あっという間に疎遠になった彼のことをいつも考える。

 

そして他人の心は計り知れないものだという思いを深くする。

 

私と親友たちの会話では、なんでもない内容。

 

マインドや自我と呼ばれる物をどうするか。

 

大いなる真我で包み、溶かすというのが最近の見解。

 

真我はイコール神であったり、存在であったり、創造主であったり・・・。

 

その人が感じるままでよいのだけれど

 

三人三様、皆全く違う宇宙を生きているようで

 

表現が違う。

 

それでもはっきりとした目的があって生まれてきたという自覚がある。

 

しかし、50歳過ぎまで、社会で生きてきた人には、このような世界観は

 

「恐怖」だったのだろうか。

 

付き合い始めてすぐの頃、親友のブログを紹介したら

 

「怖かったから見ていない」と言われて

 

愕然とした。

 

ラマナ・マハリシやクリシュナムルティは新興宗教でもなく、古い仏教でもなく

 

一人で自分を探求するとても安全な道だと

 

思っているが、それは親友たちと私の共通認識であって

 

それ以上ではないのだと、分からされたと言うことだろう。

 

高学歴で頭脳明晰で、成績優秀だった人でも

 

興味、理解力、勇気、生い立ちなどさまざまなものが違うと

 

恐れが先にくることもあるという教訓を

 

身をもって経験した。

 

あらゆる道はそのために用意されているのだと思う。

 

私は彼に対して、いつも、低学歴であることや

 

高年齢であることや、低収入であることを

 

気にしてきたのだが彼には彼のアキレス腱があると言うことだろう。