ぼくのなつやすみ | ゲテのブログ

ゲテのブログ

日々思いついたコトをいろいろ綴ってます

夏休みだ


もう1/3ぐらいは消化してしまったのではないか


お子様をお持ちの方は

大変だと思いますが

・・・まだまだ道のりは長いですぞ


夏はとにかくイベントが多いのだ


お中元だ、夏休みだ、お盆だ、家族旅行だ


心も体も休まるときはない


子供さんのおられる家庭は

学校行事なんかにも、引っ張り出されるのでないか


いや、お気の毒です


お気持ち察します



さて

みなさんは子供のころ

どんな夏休みを過ごされたのだろうか


みなさんもそうかも知れないが


あんまり悪い思い出はないのだ


楽しかったことしか覚えていない


オレは幸せもんか・・・


小学校低学年のころは「野球」だった

意外だが7~8歳のころは野球好きだったのだ


当時(昭和40年代後半)は今の住まいあたりは

造成地帯で、家なんて4軒ぐらいしかなかったのだ


当時の写真があるのだが

グランドに住んでるのか?

って思うぐらいひろーい宅地街に

ポツンとウチの家があった


半年後向かいに転居してきた


そこに住む幼馴染などと一緒に、その空き地で

野球をやっていた


が、そこに”大人”が入って来た

「怪我しちゃいかん」とかで

昔、”腕に憶えのある”オッサンたちが「割り込んで」来たのだ


当時から反骨分子の塊だったわたし

俄然、つまらなくなって

止めた


何かとうるさいのだ

「野球、うまくなりたいんだろ!」とか言うのだが


・・・別になりたかないよ


楽しくやりたかったのだが

「遊び」が「練習」になった

ので、急に醒めた


中学のころは写真

父親のニコンを借りてよく撮影に出かけた


奈良なんで

被写体には困らないのだ


自然に寺社仏閣に足が向く


「じじいか!」ってクラスの女の子に笑われたよ


「おうおう、じじいやで!おしっこするから手伝って!」

「きゃー、へんたい!」



当時、「歴女」なんていなかったから

女子からは「変態の老いぼれ」扱いされていた



高校は楽しかった


友人たちと自主映画を制作していた


わたしは作文のウデを買われて

脚本を担当した


実は中学の頃から映画は作っていた

当時はやっぱり

「スターウォーズ」だ

かなり影響された

山に入って撮影した

「他の惑星」に降りた地球人が

その星の人と争いになるって

どーしよーもない展開


でも、マジだった


高校の頃はジャッキー・チェンにハマった

クラスに少林寺拳法をやっている者がいて

そいつを引っ張り込んだ


今、1300年祭をやっている

平城宮跡をロケ地とした


夏場は暑くて日陰のない

あんなところ誰もいないのだ


最初は嫌がっていた主演のヤツ


現地に着いたらスポーツバッグを開けて

なにやら出してきた


・・・ヌンチャク


やる気マンマンだった


わたしは脚本だから油断していたが

監督が

「ゲテ!裸になって!」

「ん!なんで?」

「香港から来た運び屋の、ボディーガード役や」っていう

「・・・そんな役ないぞ!」

わたしの脚本に、そもそも香港人などいないのだ

「主演さんのご指名!」


主演のヤツ

ストーリー変えやがった!


もう、ノリノリだったのだ


わたし上半身裸で

主演と闘うハメに


ブンブン、ヌンチャク振り回し

「アチョー!」って

掛け声までだした


ええ!


やがて主演のやつ

またバッグからなにやら出してきた


・・・赤と青の絵の具


血糊だと


くちびるの横に赤を付け

頬には赤と青を混ぜて紺にして

青アザを付けた


もちろん最後はわたしがやられる・・・ってか死ぬ!


股間に拳の一撃を入れられ、白目剥いて死ぬのだ


これ、すべて主演のヤツが書いたシナリオだった



完成したVHSビデオは今も手元にある



で、調子にのって続編を制作


今度は冬2月だった


上半身裸で

「ア~チョ~!」

ってやった


わたしの役はなんと前作と同じ役だ

「・・・実は死んでいなかった!」ってやつだ


・・・死んだじゃん!


翌日、学校に行くと

撮影メンバーはみんな


・・・風邪で休んでいた




いやバカでしたよ