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ぽっちゃりひしょのブログ

私の日々に起こったこと(?)をあれこれ書いております。
作文の練習みたいですんません。

なんと、西国33カ所を周ってブログにもアップしてきましたが、

11月は最後の33番華厳寺に行って満願となりました。

 

元々は

ブタネコ これってどうせ、清水寺とか六波羅蜜寺とかは

   今までも行ってるわけだから、残り周ったらええやん

 

とか言いながら気軽に始めた西国33カ所巡りでしたが、

何年かかけてまったりしながらも全部周れたのは

ちょっと、いや、かなり嬉しいところです。

 

一緒に周った友人も大満足で、達成感もあり。

車で行ったところも多かったけど

昔の人はこれ、全部歩いて行ったんかぁと

改めて昔の人ってすごい健脚だったんやねぇと感心。

 

さて、満願のお寺とされる華厳寺は、岐阜にあり、

神戸からとなると西国33カ所は1番と33番が遠いところ

ということになります。

1番の青岸渡寺もバスツアーで行きましたが、

33番の華厳寺もバスツアーにしました。

 

この西国シリーズのバスツアーがいいのは、

先達さんと呼ばれるお詣りのプロのような方が

ガイドのような役割を担って

お寺のことや西国33カ所のお詣りについての解説を

してくださることです。

 

青岸渡寺行きのツアーの先達さんは男性だったのですが

今回は女性の先達さんでした。どちらの方もほっこりして親切。

そういう方が先達さんになるのかなと。

 

さて、今回のツアーは、実は32番の観音正寺とセットでした。

私達は観音正寺は2年前にすでにお詣りしていたのですが、

先達さんがいるとちょっと詳しいお話しも聞けて、前回は

観なかった仏像も観ることができたのでちょっとお得。

 

今回は観音正寺のことは書きませんが、記録はこちら。

http://ameblo.jp/gessoika/entry-11936870103.html

(愛想のないURL貼り付けですんません)

 

ただ、このツアーに行ったのは11月の紅葉の季節だったので

観音正寺で撮ったきれいな木の写真を貼っておきます。

 

さて、肝心の華厳寺ですが、印象的だったのはお店の並ぶ参道です。

お詣り後に撮った写真も後ほど貼りますが、とりあえず雰囲気は

こんな感じ。

参道も整備されていて、いい感じです。そしてこちらも紅葉していました。

 

いよいよ満願霊場といわれる華厳寺です。

正式の名前は谷汲山華厳寺(たにぐみさんけごんじ)といい、

その山号と寺号は醍醐天皇がつけたそう。創建は798年です。

 

朱雀天皇から勅願寺に定められ、花山、後白河などの天皇など皇室や

朝廷からも大事にされたそうです。

 

仁王門には当然、仁王さんがおられるのです。 こちら右のお方。

そして、左のお方。 どちらも迫力あっていいですねぇ。(運慶らしい)

 

そして、仁王さんたちの横のほうにはどでかい草鞋(わらじ)

大きな草鞋のあるお寺は他にもありますが、

道中の足腰の無事をお祈りしているものでしょうか。

これ、作るの大変だったろうなぁ・・・(そこか)

 

仁王門から参道が続きます。

 

こちらも きれいな紅葉でした。

 

階段の先に見えているのが本堂です。

ただ、私、本堂自体の写真は撮ってないのです。

これは、ツアーなので遅れないようにしたためだと思われ。

本堂には十一面観音菩薩像が祀られていますが、こちら秘仏なので

見ることはできません。

 

そして、本堂の写真を撮らなかったことでもうひとつ逃してしまったのが

「精進落としの鯉」です。

本堂の柱に鯉がついていて、満願を済ませた後にそれを触ると

精進から解放される、というもの うお座

 

出てくる時に触るのも忘れた私。はぁ~。

精進落としができてない・・・いやいやちょっと待て。精進生活してなかったし。

落とすものもないのでは(深く追求しないこと)

 

・・・と、そこはさておき、こちらは笈摺堂(おいずるどう)です。

ネットを参照すると、ここは元々、西国三十三カ所の満願を

迎えた人が、お詣りの時に着ていた笈摺と呼ばれる衣を

奉納するところだそうです。(そこは現地で聞き逃している私でした)

 

さて、ここから「満願道」へと向かいます。

 

次回へ続く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

元興寺は奈良でもメジャーなお寺なのですが、

どういうわけか、今まで行った記憶がなくて

今回の「古地図ウォーク」で行ったのが

初めての体験となりました。

 

古地図ウォーク「怨霊伝説」の最終目的地がこの元興寺。

ツアーを先導して色々と説明をしてくださった

元興寺文化財研究所総合文化財センター(何て長い名前なんだ!)

