壽初春大歌舞伎 第二部(一部)、第三部観劇 | 栢莚の徒然なるままに

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新年2つ目の記事は久しぶりに観劇の記事です。

 

壽初春大歌舞伎 第二部(一部)、第三部観劇

 

筋書

 

のっけからで大変申し訳ありませんが私、14時30分開演の第二部の開演時間を15時30分と1時間あまり勘違いしていた結果、第二部の春の寿を丸々見逃してしまった為に第二部は艪清の夢のみの観劇となっています。予めご了承下さい。

 

第二部 

 

艪清の夢

 

主な配役

艪屋清吉…幸四郎

横島伴蔵/盗賊唯九郎…錦之助

清吉女房おちょう/傾城梅ヶ枝…孝太郎

お臼…壱太郎

貸物屋六助/杵造…廣太郎

下男太郎七/捨金番福六…吉之丞

八百屋女房おみね…宗之助

米屋勘助…松江

安藝の内侍…高麗蔵

紺屋手代黒八/番頭作左衛門…友右衛門

家主六右衛門/鶴の池善右衛門…歌六

 

第二部の艪清の夢は慶応元年に河竹黙阿弥が最晩年の四代目市川小團次に当てて書いた邯鄲枕物語を脚色した世話物の演目です。内容としては主家の宝物である掛軸を探す艪屋清吉が金の無さを嘆いて眠りつくと逆に金だけが集まって来て使えなくて困る夢の世界で右往左往し、夢から覚めたら偶然にも目的の掛軸を見つけてめでたしめでたしという他愛もない話になっています。

こちらは明治38年4月に二代目市川左團次が演じたのを最後に絶えていたのを九代目澤村宗十郎が平成5年に自身の宗十郎の会で復活させた後、当代の幸四郎が明治座で大胆な脚色を施して上演しました。

(筋書には昭和4年7月に本郷座で二代目猿之助が演じたと書いてありますがTwitterにも書きましたが、昭和4年7月に猿之助は演じていません。松竹しっかりしてよ?)

その為かあちらこちらに古典演目のパロディ要素がふんだんに盛り込まれ錦之助が盗賊唯九郎、孝太郎が吉田屋で傾城梅ヶ枝を演じる等知ってる人からすれば思わず笑ってしまう場面が多々あります。

 

盗賊唯九郎の元ネタについてはこちら

 

 

吉田屋の元ネタについてはこちら

 

 

無間の鐘の元ネタについてはこちら

 

個人的には盗賊唯九郎の時に猪ではなく虎が出てきたのがかなりツボに嵌まりました。
ただ、ツッコミとしては廓文章までは兎も角、そこから更に捻って無間の鐘のネタを持ち出したは良いものの、恐らく劇場の9割の見物が「梅ヶ枝って何?」状態であり、パロディネタとしては不発していた感はあり、あそこは素直に夕霧でも良いかと言えます。どうせ無間の鐘ネタを入れるなら元ネタ通り母延寿が出て来て300両の金を無理やり投げ入れてしまい金が無理くり来るのに嫌気がさした幸四郎の清吉が梅ヶ枝と心中するという風にした方がまだネタとしてもう少し面白くなるのでは?と思いました。
それはさておき、役者個々はどうかと言うとまず清吉を演じる幸四郎はこの手の新作物系統は若手の中でもよくやる方なのもあり、喜劇と割り切って客席をいじったりパロディとは言え吉田屋の伊左衛門を演じたりと最初から最後まで大活躍でした。叔父吉右衛門が亡くなってすぐの舞台でこんな喜劇物演じて良いのか?という不謹慎厨の批判もあると思いますが、今回の演目は亡くなる前から決まっていた事なので問うのは野暮でしょう。ただ、先月の南座で雁のたよりを演じる等歴代の幸四郎では珍しく上方和事あるいは世話物系統に妙に相性が良い彼の事なので今回の様な演目もやったと思いますがどうせ上方物に手を付けるなら今後は喜劇物や心中物だけではなく鰻谷あるいは暹羅船みたいな暗い演目にも挑戦して役幅を広げて欲しい物です。

 

