Healing on Wednesday!こんにちは、M.Y.がナビゲートしています。いつもありがとうございます。
去る2/8、Say a little prayer(小さい祈りを捧げる)を書いた翌日、祖母が旅立ちました。まるで最期に見てくれていたかのような感じがして、、奇しくも昨年僕が退院した日でもあった。1年無事にと、その矢先の最後の日だったから、、だから本当はショックだった。
でも、たとえ地上にはいなくなっても胸に生きづいているのなら、僕はまた生まれ変わったのだろう。
そう、人は生きながらに何回も生まれ変わる。肉体も精神も、毎日少しずつ変化し、一瞬たりとも同じではないからね。同じようにお別れも、僕らが受け入れ、人の死を乗り越え、変化するための儀式なんだと。。
祖母が生きていた時の自分と、祖母が旅立ったいまの自分も全く違う自分だ。成人して、就職して、愛する人と結婚もした、そしてまだ見ぬきみに願いを掛けた。お別れの儀式は、そんな自分自身の変化も受け入れ、認識する儀式であるかな。
そこには、老若男女色んな人がいて、ちっさいコもいれば、祖母と同じくらいのお年寄りもいる、、その分の人の人生すべてがそこにある。それらをもまた見て触れ合うことで、自分がいま生きていることを いや今このとき生かされていることを知る。
かつて
母は妹を産んだ後に子宮大量出血を発症して、、そのまま息を引き取りました。だから、僕らはおばあちゃんコだった。よく一緒に畑に行って手伝ったり、肩たたきしてあげたり、ちっさい頃からおばあちゃんが好んで食べるようなものだけを、僕も好んで食べた。
小学の頃は『おばあちゃんの作った茄子の漬物が好物です』とか書いてたくらい、大根の煮物とか魚に、春になれば山菜フィーバーで食卓が緑一色だったり、毎日がそう「精進料理」みたいなものだ。分かるかな?この感覚。
ちなみに、それが、僕がノンミートになった最大の要因で、幼少から既にそうだった。そんなふうに僕の食の原点は祖母にあって、僕にその点が繋がっているとはとうの昔から気づいていたけれど、祖母を失ったことで、姿を変えて魂となって僕の中に生きづいているんだってことを実感できたから、悲しいなよりも嬉しいな、といま思うことができる。
姉が式で『わたしの母親の存在だった』と言ってて、、のような、と言わなかったところが、姉らしいなって思って、刹那さに泣いた。
祖父が天国で花束持って待ってるから、安心して。
「ありがとう、ごめんなさい、さよなら、愛しています、そしてまた天国で 来世で会いましょう」
今日が人生の最後の日でも 50年後でも あなたに出会えて 誰よりも幸せだったと
年をひとつ重ねるたびに、過去が愛おしくも狂おしかったり、愛された記憶、失った記憶、温かな家、、そんなふうに思うのは、やっぱり時間は巻き戻すことができないからなのだ、と。少しの勇気と、大きな希望を胸に今日を全速で駆け抜けよう。Keep movin’!