覚えておきたい陶器(九谷焼) | 出張京料理のブログ

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和食の本場、京都の「京懐石 美濃吉」や割烹料理店で 修行してきました。現在は梅田の居酒屋で料理長をしつつ、 イベントなどでも料理を提供しています。酒ディプロマ利酒師の資格も取得。 現在は日本酒の定期サービスsaketakuのエバンジェリストとしても活動中です。

九谷焼の歴史は、
江戸時代初期の1655(明暦元)年ごろに
さかのぼります。
加賀の支藩だった大聖寺藩の
初代藩主・前田利治(まえだ・とし はる)が、
領内の九谷(現在の石川県山中町九谷)の金山で
陶石が発見されたのに着目し、
金山で錬金の役を務めていた後藤才次郎に命じて
肥前有田で製陶を学ばせました。
その技術を導入し、
九谷に窯を築いたのが始まりとされています。

九谷の窯は1700年代の初頭に突然に、
閉じられてしまいましたが、
原因はいまだに定かではありません。
この間に焼かれたものが後世、
古九谷(こくたに)と呼ばれ、
日本の色絵磁器の代表として
独特の力強い様式美が 高く評価されています。


古九谷の廃窯から約80年後、
加賀藩営で金沢に春日山(かすがやま) 窯が開かれ、
再興九谷の時代に入りました。
春日山窯の木米(もくべい)風、
古九谷の再興を目指した吉田屋窯、
赤絵細描画の宮本屋窯、
金襴手の永楽(えいらく)窯など
数多くの窯が出現し、
それぞれに素晴らしい画風を作り出してきました。

明治時代に入ってからは、
斎田 道開(さいだ どうかい)、
九谷 庄三(く たに しょうざ)らの活躍もあって、
大量の九谷焼が海外へ輸出されました。
今日の九谷焼は、
各時代の窯の上絵付けの作風を源流に、
以前にも増して活発な生産が続けられています。



古九谷
狩野派の名匠・久隅守景の指導を
受けたといわれるもので、
青(緑)・黄・赤・紫・紺青の五彩を使い、
絵画的に完成された表現力で大胆な構図、
のびのび とした自由な線描き、
豪快で深い味わいが魅力となっています。


木米
古九谷が廃窯されてから約80年後、加 賀藩営で金沢に春日山窯が開かれました。京都の文人画家・青木木米の指導により、全面に赤をほどこし、人物を主に五彩を使って描き込んであります。 中国風の上絵といえるでしょう。


吉田屋青手古九谷の塗り埋め様式を再興したもので、赤を使わず青(緑)・黄・紫・紺青の四彩を使っています。模様のほかに小紋を地紋様風にして、器物全面 を絵の具で塗り埋めた、重厚さのある 作風で独特の雰囲気があります。


飯田屋赤により綿密に人物を描き、その周りを小紋などで埋め尽くし、所々に金彩を加えてあります。一見して筆舌につくしがたいほどの赤絵細密描画です。


永楽永楽和全による京焼金襴手手法で全面を赤で下塗りし、その上に金のみで彩色した豪華けんらんな作風とともに、京焼風な洗練された美しさをみせています。


庄三古九谷・吉田屋・赤絵・金襴手のすべての手法を間取り方式で取り入れ、これらを洋絵の具で綿密に描き込んだ彩色金襴手です。明治以降の産業九谷の 主流となった作風です。