JUGEMテーマ:人生論
しばらく「生年月日」のお話ばかりだったのでたまには違うお話をでもしようかと思います。
僕はいちおう「心理カウンセラー」だったり「占い師」だったりするので「無意識」とかそう言った「目には見えないも」を扱う事が多いです。
なのでカウンセリングの時にも「無意識」とか「心」、「魂」、「霊」、「別次元」などの俗に言う「精神世界系」の話をよくします。
今までの日記もそんあ事を中心に書いてはいたのですが今回はちょっと「現実的」なお話を・・・
もともと僕は「無意識」とかのように「心のあり方」で人生を良くしようというよりは、現実的で「物質的」な事での「成功」を長く学んでいたし実践もしていました。
なので、カウンセリングや占いの中でもこの「現実世界」の事も話します。
どうしてもこの世界の人は「無意識」とか「神」とか「霊」とかで全てを片付けようとする人が多いんですよね~なにかと言うと「神が~」とか「運命が~」とか「天使が~」とか「別の世界の人からのメッセージが~」とか(笑)
確かに目には見えない「流れ」も「無意識の力」も「霊」もそしてなにやら「別の世界からの力」もあるようですしそれも人生をよくする上では重要な「ファクター」です。しかしこういう話をする人やこう言う話にはまってしまっている人は「この事だけ」を解決すればよいと思っています。
ようするに「現実世界」が下で「目に見えない世界」が上のように思っているんです。
逆にこう言う世界を信じない人はあまりにもこう言う世界に「無頓着すぎる」んですんがね~
ようはどちらが上とか重要とかではなくて「バランス」なんです。
さて、毎度毎度、なが~い前置きなんですが~
今回は「時間」の事です。現実的なことなんで「時間の使い方」なんです。
「時間」ってやつは「目には見えない物」なのにとっても「物質的」な現象です。
そして唯一だれにでも平等に与えられている物でもあるんです。
時間ってやつは完全に「不可逆」なもので絶対に「もどる」事がありません。一定方向に流れ続けていて止まる事もありません。流れの速さは変化するようですが・・・・
「戻れない」と書くと「将来、タイムマシンが出来ればもどれる」と考える人もいるでしょう。
現代科学では「未来」に行くのは理論的に可能です。しかし過去に行くのは不可能です。
将来、仮に過去に行く事が出来るようになったとしてもやっぱり時間の流れは「不可逆」なんです。
何故かって?
例えばあなたが30才だとしましょう。タイムマシンで10年前に行きました。そして5年過ごしました。
「あなたの年齢は?」
「25才?」
違いますよ~35才です。
「あなたの意識は35年間経っていますからね」
え?わからない?
30年間生きてきて10年前にタイムスリップしても「30年生きた記憶」は一緒でしょ。
そこから5年間生きればあなたは「35年分」の記憶を持っています。
だから自分外の世界はどうであれあなたの中の世界はどうやっても「不可逆」なんです。
この話をしたら「タイムスリップと同時に10年前の記憶に戻ればよい」って言った人がいます。
これは過去に行った意味がありませんよね~もう一度20才からやっているだけで本人は10年分の記憶がないんですから・・・
なので「意識」の中で言えば時間は絶対に不可逆なんです。
このどうやら僕らではどうにも制御できない時間ってやつなんですが~
いろいろ学んできて思うのは「人生をよくしたい」「人生を思い通りにしたい」って時に一番厄介なのは「無意識」でも「運命」でも「霊」でも「カルマ」でもなくこの「時間」ななのかもしれません。
制御出来ないのなら「有効」に使うかしかありません。
「現実的」な世界の「成功したい」って人たちやスピリチュアルな世界での人達も、もう10年以上そんな人達を見てきましたが、なかなかうまく行かない人達には幾つかの共通点があります。
その共通点の中に「時間の使い方が悪い」ってのがあるんです。
早い話が「行動」しないんです。
勘違いしないで下さいよ~「行動」と言ってもセミナーや勉強会に出まくって人にも会いまくってそして何度失敗しても会社を起こして~みたいな話ではありません(やりたい人はそれでもかまいませんが)
行動の早さとか行動力の事ではないんです。
それは人それぞれなんです。生年月日のお話の中で出てくる「素質論」では「考えてから行動する」タイプと「行動してから考える」タイプが出てきます。
どちらでも人生をよくすることは出来ます。
ちなみに上で書いたような行動をする人はたいがい素質論では919、動物占いではサルの人です(笑)
こんな経験はありませんか?
