JUGEMテーマ:人生論
前回は「意識」と「無意識」の事を簡単に書きました。
今回はもう少し細かく話していきましょう。
前回、意識が無意識の欲求を「押さえ込み続ける」と無意識は「クーデター」を起こすんだと説明しました。
実はこの意識があまり押さえ込んでいない時期があるのです。それが「子供時代」です。子供の頃と言うのは「意識」の方がまだ確立できていないので、言わば「意識の検問」が無いのです。だから無意識の欲求が素通りしてきます。
しかし「大人」になるにつれて「意識」が確立され始め同時に「社会性」を学びます。
この「社会性」と言うやつが「無意識」にはとてもやっかいな存在なのです。
無意識の欲求多くにはこの社会性とぶつかるものがあり、それらは「社会人」として生きる以上は「意識」は「却下」しないといけないのです。
スピリチュアルや精神世界系の人はよく「無意識」=「心」に従いなさいと言い、「意識」を悪者のように言います。しかし意識の存在がないと「社会性」を失いそれは自分にとってはけして「プラス」にはなりません。
なのでスピリチュアルや精神世界の人たちには「非常識」な人が多いのもこのせいなんです。
「過ぎたるは及ばざるが如し」です。ようはバランスなんです。
無意識側に傾きすぎると「社会性」を失い、意識側に傾くと「楽しさ」を失います。
僕達人間は「社会」という「枠」があって始めて「価値」や「楽しみ」を見出せます。いくら「夢」や「楽しみ」の多くが無意識の方に詰まっていても「意識」を少なくすると「社会」から追い出されてしまうんです。それは結局は「楽しくない人生」になってしまいます。
どちらもバランスよく持つ事です。
「陰と陽」「男と女」「光と闇」
どちらが優れているわけでなくどちらかだけが必要な訳でもありません。
さて、前回の日記で「意識」が無意識を押さえ込んでいる状態の事を少し話しました。これは「意識」の方に大幅に傾いている状態です。
現代人はこちらのタイプの方が圧倒的に多いのです。
その理由の一つには「社会システム」が理由にあります。上で書いたように「社会性」というのは「意識」が作り出しているんです。だから大人になるに連れてその社会性を学ぶほどに「意識」が「無意識」の欲求に「検問」を設けだすんです。これは上でも書いたように社会生活を送る上でとっても必要なんです。
いつまでも「子供」のように「わがまま」を言っているわけにはいきませんからね~
ですから社会に出ると「意識」の領域を一気に増やすんです。
ところがこの「社会性」って言うやつは時代で変わるんです。
戦後間もない頃に日本は焼け野原になり「壊滅」的な状況になっていました。
しかしその後はご存知の通りに「アジアの奇跡」と呼ばれるぐらいの奇跡的な経済発展をし世界トップクラスの経済大国までわずか数十年で回復したんです。
何故こんな事が可能だったのか?
それにはいくつか理由がありますがその一つが日本人の「国民性」です。
当事の日本人は「日本」と言う国を復興する為に「個人」を捨てたのです。
それはある意味では人間の本能のようなものなんですが国民性がそれを強力に後押ししました。
マズローと言う心理学者は「人間の欲求」について多くの事を述べていますが、その中で「人間は『安全』を得られないと自己の欲求を求められない」と言っています。
ようするに、「自分の身の安全」「安定した生活」が無い限り「自己実現」は出来ないと言っているのです。
戦後の日本にはこの「身の安全」「安定した生活」が無くなっていました。
その為には「個人」ではなく「全体」のよ欲求の為に行動していたのです。
そして現代の日本は「豊」になりました(今、これが少し怪しくなってます)
すると人間は今度は「自己欲求」「自己実現」を求めるようになるんです。
しかし、社会システムが簡単に変わるわけも無く、そして「個人を捨てる」のが美徳とする国民性もあって「自己実現」がやりにくい環境にあるんです。
いわば今はその「転換期」にあたるんです。
その為に1990年ごろから一気に「鬱」の人や「引きこもり」の人が増えてきたんです。それは日本人がもう「全体」の為に「個人」を捨てる必要がなくなったのに社会システムはそれを許さない構造になっているからです。
この社会システムというのは何も法律とか教育の事を言っているのではありません。皆さんが良く口にする「常識」というやつです。
この常識と言うものに基づいて「~しなければならない」「~するべきだ」と思い込んでいるんです。
もちろんこの「常識」というやつも「バランス」ですから「必要」なんです。
しかしあまりにもこれに縛られて生きてしまっているんです。
特に僕らの1世代上や2世代上はこれが強いのです。それは上で書いたように「常識」と言う枠で全員が同じ方向に進まないといけなかったからなんです。
ですが今は違います。
「常識」なんて非常にいい加減なものです。
なので「意識の欲求」「無意識の欲求」を区別するのに「~しなければ」とか「大人だから」「男だから」、「~するべきだ」という言葉で欲求してくるのは意識です。無意識の欲求は「~したい」「~欲しい」「~したくない」と「理由」がないのです。
それは意識の欲求が「社会性」から作られた物だからで無意識のよ欲求は自分の中から作られたものだからなんです。
そして現代人はこの無意識の欲求を聞くのがとっても苦手です。
それは周りから「こうするべきだ」を刷り込まれてしまったからなんです。
こんな話をすると「無意識が欲求したら人を殺しても良いのか」って言う人がたまにいます。この質問をすること自体が間違ってるんですが~
これは「Yes」です。
しかし無意識は「幸せ」になる事しか考えていません。人を殺して幸せになれる事があるのでしょうか?僕は無いと思います。仮に捕まらなくても一生心に残るでしょうし・・・・これが戦国時代や戦争中なら少し違うのかもしれませんが・・・
そう言う時代なら無意識が要求してくるかもしれません。
ですが現代ではそれはありえない以上、そんな欲求をしてくる事はなくもしも欲求してきたとすればそれは意識の作り出した「擬似欲求」です。
それでは鏡はこのへんで・・・
つづく~
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