Healing on Sunday!
こんにちは、M.Y.がナビゲートしています。いつもありがとうございます。
明日は秋分の日ですが、自宅庭の鳳仙花(ピンク)5年に渡る5世代目が桜みたいでめっちゃきれいに咲き誇っています。
種子購入時は紫:赤:ピンク=4:4:2くらいでの混合でしたが、昨年はほぼ種子をゆうちゃんのお気に入りピンクに絞って収穫し、今年5月にそれらを埋めての実験でしたが大成功!
華やかで、まるで君たちのようだなーなんて、種子を収穫しまた来年もやるつもりです。
それが何か分からず
去る8/28に子どもが誕生しました。Yulia Yulina 何故ふたつとなって生を受けたのだろうか、神のみぞ知る定め。
-あはは、まいったな俺のファースト抱っこを奪われたゆりあはちょっと嫉妬しちゃうんだろうけど、笑。いずれ両手でふたり抱えてバッチリ抱っこしてあげるつもりだよ。わくわく。
『パパじゃなくて良かったー♪と言われるかもね!ゆりなもわたしに嫉妬しちゃうかなー?』
「それやめて、だけど女のコだからありうる切なさよ。ってか感性的にもただ不公平は避けたいって考えているんだ。」
産まれたてのこの手この身体壊さぬように、慎重であるがため今は一度にふたりは抱っこ出来ないから、妻や僕とてそんな致命的な隙が出来てしまう。
そんな折に触れ、何故僕がいるのかその意味を知る。互いを助けるための片手なのだと。産まれたばかりの娘たちにも、あらためて気づかされた気がします。
ゆうちゃんいなければ何も無かった。そしてあの時、生死を彷徨った僕自身、今生きていなければ何も無かった。気配に抱かれ確かに聞こえた妻の呼ぶ声。
まさしく病めるときも健やかなるときも、ふたりで乗り越えて来た。ならば今度は命を懸けてきみを守ろうとあの時以来そう僕は誓った。
「命を懸けることと、命を軽く扱うことは似ているようで全然違うぞ。赤ちゃんのことも大切だし自分自身のこともそう、君がいてくれなきゃ。生死の境で生きている奴は、死んでも良いなんて絶対に言わない。毎日完璧な体調管理スケジュールをこなしながら、致死量ギリギリの毒をいつでも、躊躇いなく飲める奴が生き残れるんだ。ゆうちゃん来れるかこっちへ。今度は俺の番、今度は俺がいるし、輸血も何でもするからね。」
お腹の子が双子と知り得た日から諸刃の剣かのよう、かくも激励しつつも悩まくも落ち着けない日々だった。それはかつて母が妹出産し引き換えに亡くなったことにも負った。帝王ゆえにお腹を傷めつつも無事に乗り越えた妻と、元気に舞い降りた娘たち、3人とも無事であったこと、どれほど愛しい存在なのだろうか。
虚無の世界とは対照的な、対にある死を凌駕するほどの美しきは生、幾重に重なる命のきらめき。これぞ母なる大地、人類の長い進化の旅路、本能に基づく悲願であり生の極致。目の当たりにさせてくれてありがとう。惜しみない賞賛と愛情を、妻娘たちに捧げよう。
もっとも、これから色々もっとシビアになるから、また色々協力してやっていくことがあるけど、サポートし合うのは決して特別なことじゃないからな。連れが連れを助けることは当たり前のことだから。
娘たち自身にもお互いそうであって欲しいと願う。かくも何故ひとつからふたりが産まれたのか、そのルーツこそが、そこにもまた繋がって行くはず。自ら辿り着くその日まで、やがてこの手を振りほどいた瞬間に僕は、また気づくのだろう。初心不可忘。
たとえ目に見えぬところに離れたとしても、瞳に映る君たち。ハートは決して離れない、離さない。
健康第一、それがなにごとにも勝敗を分かつ境、僕の血を受け継いでいるのなら、と誇れるのはそれだけかもしれない、何よりママのように強く優しく美しい女のコになって欲しいです。令和元年ベビー、大人になったらパパとママって、しょ、昭和?って絶対言われるんですよ。分かります。
まるで墓場に一歩近づいているかのようだな。笑
今日が人生の最後の日でも 50年後でも あなたに出会えて 誰よりも幸せだったと
年をひとつ重ねるたびに、過去が愛おしくも狂おしかったり、愛された記憶、失った記憶、温かな家、、そんなふうに思うのは、やっぱり時間は巻き戻すことができないからなのだ、と。
Keep movin’!