友達と「今度飲みに行こう」とか「今度食事に行こう」とかって言っていても一向に行った事がない。
また会っても同じように「今度~」と言って気が付けば1年経ってるみたいな事です。
もちろん「社交辞令」の時もありますがそうでない時でもいけない人いますよね~
「何故行けないのか?」
無意識が拒否してる?タイミングじゃない?確かにそれもないとは言いません。
でもほとんどの場合はどちらか片方、もしくは両方が本人も気が付かずに毎日を「ルーティーンワーク」で過ごしているからなんです。
人は意外と毎日違った事をしているようでもっと大きな「枠」でみると同じような事を繰り返しやっているんです。
ある僕の所に相談に来られた女性は何年も自分の置かれている環境から抜け出したいと悩んで来られたそうです。
いろいろなカウンセラー、霊能者、ヒーラー、占い師に相談したそうです。
でも変わらなかったそうです。それは何故か?
その先生方は「無意識」や「霊」、「カルマ」そんな事は変えたのだと思います。
でも彼女の日常の「ルーティーンワーク」はそのままだったんです。
だから僕が彼女にした事、それは日常のルーティンワークを壊しただけです。
話を戻します。
有限な資源である時間をどう使うか?
人の行動には4パターンあります。
「緊急で重要な事」、「緊急だけど重要でない事」、「緊急ではないが重要な事」、「緊急でも重要でもない事」
緊急で重要な事は誰でもします。
例えば「怪我をして病院に行く」
緊急だし重要な事です。
「月末に家賃を振り込む」
これも月末になったら緊急だし重要なことです。
緊急でも重要でもない事は特に気にする必要もないうので・・・・
問題は「緊急だけど重要でない事」と「緊急ではないが重要な事」なんです。
これの区別がうまく出来ていない人がいるんです。
うなく行かない人は「緊急だけど重要ではない事」ばかりをして「緊急ではないが重要な事」をしません。
ここで問題になってくるのは「重要」の定義です。
自分の心を満たしてくれるようなTVアニメを見るのは「重要」です。
しかしただ毎日の習慣でだらだらと見てしますTVアニメは重要ではありません。見たいなら録画しておいて空いた時間に見れば良いのです(たいがいこんな時は録画しただけで見ませんが・・・)
「重要」の度合いは人それぞれです。「家でゴロゴロしていたい」って本当に思ってるなら重要な事です。
先ほどの「一緒に食事でも~」と言っていつまでも行かない人は「録画しておこう」って発想をしません。日常のルーティンワークをもどうする事も出来ないと思い込んでいるんです。それは何が「重要」でそうでないかを考えもしないからです。
そしてそんな人達が口癖のように言うのが「忙しいから~」
いろいろな人を見てきましたが食事にも行けないほど忙しい人はほとんど見た事がありません。
ただ、ルーティンワークを「忙しい」と勘違いしているんです。
逆に「毎日楽しい」とか「自分のやりたい事をしている」ような人は「一日でよくそんだけ出来るな~」ってぐらいいろいろな事をします。でもそんな人は「食事に行こう」って言うとちゃんと行けるんです。
この「やる事」に「流されてる」か「コントロール」しているかの違いです。
これを読んでいる人で「私は家事もあるし子育てもあるしパートにも行かないと行けないし・・・」そんな「時間なんて・・・」って思ってる人いませんか?カウンセリングの時にもよくおられます。
何か変えたいなら「行動」するしかありません。行動するには「時間」が必要です。1日は24時間しかありません。これは誰もが同じだし変える事ができません。
それならば「行動する時間を作る」しかありません。それをするかしないかは「自分の選択」ですが「しないと」何もかわらないのは事実です。
ただ流されて時間を使うか「自分でコントロール」するか~それは人生がただ流されて進んでいるか自分でコントロールしているかと同じ事なんです。
「ただ流される人生」を自分で「選択」したのならそれはそれでOKなんですが(笑)
一度、自分の普段の行動、「やりたい事」を上の4パターンのどれに当てはまるか考えてみると面白いですよ。
「緊急ではないけど重要な事」をどれだけ出来るかです。
ブログランキングに参加中クリックよろしく







ホームページ





