
このシリーズの最終回です。
多くの人は「自分」って存在を正しいってしちゃってるんです。
もっと言うと、自分の中に「正しい」って枠組みを無意識に持っちゃってるんです。
「自分には自信がない」「自分は駄目なやつだ」って人もどこかで「これが正しさ」「これが常識」って自分の「正しさ」を作ってしまっています。
自信がないのはその「自分の正しさ」から自分が外れているからです。だから自分は駄目なやつだって思ってるんですね。
僕が今まで人間関係のことで相談を受けた人の多くもこれが原因。
そして周りで人間関係のトラブルや厄介事によく巻き込まれる人も殆どがこれが原因。
そしてそんな人は、行動に移すかどうかは別にしてそんな自分の正しさから外れた人を「正そう」としたいんです(自分に対しても)
「正そうなんて思ってない」って人も居ますが、そうなら「気にならない」はずなんですよ。でもその人に事が常に引っかかるんですよね。
行動に移さなくてもその人との人間関係で悩んでいる以上はそれは「気にしてる」って事で、それは「自分の正しさの枠組み」と比べてる行為です。
そしてそれは自分の中に作ってしまっている正しさって枠組みと違っているものだから気になってしまうんですよ。
それが今まで書いたように「投影」だったり「自分の真逆」だったりです。
最初の方に書きましたよね。「出会わなければよい」って。
なんでそんな「違う」の存在に出会ってるかって言うと、そんな自分の中にある「真逆」を受け入れるためなんです(なぜ真逆があるかを説明すると恐ろしく長くなるのでやめます)
この世界には「光」があれば必ず「影」が存在するんです。この世界に存在するなら自分の中にも存在するんです。
そしてそれが「人間」って存在なんです。
自分の「正しさ」って光があればそれの「影」が自分の中に存在するんです。
そしてそれも「自分」なんですよ。
だから、「自分の正しさ」でそれと違う相手を正そうとするって行為は自分を攻撃してる事になるんです。
説明のために「投影」と「真逆」って書きましたが、なんであれ自分の中の「投影」なんですね。
「幼い時の未処理な感情」だったり「自分の行動に対する劣等感」だったり「自分の影の部分」だったりを相手に投影している相手が「めんどうな人間関係」を作り出す相手で、そんな相手を「好き」になれとは言いません。これは「感情」ですからどうにもなりません。
でも延々と「正そう」とすればいつまでも「出会い」ます。
それが、気付ける気付けないは別にしても「自分」である以上は「許す」必要があるんです。
正す必要はないんですよ。何度も書いているように「絶対的な正しさ」なんてないんですから「正す」事自体が意味が無いのと、そういった存在は「自分にとって」は「自分が気づく為の存在」でしかないんです。
世界で起こっている「人種差別」「宗教的対立」は、この「自分の中にある正しい」って枠組みと違うものを正そうとするってところが根幹にあり、その「自分の中にある正しいって枠組み」すらも、何処かの誰かに植え付けられたものも多くあるんです。
本質的な「光と影」の自分、それを気づかす為に「めんどうな人間関係」っていうのはやってきてるんです。
それに気づけていれば、周りに「投影」は起こらなくなり、それが最初に言った「出会わなくなればよい」って意味なんです。
そうなってしまうと「めんどうな人間関係」とは無縁になります。仮にいままで「嫌い」とか「ムカつく」みたいに感じていたのと同じような人に出会っても「自分に影響してこなく」なります。
「許す」には「理解」が必要なんです。その手助けになるように「違い」をブログに書いているんです。
そしてブログだけではどうにもならない人に対して客観的に理解する手助けの為にパーソナル心理学で素質をみるって事だったり、「幼い時の未処理な感情」や「自分の行動に対する劣等感」を見つけ出して良い流れにする改善策をする為の「易」の占いだったりするんです。
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