続いて孝太郎は世話女房と傾城と出番が少ない割には美味しいポジションの役を2つ演じていましたが、どちらも時間が少なすぎて評価し得る程の物ではありませんでした。ただ、彼も50代半ばになって未だに父親の相手役あるいは濡衣の様なポジションの役だけではこの先が見えてしまうので何も十二代目仁左衛門の様に阿古屋をやれとは言いませんが自分で出し物として出せる様な演目を作る事が急務であり、その為に今回の様に幸四郎と組んだりしてでもきちんと上方物の大役に挑んで欲しい気持ちになりました。

 

主役以外に目を向けると家主六右衛門と鶴の池善右衛門を演じた歌六ですが六右衛門の方はお得意の世話物なのでさしたる不備も無いですが二役の鶴の池善右衛門の女形役の演技は流石に爆笑物でした。余談ですが当代歌六の曽祖父である三代目歌六が立役でその息子3人の内、吉右衛門と勘三郎も立役だった為に勘違いされやすいですが家祖である初代中村歌六はれっきとした「女形」であり、「傾城歌六」という異名をとる程でした。

 

因みに初代吉右衛門も奥州安達原では袖萩を演じていたりします

 

そして立役ばかりが目立つ播磨屋においても三代目時蔵、四代目時蔵、そして当代の時蔵はいずれも女形である事から決して歌六が女形役というのは歴史的に見れば可笑しくも何もなかったりします。そして当人も滅多に回って来ない役とあってか名に色気丸出しで演じていてある意味この演目の最大の見せ場(?)とも言えます。

また、定九郎ならぬ唯九郎を演じた錦之助も息子の出て居る大富豪同心のネタやドリフの髭ダンスをやったりとやりたい放題で二役の横島伴蔵も含めて普段の二枚目らしからぬ役でしたが演目の中での注目は集めていました。

 

この様に演目としては俳優祭のノリで演じられていた演目ですが、またここ近年は白鸚、吉右衛門がいた事もありここまでふざけた演目は久しくなかった事もあり吉右衛門の死がこんな所にも影響を及ぼしているんだなと思ったりもしました。去年の公演では藤十郎の追善や吉右衛門の由良之助の演技に暗い先行きと不安しか覚えなかった事を考えると今年はそんな事を考える事もなく楽しめた事を良しとしたいと思います。

 

第三部 

 

岩戸の景清


主な配役
悪七兵衛景清…松也
北条時政…巳之助
江間義時…種之助
和田義盛…隼人
千葉介常胤…莟玉
衣笠…米吉
朝日…新悟
秩父重忠…歌昇

 

第三部の冒頭は五代目市川海老蔵が嘉永3年3月に河原崎座で初演されただんまりの演目となります。

元旦に投稿したばかりの九代目市川團十郎三年祭追善公演の筋書

 

市村座で上演した時の筋書

 

詳細については市村座の筋書に書いてありますのでそちらをご覧ください。

松竹の公の資料などでは44年ぶりとありますがこれは国立劇場での上演であり、歌舞伎座での上演となると大正8年1月以来実に103年ぶりの上演となりました。

 

103年前に演じた段四郎の景清

 

103年前の評価は

 

日本随一の海老蔵なればこそ宜けれ、他優が演ったんでは、劇界が夜が明けたやうにはやらず、面白くも無ければ意義も成さぬ、只色彩と音楽だけの狂言

 

とボロッカスだったこの演目ですが今回は2年連続で浅草歌舞伎が中止になった余波で浅草歌舞伎組の8人がそれぞれ扮するという浅草組の出し物としての色合いが強い演目になりました。

特に景清を演じた松也には全く期待していなかった(別に松也が悪いという訳では無く44年前にやったきりで誰も覚えていない演目を受ける以上評価の判断が出来ないという意味で)のですが蓋を明けてみれば少なくとも本来なら宗家としてここで演じているべきなのに演舞場で本当のゴミ人間やっている人よりかは100倍上手かったのには驚きました。荒事と言えば目を白黒させるだけが肝心だと誤解されがちですが、あくまでこの演目で試されるのは初演の海老蔵同様座頭としての貫禄ぶりであり、そういう意味では浅草歌舞伎で座頭であった松也とその他若手役者によるこの座組はある意味吉と出ました。

ただ、強いて苦言を呈すならこの演目はだんまりであり、第三部に演じる演目ではないと思わざるを得ません。そもそも今月の演目の選定自体に難があり

 

・元禄花見踊

 

・春の寿

 

・岩戸の景清

 

