今日は午後3時から日本宣教教会にて説教奉仕をしたまま夜6時半からのコジャマ(KoJaMa/Korea Japan Ministry Association)のクリスマス礼拝へ。日本宣教教会チームは礼拝後すぐに教会のテラスでパフォーマンスのための最終確認を野外にて挙行。終わったら一人一人がキンパプ一本を与えられ、かぶりついてから、いざ瑞草駅直結のサラン教会へと出発!!私の今日の説教は、殆どを日本での私の宣教報告に費やしました。写真を見てもらいながら、細かく説明しました。来月、「十字架につけられ給ひしままなるイエス・キリスト」のお話を、こってりとさせて頂く予定にしました。今日のコジャマの集いも日本人よりも韓国人の参加者が多いのですが、日本のことを思い、日本語で賛美して礼拝を捧げているソウル圏中心といえども韓国各地からの仲間たちが、各地より、300人以上400まではいたかな?くらいおそらく集まりました!本当にすごい事です。日本からゴスペル亭パウロさんがメインスピーカーとしてそして、hi-b.a. の方たちもアピールに来ていました。私も一曲演奏ご奉仕致しました。夕方5時のキンパプしか食べていなかったので、流石に夜23時頃に歩いて10分程の気安い肉食堂でサムギョプサル300gを一人で食べました。火曜日午前10時から論文概要審査となりました。学問的な内容よりも、私がいかんせん留学生で、現在は日本メインに居るので、ゼミなどを通しての親密なコミュニケーションが同門博士課程の中でも薄くなってしまいました。韓国人なら分かる、阿吽の呼吸が、6年目にしても節々ではまだまだわからないのかもしれません。でも、もう一息、頑張っていきたいと思い、渡韓してきました。今日韓国ソウルと、その近郊で見たことは日韓の架け橋となる候補はいっぱいいます。ただ、本当に世代交代の時期がきました。青年伝道をしている方たちがもう、ムムム、でしょ。私を含めて。だから、基本的には、現場をガンガン譲ってというか、お任せできるようにしてやりやすいやり方でしてもらう、ということを考えなくてはいけませんね。日韓の教会交流も全く同じだと思います。しかし、教会か教会であること、ここには、老いも若きもジェンダーも人種もその他のことも、全ての隔ての壁は有ってはならないのです。教会が教会としてそのようならば、喜んで次世代に全てをお任せしても、例えば世代間の交流が切断されるということは究極的には起こらないはずです。でないとしたならば、それは、教会全体の問題なのです。しかし、私の中にも、何でだかは分からないけども様々な差別的な感情もあったりするのです。それは、いつもフツフツと沸き立っているわけでは無いがゆえに、逆に厄介です。でもその感情を自分で内省してみると何かの条件、、或いは項目(例えば出自、人種、ジェンダー、宗教、学歴、その他たくさん)の、どれかに対して猛烈に拒否感を持っているとか、闘争心があるというわけではないのです。それよりも、自分が自分の王国を作りたい、という、ただそのような自己の欲望なのだと思います。それが色々な変数と反応してしまうのだと思います。しかし、イエス・キリストが私を救って下さったと、受け入れて歩み始めたことにより、このような感情の争いも、それを無視するのではなく、その感情を神様にお渡しすることにしました。こうして、生きていることが出来ているのです。私の闇をも知っていて下さる神様は、その闇が故に、私を罰することはありませんでした。むしろ、その闇をもっと光へと向けよと招いてくださっています。私の闇が闇で無くなる時は、私以外のお一人お一人の人生においてもすぐそばに有ると私は思っております。https://www.instagram.com/p/C0rZ_9PxFTg/?igshid=MTc4MmM1YmI2Ng==