小学校の頃、通知表にいつも書かれていた私の性格。

 

正義感、責任感が強い。

 

しかし決して書かれる事の無かった言葉。

 

協調性。

 

毎日の自宅での暮らしは、非常に息苦しく、

 

家に帰りたくない子供だった。

 

私にとって正義を振りかざすことは私の逃げだったし、

 

学校での役割をがんばることは生きがいだったかも。

 

後年、私は他人と私の違いはなんだろうと考えた。

 

友人のしている事を、とがめない、見てみぬふりをする、

 

友人に話しを合わせる、などはそうできる人の

 

弱さから来るのか、それとも、優しさから来るのか。

 

長い間悩んだ挙句に、少しづつ、妥協していったように思う。

 

そして今は全く違う場所から、違う思いで、

 

同じような行動をしている。

 

人は決められた運命に従って生きているような気がするのだ。

 

誰もそれを裁けない。正義は本来多様性に富んでおり、

 

一つではない。

 

真実も真理もころころ変わる。

 

人々は誰でも、与えられた環境でその人生を

 

生きており、他人は一切の手出しが出来ない。

 

ただ、慈しむ事は出来るような気がする。

 

この世界の最も重要な構成要素は

 

この世界をかたち作っている「慈愛」のような気がしているのだ。