今回は11回目の紹介となる高砂屋文書、前回と同じく三代目中村梅玉襲名に関する書状を紹介したいと思います。
昭和9年10月26日付 中村福助宛 片岡我童書状(無断転載防止用加工済)
時蔵の書状はこちら
前回紹介した書状と同じく福助及び歌右衛門襲名騒動から四半世紀が経過した昭和9年10月、折しも翌昭和10年1月の中座にて三代目中村梅玉の襲名が発表された中村福助に対して四代目片岡我童が送った手紙となります。
()は筆者注
謹啓
時下秋晴小春之好朝節ニ
御坐候所得坐益御清通
し段候喜之到奉存候扨
先般者御令息御改名
之儀ニ就き御書面ニ接し毎
々御叮嚀(丁寧)之程奉感謝然
右思召立之事野生於而序
至極賛意をし表申候間萬
事可然御取計有之度
小子事本月末に仕上坂仕
候得共式は尊台之御上
京行逢ひと相来拝顔致
兼候歟とも被存候若しに然に
場合は十一月大坂表興行
千秋楽之上早速帰京
拝眉を得義ニ可申述然
取敢ず右面會迄如此ニ
御坐候延引致候慶半平ニ
御悔恕〆祷然
早々頓首
十月廿六日 片岡拝
内容としては襲名の約3ヶ月前に福助名義では最後となる大阪歌舞伎座に出演を終えた彼に共演していた我童が送った手紙となり梅玉襲名を祝福すると共に11月の明治座出演の為にロクに挨拶が出来なかった事を詫びて11月公演を終えて12月の南座の顔見世で再び来京する際にお会いしたいと書かれています。
我童と福助は方や一座を率いる座頭、方や鴈治郎一座の立女形という互いの立場の違いもあり、共演こそ数多くありますが交流については不明な部分がありますがこの書状を見る限り態々襲名の祝いを直接会って伝えたいと書いている等、年長者たる福助に対してきちんと礼儀を以って接する我童のきめ細かい配慮が窺えます。
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