研究員のHさんとはここでお別れ。

とっても優しそうなおにいさんでした。(←おばちゃんなのでこの発言となる)

 

私達は元興寺の拝観もさせていただけるということで、引率で一緒に

ツアーを回ってくださったお坊さまたちおふたりと中に入りました。

 

これは極楽堂

 

実は、元興寺の建物で写真撮ってるのはこれだけなのです。

ずーっと歩いてきたのでちょっと疲れたかも。

 

すずしい風がそよぐ極楽堂の中でお坊さまの説明など聞きながら

心は極楽あたりに飛んでおりました。

 

ここでちょっと元興寺について。

建立は蘇我馬子と、これまた古い。

いただいた冊子によると、

馬子さんは後の聖徳太子と一緒になって

排仏を主張していた物部氏との争いに勝ち、

日本に仏教受容の道を開いた、とあります。

 

そこから元興寺の前進、飛鳥寺を建立。

そこから、法興寺飛鳥大寺元興寺

名前も性格も変わってきたそうです。

 

今の飛鳥寺は、この法興寺の後進と

こちらの情報はウィキから(大丈夫かこれ)

 

平安時代の前半までは、元興寺は南都七大寺のひとつとして

指導的な役割を果たしていたそうですが、その後

官寺の支えであった中央政府権力が衰えてもろとも衰退。

古地図ウォークのブログの最初のほうに書いたように

火事やら戦やらもあって境内も小さくなっちゃったんですね。

 

ところで、南都七大寺 なんて聞くと、北斗の拳を思い出してる私は

かなりよろしくないかと・・・(告白)

 

もとい。元興寺の見学に戻ります。

中の仏さまなどの写真はもちろん撮っておりませんが、

ここでちょっと暑さも落ち着き、境内をぐるりと一周。

 

この時は、屋根の修理をしていたのですが、元興寺の瓦は

普通のものとはちょっと違っていて、丸瓦と平瓦が重なり合って

葺かれているそうです。これは飛鳥時代の古式瓦を伝えていると。

確かに、色合いが面白いんですね。興味のある方は

ネットで見てください。

 

極楽道を出ると、そこには広がる石塔や石仏が。

これは、全体を総称して浮図田(ふとでん)と呼ぶそうです。

横にあった立標識の説明によると、二千五百余基の石塔や石仏など、

寺内や周辺地域から集まったもので、鎌倉から江戸時代のものなどが多いとか。

 

浄土往生を願ってお寺の関係の人たちや近所の人たちが作った

供養仏塔となっています。 8月の地蔵会に万灯供養をするそうで、

それはきれいだろうなぁ・・・

 

境内でもうひとつよく知られるのが、このかえる石

こちらも横の標識によると、元々は大阪城の蛙石だったと。

河内の川べりにあった殺生石で、秀吉が気に入って

大阪城に運び込まれたそうです。

 

はい。そこのあなた。物騒なこと考えましたね。私も「へっ?」と思ったので

ググりましたぞ。殺生石とは、火山や温泉地で出る溶岩などの石です。

付近一帯にガスが噴出しているので鳥獣が近づくと命を奪われるという

意味で殺生だそうです。ひとつ賢うなったぞ。

(なんでそれが河内の川べりに来たんや、という疑問は置いておく)

 

説明の続きですが、「この石には淀君の霊がこもっているとも云い・・・(中略)

大阪城にあった頃は堀に身を投げた人も必ずこの石の下に帰ると言われた。」

そうです。その後、元興寺に移されて、極楽堂に向かって安置されたと。

 

カエルに見えるっちゃ見える。(隣りのカエルさんの置物が可愛いんですが)

