意味のないことをするのに意味がる」のだそうです。

人間の一番の苦痛の一つが「意味のないこと」をやることなんです。

逆に何かを得ようとして意味を持たせてはいけないんだそうですが、それはとっても矛盾したことですよね。

「ただ、座ってる」

これなんだそうです。

お坊さんってなる方法は色々あるんだそうです。
簡単に通信講座とかでもなる事はできるそうなんですが、僕がお話したお坊さんは九州の山奥の電気もガスも水道も来ていないところで5年間の修行をしたそうです。

お坊さんの荒行には命に関わるようなものもあるそうです。

僕が思うにこういう修行って自ら試練を課すことで、僕で言うところの「気づき」を手に入れる為ではないかと思うんですね。

人生の中での試練では人によってバラつくから、「人工的」に試練を作り出しているんだと思います。

こうやって意味のないことで人工的に「負荷」をかけることでしか「気づき」ってできないんだと思います。

世界中の僧侶とか牧師さんもやっぱりこの「意味のないこと」をやるものがいっぱいあります。

そしてとんでもないような荒行を達成すればするほど高い地位が得られるのですが、それは地位という称号ではなくより深い気づいである「悟り」を得るためだと思うんです。


もちろん人生ではそこまでの悟りは必要はないとは思います。

でも、僕で言うところの「気づき」は幸せを感じるには不可欠で、このれがなければどんなにお金を得ようが地位や栄誉を得ようが幸せ感は増えません。


生まれた環境で不利であればあるほどこの気づきの為の試練は手に入れてることになります。
逆にここが有利な人は社会的な成功はしやすいかわりに、自らがこの試練を作り出さないといけなくなりますが、なまじ物理的には上手くいってるので自らそれをしようと思うこともすることも困難になります。

表面的には上手く行ってたり、死ぬほど追い詰められているわけでもないのに自ら試練を課すのは相当に大変だと思います。

しかし、生まれの環境が困難だと試練は手に入れて量のクリアーは簡単でも、今度は物理的な苦労が足を引っ張ってしまったりします。


どっちが良いかは難しいですが・・・・少なくとも僕みたいな元来のナマケモノは環境が有利だったら気づくなんて事すら考えずにいたと思いますね。


子供時代から目指していたり猛勉強して高学歴になったのはそれはそれで凄いと思いますし努力もされたんだと思いますが、だからってそうしなかった人が怠けてる訳でも甘いわけでもないんです。

そして、そうしてこなかった人が幸せになれないわけでもありません。

それをしたかしないかの違いはほとんどが「環境」のよるもので不公平です。

でも、気づけて幸せになれるかは環境が不利な方が気づきやすいんです。


だから、高学歴でなくても子供時代から目指してなくても今が何歳であっても「幸せ」にはなれるんです。

そこには今の生き方を変えて「気づく」って努力が少し必要にはなりますが・・・・

これで終わります。
 

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