2010年5月に始めたブログ
今日で2周年になりましたぁ
毎日欠かさず更新するのが目標でした
おかげさまで一日も欠かさず来れました
まぁ内容はともかくね
ふふふふ
3周年に向けてまた書きますよぉ~
よろしくだぜぇ~
さて
先日5月1日に
奈良県明日香村に行ってまいりました
ゲテ
中学の頃に遠足で行ってから
すっかり魅力に取り付かれまして
ちょくちょく行ってました
20代のころは
月1回ぐらいで行ってましたねぇ
奈良県の地図でいうと
奈良盆地の南部
赤い四角のあたり
地図でもわかるように
非常に交通の便がよくない
奈良市内観光は寺院が中心だけど
ここは遺跡が中心
寺院観光は比較的一箇所に集中しているが
遺跡となると村内に点在している
したがって
移動は徒歩が基本で
村内を歩きまわることになる
最寄駅からかなり離れた場所にあるため
徒歩が苦手な方はキツイ場所だ
ゲテ
電車を使うか
原付バイクのハリケーン号を使うか
直前まで迷ったが
移動距離を考えると
ハリケーン号が有利と判断
ミニバイクで出発することに
まず
先日行った「橿原神宮前」駅を目指し
そこから
明日香村に入る
自宅を出て約1時間
「甘樫の丘」に到着
「甘樫の丘」(あまかしのおか)
村内を見渡せる小高い丘です
ここは「国営公園」です
画面右がわに何気にハリケーン号が写ってます
自宅から1時間、コイツでここまで走ってきました
ここから写真奥にある丘まで登ります
遠足の子供達
この先、この子達と行く先々で遭遇することに
明日香村村内
大和三山の耳成山(みみなしやま)
同じく大和三山 畝傍山(うねびやま)
この山の麓に先日行った
「橿原神宮」があります
こっちは三輪山(みわやま)
こちらも先日行った
「山の辺の道」の大神神社(おおみわじんじゃ)
のあるとこです
さー
ここが観光の出発点にします
さて
最初に行ったのが
「飛鳥資料館」(あすかしりょうかん)
いろんな展示物があるのですが
・・・すべてレプリカです
ゲテ
あんまりこういうことは言いたくないですが
明日香村にある「~館」は
行かなくていいかと
展示物はレプリカばかりでね
村内には”実物”があるので
あまり意味ないかと・・・
でもね
中には貴重なレプリカも展示されています
これがそう
館内庭園にある
「出水酒船石」(でみずさかふねいし)
大正5年に発掘され
いまは京都のとある高貴なお方のお庭にあるそうです
これはそのレプリカ
これはここでしか見れません
さて
資料館を出てまた丘までもどります
「水落遺跡」(みずおちいせき)
ご覧のとおり
柱の礎石跡だけです
ここには「漏刻」(ろうこく)と呼ばれる
一種の水時計があり
時刻を計っていたらしい
ここはその漏刻があった建屋の跡です
そこから東へ
「飛鳥坐神社」(あすかにいますじんじゃ)
「飛鳥に居ます神社」ではないですよぉ~
古代の「性信仰」の神社で
子安子授けの神社
ご神体はなんと男性器
”オ○ン○ン”の形をした巨石
性器が信仰の対象なんです
が
この日
結婚式なのか
ここから先へは止められてしまった
なにやら撮影をやっていて
写真右にいるカメラマンに
ここから先へは入らないようにっていわれてしまった
・・・あのなぁ、ふざけんな!
なんだいエラそうに!
結婚式の割りに神主もいないし
この写真には写ってないが
新郎がピースして新婦に寄りかかったり
まぁ~ふざけた写真ばかり撮ってやがる
・・・あのなぁ、神前だぞ
も、少し神妙にしたらどうかね
かわいそうなのは遠足の小学生たちだ
カメラマンに追い返された遠足の子供達
せっかくの遠足なのに・・・
怒り心頭のゲテ
撮影中の境内にズカズカ入っていってやったぜぇ~
「フレームに入らなきゃいいんでしょ」
「写り込まなきゃいいでしょ」
って言って堂々と入って行って撮影しました
ワイルドだろぅ
あああ
ハラ立つ!