ぶっちゃけ 淀君の霊は恐くなさそうだけど。

 

元興寺境内ご紹介の最後に、境内にあった石仏をば。

立札には、肘塚(かいのづか)石造物群 とあります。

お地蔵さんもそうだけど、石仏もなんか可愛い。

こうやって、色々なものに感謝したり、悪いことが起こらないでと願ったり

そういう慣習が今も形として残ってるのかなぁと思います。

 

元興寺は、またならまちあたりに行った時に

もうちょっとゆっくり見てみたいとも思ったお寺です。

その時は、もっと写真を撮ろう。

 

では、元興寺古地図ウォーク「怨霊伝説」

ご報告ブログ最後は、

とても暑かったので ついつい食べた

かき氷の写真

 

ならまちでは、「奈良かき氷ガイド」なるものもピックアップ。

ブームなのか、かき氷 カキ氷

 

・・・と、夏のことを今ごろ書くと季節はずれの話題になります。

 

この項、終了 とびだすうさぎ2

 

 

 

 

 

 


 

 

うずまく怨霊を抑えて明るく祀っている(?)

御霊神社を出た私達。

元興寺までは、まだまだあるビックリマーク

 

ということで、次に向かったのは、

藤原弘嗣の怨霊にバラバラにされたとされる坊さん、玄昉の

頭が埋められているところと言われる頭塔です。

 

ここを見学するのにいただいた冊子の表紙が一番わかりやすい。

(影は気にせんように)

玄昉の頭が埋まっているという伝説はあるけれど、本来の

土塔(どとう)がなまって頭塔(ずとう)になったみたいだと。ふぅ~ん。

役割は、仏舎利を納める仏塔と考えられるそうです。

 

ちゃんと見学するデッキがありまして。(上の写真だと手前のところです)

ここでH研究員のお話しを聞いているわけでございます。

で、面白いのは、奇数の4面には、石仏が配置されているということ。

各11基ずつ44基あるそうなのですが、現在までに確認されているのは

28基だそうです。

 

頭塔石仏と呼ばれるのですが、

こちらも冊子の中の写真でどうぞ。光ってるのは気にせんように。

(要するに、ライトがあって光るタイプの紙だとちゃんと写真が撮れない人)

 

この頭塔は色々と調査され、復原されたと冊子にも書いてあります。

調査だけでも昭和61年から12年もかかってやってるんですね。見学の

デッキや解説板もつけて今の形になったのはなんと平成12年だそうです。

 

ぐるりと一周見学できるようになっているので、周ってきました。

 

デッキから見ると裏側

 

史跡なので、ちゃんと保存顕彰会というのがあるようですが、

私にとって面白かったのは、ここの見学希望は、

隣接するホテルウェルネス飛鳥時フロントまで、と書いてあること。

確かに有名な神社仏閣じゃないから人がいつも来るわけじゃないし

といって、開けっ放しにしておくと荒らされたりするしで

お隣りのホテルに目を配ってもらってるのねぇとか思ったわけです。

 

そうそう。奈良はこの石仏が多いように思います。

他の土地にもあるんだろうけど、目につくのは多いからかなと。

 

さて、元興寺へもあと少し。

その道中に最後の伝説場所がありました。

 

このなんの変哲もない通り・・・

ここは不審ケ辻子(ふしんがずし)と呼ばれる場所です。

昔、元興寺の鐘楼にガゴゼという鬼がいて、

道場法師という力持ちの僧に退治され、

追いかけられた鬼がこの不審ケ辻子に消えて

鬼薗山(きおんざん)に隠れたという伝説があると。

ここが、その辻なのです。

 

反対からみたところ。立っている女性の向こう側は

あの奈良ホテルの敷地です。

 

ちなみに、伝説では、鬼を退治したときにむしり取られた鬼の髪は

元興寺の寺宝として伝わっていたそうです。

 

歩きながら、H研究員が、「このあたりで消えたそうです」と

楽しそうに言ったのが印象的。

鬼ってどんな様相だったんだろう・・・

 