と各部に強引に舞踊ないしはだんまりが入っていてしかも春の寿と岩戸の景清は序幕物の演目で被っています。

正月である事を意識するのであれば

 

第一部

 

春の寿

 

一条大蔵譚

 

第二部

 

・元禄花見踊

 

・艪清の夢

 

第三部

 

・浅草組の出し物(それこそ後ろを考えて義経千本桜の堀川御所や碁盤忠信の吉野山雪中の場とか)

 

・義経千本桜

 

とすべきでした。特に若手と東蔵、門之助、雀右衛門といったベテランを組み合わせて芸の継承をするという意味合いでは組み合わせ次第では新鮮な配役にもなっただけに強引に1つの演目に纏めたのは些か勿体ない気がしてなりません。

この様に演目単体で見れば悪くないものの、出し物の選定と位置と言う意味では疑問符が付く形と言えます。

 

義経千本桜

 

主な配役
佐藤忠信/忠信実は源九郎狐…猿之助
静御前…雀右衛門
駿河次郎…猿弥
亀井六郎…弘太郎
局千寿…寿猿
飛鳥…笑也
源義経…門之助
川連法眼…東蔵

 

そして第三部の目玉は久しぶりの猿之助による四ノ切でした。

以前私は演舞場のあれの非常に中身の無い四ノ切は見た事があるものの、タイミングが合わずに獅童や国立での又五郎、そして猿之助の四ノ切は見ず終いでした。

 

待望の本家澤瀉屋の四ノ切でしたが、まず忠信及び源九郎狐を演じた猿之助でしたが、忠信の方は抑えめの演技ゆえかあまり猿之助らしい色合いが見られず自分の居ない間に誰かが自分に成りすましている事に対する疑念や忠義の色合いが見えず不完全燃焼な感でした。二役の源九郎狐の方はいつもながらの軽快な早替わりは健在で舞台を四方八方に動き回り最後の宙乗りまで大車輪でしたが、所々台詞廻しで聞き取れない部分があり残念でした。猿之助と言えば台詞廻しで言えば若手の中でもよく聞こえる部類の役者なだけに肝心の源九郎の愁嘆が今一つ不鮮明だと何故忠信に化けたのか、そして何故正体を現したのか、何故鼓に執着するのか、最後の宙乗りの意味が見えてこない為にモヤモヤしてしまいます。演舞場のあれには理解不可能でしょうが、猿翁がこの演出を復活させたのはあくまで源九郎狐の親を思う子の心という役の肚を理解した上で親の形見と言える鼓が戻り嬉しさを現わす上での幻想的な世界を構築する必要があった為であり、あくまで宙乗りは従、主は演技である必要があります。

そういう意味では初日補正はあるにせよ今回の猿之助は演技の部分でもう少しという感じでした。

彼に関して言えば11月の忠臣蔵の高師直が良かっただけに今年は本家忠臣蔵で彼の師直、あるいは戸無瀬辺りが見れたらなと願っています。

一方で今回6回目の静御前を演じた雀右衛門は澤瀉屋型は初めてなものの、武家の姫役には定評あるだけに卒なくこなしていました。

彼もこれまで多くの相手役を演じた吉右衛門がいなくなり今後が問われる所ですが、仁左衛門などとも共演して居たり、あのゴミ人間とも付き合える役幅がある人だけにこれまで猿之助の四ノ切で静御前を担っていた秀太郎の後釜として今後は共演回数が増えていくのではないかと思われます。

また義経は熊谷陣屋含め何度も演じている門之助は慣れた物で気品ある演技を安心して見られました。彼は一昨年の南座の代役がきっかけで昨年は2月に勝頼、3月に本公演で藤の方を務め、11月には連獅子で再び仁左衛門に付き合うなど芸格を上げただけに2022年も女形、立役問わず数々の大役を務めて大御所と中堅の間で手薄になっている60代の要として今まで以上に活躍して欲しいと願っています。

この様に満点とは行かないものの、最後の宙乗り含め四ノ切はきちんとした本格的な歌舞伎で見れたのでとても満足出来ました。

2022年の歌舞伎は吉右衛門の死を受けて徐々に世代交代が始まろうとしており、今回の顔ぶれを見ても中堅から若手が揃っています。

願わくばこの面子で来年はより洗練された演目を見れたらなと思っています。

 

まだ見てない第一部については後日観劇予定なので観劇したら改めて感想を書きたいと思います。