ブログにのっけてやったよ、無断でねー
さて
ここを出て
「飛鳥寺」(あすかでら)へ
日本最初の仏教寺院
が後に焼失
今あるのは江戸時代の再建
建立当初はかなり大規模な寺院だったらしい
ここのご本尊「釈迦如来坐像」(しゃかにょらいざぞう)は
ちょっと面長
しかもちょっと首が右に(向かって左)に向いている
その方向には聖徳太子ゆかりの
「橘寺」(たちばなてら)というお寺があって
そっちに向いているんだって
飛鳥寺の西側にある
「入鹿の首塚」(いるかのくびづか)
「大化の改新」のクーデターの時
中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)に
首を切り落とされた
実力者・蘇我入鹿(そがのいるか)
その切断された首がここまで飛んできた
といわれる
クーデターの場所はここから南に
200mぐらいのところにあったとされる
「板蓋宮」(いたぶきのみや)
そこから飛んできたんだって
さてさて
飛鳥寺から移動します
「酒船石」(さかぶねいし)
巨石の表面になにやら模様が掘り込まれた
謎の石
なんだかよくわかっていないそうです
水だとか
液体を流したと考えたいけどねぇ
なんだろう
クサビの跡
このあたりの遺跡の石は
このずっと南にある「高取城」という
お城の石垣に利用されたという
この遺跡も
クサビを打たれて割られ
石垣に持っていかれたそうだ
・・・んでなぁ
遠足の少年たちよ
こんなとこで弁当食うな!
観光できないでしょーが
しかもこの時間
まだ11時15分だぞ
・・・ったく
さて
酒舟石がちょっと小高いとこにあるんですが
そこから少し下ったとこにあるのが
2000年に発掘された
「亀形石造物」(かめがたせきぞうぶつ)
ゲテが明日香に行かなくなってから
発掘されたのもなので
ゲテも今回初めて直に見ることに
「日本書紀」の
斉明天皇に時代に
ここの造営を思わせる記述がるらしい
ってことは1300年前のもだ
これ1300年間
地面に埋まってたんだ
さー
これもなんだかよくわかってないが
高貴な方のお庭なんだろうね、きっと
ここは見学料250円
保存・維持のためのカンパと思ってください
さて
さっきちょっと出た「板蓋の宮」
「伝・飛鳥板蓋宮跡」(でん・あすかいたぶきのみやあと)
”伝”なんですよ
あくまで「昔からそう伝わってる」ということです
ここが大化の改新の舞台となったお屋敷跡
さー
こっから登坂道です
ここを登っていくと
「岡寺」(おかでら)
厄除けの寺です
それだけ
ここは特になにもないんでスルーします
悪しからず
来ました
「石舞台古墳」(いしぶたいこふん)
教科書で一度は見たことあるでしょ
いやー
でかいのなんの
重機の無い時代
人力だけでこれを運んで
積み上げたんだから
バカみたいだが”すごい”としか言いようがない
遠足の子供達
さて
中に入って写真でも
と思ったがこの混雑!
なんでこんなにと
思ってみていると
古墳の中で集合写真撮ってるバカがいる
そりゃ混雑するわ
上の写真でいうと左下にいる
紺のジャージの生徒たちだ
・・・そんなトコで集合写真はダメでしょーが
どこの学校だい!