・・・ということで、古地図ウォークはゴールの元興寺に着いて終了。

予定よりもほぼ40分ぐらい長かったのですが、夏だから無理しないように

ゆっくり進んでくださったからかもしれませんが、

大満足の「怨霊伝説」ウォークでした。

(友人の万歩計は2万歩を出しておりました)

 

では、次回はその元興寺

 

 

 

 

 

 

 

 

元興寺文化財研究所総合文化財センターを出たら、

古地図ウォークの始まりです。

 

さて、私達が出発したこの文化財センターは

肘塚(かいのづか)というところにありますが、

この肘塚は、ならまちの南の入口に位置しています。

 

その昔は、人の行きかう交通上の要地だったということで、

近代になっても前回ちょっとご紹介したレコード工場とか

繊維工場なんかがあって、産業の町として栄えたんですね。

(農地もあったと)

 

その通りを北へ歩いて行くと、楓(かえで)神社があります。

道路の横に小さく祀ってありますが、この木が楓だ。(わかりやすい)

普通に歩いてたら、「ん?町中にこの小さい神社は何?」ぐらいにしか

注意を払わないと思うのですが、確か説明をしてくれたH研究員は

「ここが都の南の端の標」みたいなことを言ったと思う・・・

(真偽思い出せず)

 

他の方のブログが見つかったので見てみると、

なんと!空海が杖を突きたてたところから育った椚の木なんですと!

(話ちゃんと聞いておけ← 列の後ろのほうでグダグダしていて聞き逃した人)

 

 

2つ目のストップは、肘付伝承地です。

これもまた、フツーの家の横に鳥居があって祀っているのがちょっと特異。

この場所の説明には、玄昉(げんぼう)という坊さんの話が必要です。

こちらもいただいた資料からの説明。玄昉さんは、

「奈良前期の法相宗の僧。唐留学からの帰国後、橘諸兄のもとで吉備真備とともに

権勢を振るい、藤原弘嗣の反乱を招いた。のち藤原仲麻呂政権になると失脚し、

九州に左遷されて没した。その死は弘嗣の怨霊によるものとされる。」

 

やはり、陰謀渦巻くその時代ってか何やってるんだ坊主も弘嗣も。

 

で、弘嗣の怨霊が玄昉を八つ裂きにして、バラバラになった身体が

奈良の各地に落ちてきた、という伝説があるんですね。

 

この肘塚は、ご想像どおり、(ひじ)が落ちてきたところというわけです。

今回の古地図ウォークでは、ここと頭塔、という頭が落ちてきたところへも

行きました。(頭のほうはまた後ほど)

 

さて、そこからまた車道をテクテクと進んでいきます。

(ホンマに車道で、車が来ると皆で道の端に避けるのです)

 

さあ、次はあの!

ご存じ崇道天皇(すどうてんのう)=早良親王

 

いただいた資料にもわかりやすく紹介がしてあります。

「桓武天皇の弟で皇太子の座にあったが、

造長岡宮使・藤原種継暗殺への暗殺が疑われて廃された。

淡路に流される途中、無実を訴えて絶食し、亡くなった。

後にその祟りが恐れられ、鎮魂のために祟道天皇と追号された」

 

「祟」の字のついている天皇は、祟りを恐れて後づけで

天皇にして「お願いやから、祟らんといてね」とお願いしている

というイメージが湧く私ですが、このケースも案の定というか

早良親王が「わしゃ無実やねんけど!」と抗議の絶食をして命を断った後、

桓武天皇の母や皇后が亡くなり、その後メガトン級に

天然痘の流行まで起きたのでした。

 

桓武天皇の息子も具合が悪くなり、占ったら

「あんた、これは早良親王の祟りでっせ!」と言われて

びびったそうで、これはもう許してちょうだい!

ということで、追号をして早良親王は崇道天皇となり祀られたと。

 

・・・そういうことが、ここに書いてあるわけですわな。

 

どうしてそうしたのか よく思い出せないのですが

私はこの崇道天皇社の鳥居とかこう、正面からちゃんとした写真を

撮ってないんですねぇ。

 

とりあえず、本殿(というのか)

写り込んでしまったおにいさんは、知らない人です。

顔は出てないので許してね。

(ツアーの人だったっけかな・・・?←あまり若い人はいなかったように

思ったので、記憶がゆらぐ)

 

そうそう。でね、この中にこういう社があったので、そっちが面白いと思って

撮ってるんですわね。

 

天満宮 菅原道真 という看板。

 

お稲荷さんだわな。

 

・・・で、この祟道天皇社の近くに、井上(いがみ)神社というのがあります。

こちらは、井上内親王を祀っているところで、この方は光仁天皇の皇后。

皇太子だった他戸(おさべ)親王ともども、「天皇を呪ったとしていずれも廃された。

翌年天皇の姉難波内親王が没したのは井上内親王の呪いによるものとされ、

母子ともに大和宇智郡に幽閉されて宝亀6年(775)に同時に没した。

毒殺説が有力」

 

おお~、この方々の呪いも恐いので、井上神社でお祀り。はいはい。

この井上神社も、街中にあります。

隣りの家のような建物は、井上町会所

なるほど・・・

 

アップ

 

さて、次に足を運んだのが、

祟りが恐くて どっかんと建てた御霊神社

 

この神社に祀られているのは、何と8柱の方々!

旗先ほどご紹介の井上内親王他戸親王

旗藤原弘嗣怨霊になって玄昉を八つ裂きにしたと言われる彼)

旗藤原第婦人・伊予親王(桓武天皇の婦人と皇子)

旗橘逸勢(平安初期の官人・能書家)

旗文室宮田麻呂(平安時代前期の官吏)

 

この方々は全員、謀反やら反乱やらを企てたとか言われて

どこぞに流されたり殺害されたりしたわけですね。

(個々の方々についてはググってくださいませ)

 

で、案内してくださったHさんいわく、この御霊神社に祀られている

この人たちは、朝廷公認の「祟る人たち」ということだそうで

いやぁ、桓武天皇、あんた後ろめたさがハンパないやん、と

 

本殿。いや明るい雰囲気ですぞ。

 

うん。晴れだったこともあってとっても明るい祓戸社

 

いやしかし、一番意外な社はこれでした。

縁結びの神様! もうね、一種「なんでやねん」と思いました。

祟りが翻っていい縁をもたらしてくれるという解釈でよろしいでしょうか。

 

いいおばちゃんな友人と私は、

 

ブタネコ ちょっとちょっと、縁結びの神さんやて

ネコ 私らにはぜぇ~んぜん縁ないわね

ブタネコ あそこで手ぇ合わせてたら「オバハン何してるん」って

   変な目で見られそうやわー

 

みたいな会話を交わしたのでございました。

 

ちなみに、この御霊神社のある場所は、元は元興寺の境内に

入っていたそうで、元興寺自体、とても広いお寺だったのですが

火事やら落雷やらで建物などが被害を受けたりした上に

戦や騒乱で町が衰退してしまい、敷地を失いつつも

伽藍などを修理しながら現在の形になっていった・・・

というところかと。(今では世界遺産)

 

古地図ウォーク、まだ続きます。花火

 

 

 

 

 

 

今年行ったところは今年のうちに書いておかねば、

と思いつつ、はっと気づくとあと10日ぐらいしかないじゃん!

 

ということで、今年行ったけれどまだブログに書いていない

私にとってはメジャー(?)なイベントを

今年中にアップするつもりで・・・間に合うかしらん。

掃除もせなあかんのに (← ほとんどやる気なし)

 

ともあれ!

 

いつものことながら、

9月に行った半日ツアーのことを今ごろ書くのでございます。

 

夏に奈良県と奈良市がバックアップしてやっていた

「歴史たび」という企画の中に、元興寺を取り上げたものがあって

そこに「古地図ウォーク『怨霊伝説』」というのがございました。

電車の駅で取ってきたこのパンフを見た私、

友人を誘って早うからわくわくしながら予約。

 

これは、7月末から9月に渡って5回行われたものなのですが、

私達が参加したのは9月10日でした。

事前に予約した時には9月だからちょっとぐらい暑さはマシかと

思いきや、ぜ~んぜん・・・奈良って盆地だし暑い。

 

起点(集合場所)は、京終という名前の駅。

さて、何と読むかわかりますか?