ってじーっとみていると
彼ら日本語しゃべっていないのだ
韓国語だ
ありゃー
韓国からの修学旅行かい
そりゃまいったなぁ
日本人とは常識が違うか
でもまぁ
そこは古墳で人のお墓だ
記念写真にはあんまり感心する場所ではない
知らんかったとは”言わせねぇよ” (我が家)
彼らが出た後は
ご覧の通りすっきり
じゃ
ゲテも入っていきましょう
一番奥の突き当たり
奥に向かって左壁
右壁
奥から羨道(せんどう)部分に向かって
いずれもストロボで撮影しました
ストロボ無しの自然光ならこんな感じ
天井部
足元
いやー
もうド迫力です
さー
お昼です、お昼
石舞台古墳横にある公園で
お昼に
わー
遠足の小学生ばっかり・・・
さっきの石舞台古墳でも
あるおばあさんに
「沢山の生徒さんで大変やねぇ」だって
ゲテ
引率の教師だと思われたみたいだ
「ああ、はいそうですねぇ」
なんてテキトーに返してしまったわい
おばあちゃん、ゴメンね
ゲテ自作で愛用の低血糖防止キット
「ハイチュウ詰め合わせ」
いつも持ってます
ふふふふ
さーて
お昼済ませたゲテ
ここで急遽予定を変更
ハリケーン号を山に向けて走らせます
石舞台古墳から東
山道を登っていくと
そこに
「談山神社」(だんざんじんじゃ)
があります
もー静かなとこでね
本堂、下から
境内
紅葉がきれいなトコなんですが
残念ながら季節が違いました
本堂
いいでしょ
こういうところ
とにかく山ん中でね
交通の便も悪い
だもんで
人がゾロゾロしていなくて
ほんと静かなところです
ここは
「談山」と書いて「かたらい山」ともいう
中大兄皇子(なかのおうえのおうじ)と藤原鎌足(ふじわらのかまたり)
が
天皇家に取り入ろうと図る蘇我一族を宮中から
駆逐するため
この山奥に入って密談したという
だから「からたいやま」と言うのだそうだ
この談山神社も
藤原鎌足を中心とした藤原家を祀っている
こんな深~い山奥まで
来ないと密談もできないぐらい
蘇我一族は実力があったんだなぁ
さー
元来た道を戻ります
ここから眺めは最高です
正面の山は
右から葛城山(かつらぎさん)、金剛山(こんごうざん)
この山
実は昔は「女人禁制」だったそうです
当時の石標が残ってます
こういうとこ下っていきますぅ~
ヒュ~
かなり下がってきました
正面の山並み
右の2つコブの山が「二上山」(にじょうざん/ふたかみやま)
その麓が「当麻」(たいま)です
先日のブログに書いた
「亀石伝説」で水を奪ったトコです
さー
残りわずかになってきました
石舞台古墳まで戻ってきまして
ここからちょいと南に
「マラ石」
はい、見てのとおり
男性器の形をしとーります
オ○ン○ンの形
これも古代の性信仰です
昔は医学もなくて
男と女が愛し合って
妊娠して出産する
ってことが不思議だったんでしょーね
それこそ
そこに神が宿ってるって信じたんでしょう
古代の人たちの素朴さを感じます
この遺跡はちゃんと子授けの信仰の対象です
「亀石」
はい
カメちゃんです
先日紹介しました
かわいいんよ、カメちゃん
モゾモゾ動きそうです
ここから南に少し歩いたところ
「鬼の雪隠・俎板」(おにのせっちん・またいた)
これが「俎板」(まないた)
こっちが「雪隠」(せっちん)
雪隠
つまりは「おトイレ」
伝説があって
このあたりを通る旅人が
道に迷うと鬼が現れ
旅人を取って食っちゃったそうだ
その時に
俎板で調理して
食後
雪隠で用を足したという
写真のような位置にあって
上の竹やぶの中に俎板があって
下に雪隠がある(写真中央)
で、これ
イラストにしてみた
もともと
底板(俎板)に石棺(雪隠)がかぶっていた
それがなにかの災害で
石棺がゴロゴロと下に転がり落ちたという
いやー
おもしろいねぇ
ここでゲテ
不覚にも道に迷ってしまったのだ
で
一旦、近鉄飛鳥駅前に出てみた
「あ、あの子たちだ」
旅の冒頭
甘樫の丘で一緒だった小学生たち
駅で電車待ってたよ
ほほほほ
いい旅やったねぇ
一生の思い出になればいいね
ゲテも遠足がキッカケだった
あー
そうそう
最後の目的地
「高松塚古墳」(たかまつづかこふん)
飛鳥駅からバイクで5分ほど
国営公園に到着
芝生公園を通って行きます
やっと来ました
以前はこの中に石棺があったのですが
今は解体され別の場所で厳重に保管されているそうです
したがって
ここにはもうなにもない
ただの丘です
以前はここにコンクリート製の
古墳の入り口がありました
その横にある
「壁画館」
壁画を細部まで複製されたものが展示されてます
これで予定はすべて回りました
ふー
時間は午後3時30分
やっぱバイクで正解でした
徒歩じゃとても回れなかった
高松塚公園の駐輪場
ハリケーン号
おつかれー
じゃもう一丁
家まであと20kmほど行くぜぇ~
全行程で72kmほどでした
がんばってくれましたぁ~
ハリケーン号
ってわけで
大作ブログ
これにて終了です
さて
3周年に向けてまた書きます
またよろしくです
じゃまた