 

ブタネコ 京終で集合やねん

 

と言った私に、タコ宇宙人の嬉しそうな一声。

 

宇宙人 出た!難読駅名 京終

 

さてこの名前、「きょうばて」と読みます。何でも、

都の果て、という意味だそうです。

 

神戸から行く友人と私にとって、

奈良は普通でも2時間ぐらいは軽くかかるのですが、

その京終駅での集合時間はなんと、8時45分!

私たちは、それぞれが念入りに(JR西日本おでかけネットを見て)

乗り継いでいく電車プランを印刷して握りしめ、

約束の時刻に芦屋駅で待ち合わせ(ってローカルな話なんかぃ)。

 

実はこれ、乗り換えが結構ややこしいのです。

 

JRを使うと、京都なら神戸から1本で行けるのですが、

奈良は途中で乗り換えがいくつか必要となり

正しい電車に乗らないと、知らないうちに白浜に着いていた

なんていう笑えないことも起きかねない(特に私の場合は注意ビックリマーク

 

今回は8時45分に京終駅という ちょっとひねりのきいた

集合場所に行かなきゃいけないので、1本でも間違うと

間に合わなくなったりしたらどーしよー状態です。

 

乗り換えを1つクリアするたびに、ほっとする私たち。

 

ネコ なんかあれみたいやねー。「仲間を増やして旅をする」

 

言うてることはわかりまっせぇ。仲間が途中で増えるというより

1つ1つ挑戦(乗り換え)をクリアしていくところ。

ゲームのようですわな。

 

もうひとつ心配なのは、JRはよく「信号の点検で」とか「人が線路に入って」

とかいって止まったり遅れたりすることが多いこと。

 

しかし、天は我に味方せり。

なんと8時45分の待ち合わせまでに

余裕で京終駅(万葉まほろば線)に到着したのでした。

ほら、元興寺で特別拝観してたのでのぼりも上がってるでしょ。

 

京終駅にはツアー同行の方たちが受付をしていたので、

参加費1,000円也を支払い、

ツアーの地図と説明が一緒になった刷り物をいただきました。

 

こちらは、タイトルにもある古地図。

1807年に書かれたものです。(加太越奈良道見取絵図より)

昔から家がいっぱいあったんですねー、奈良の中心地というか、

このあたりは今、奈良に行けばまず観光するあたり、

東大寺とか、興福寺とか、猿沢の池とかあります。

 

ところで、駅からツアーに同行してくださった男性ふたりは、

後でわかったのですが、元興寺のお坊さまだったようです。

特にひとりは、短髪でちょっと強面の男性だなと思ってました。

(Tシャツ着てたから惑わされた)

 

それはさておき、いよいよツアーの始まりです。

このような「歩く」ツアーは私達のような年代や

上の年代には人気なのか、定員いっぱいの人が集まっていました。

 

京終駅からまず向かったのは、元興寺文化財研究所総合文化財センター

すごい名前だわな。

 

ここのホームページはあくまでも地味な説明なので超簡単に説明すると

文化財研究所は元興寺の境内で色々な資料などが発掘され

それを研究、保存するためにできた場所、というところでしょうか。

いやでも、ちゃんとした研究者がちゃんとした研究をしているようです。

 

そして、今年度にこの文化財センターを移設開設したようで、

民間に向けた講演など色々な活動も精力的にしていると。

(だからこんなツアーも企画してくれたわけで)

 

この日はまず、このセンターの屋上に行き、ツアー担当研究員、

Hさんのお話しを聞きました。

 

えーと、これは北向きなのか・・・緑は若草山のはず・・・(忘却)

 

今見ると爽やかでございますが、この日はね、と~っても暑かったあせる

 

で、面白いのは、この建物のあったところは昔、今はなき

テイチクレコード(知ってる?)の本社工場があったところだそうで、

1階の展示室には、発掘されたものと一緒に

むっかし昔のレコード(舟木一夫とかだったかなぁ)が

展示してありました。

発掘されたものとかと同じ部屋に飾ってあって

ちょっと面白かった。

 

さて、ここからいよいよ、古地図ウォークで色々なところへ寄りながら

最終目的地の元興寺へ。

 

ちょっと長くなりそうなので、続きは次回でございます。