十一月国立劇場第一部 観劇 | 栢莚の徒然なるままに

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今回は本来なら勧進帳三座競演を投稿する予定でしたが先日国立劇場を再び見てきたので観劇の記事を紹介したいと思います。
 

十一月国立劇場第一部 

 
第二部の観劇の記事はこちら
 

 

本来ならもう少し後になって観劇する予定でしたが仕事の都合上千秋楽ギリギリまで予定が詰まっていて見落とす可能性が出て来たので急遽観劇しました。
 
席はまさかの一番前(1列目は全席封鎖されています)
 
 
第一部
平家女護島
 
当代の中村吉右衛門が得意役とする俊寛です。
元々は彼の祖父の初代中村吉右衛門が大正11年10月に新富座で初演して大当たりを取って以来得意役とした演目で初代吉右衛門没後はあまり兄の得意役を受け継がなかった異母弟の十七代目中村勘三郎が珍しく受け継いで上演し当代の吉右衛門に引き継がれました。
 
参考までに十七代目中村勘三郎の俊寛

 

 
主な配役一覧
俊寛僧都/平清盛…吉右衛門
海女千鳥…雀右衛門
俊寛妻東屋/丹左衛門尉基康…菊之助
有王丸…歌昇
種王丸…種之助
平判官康頼…吉之丞
越中次郎兵衛盛次…橘三郎
丹波少将成経…錦之助
妹尾太郎兼康…又五郎
能登守教経…歌六
 
初代中村吉右衛門の俊寛

 
今回は第二部の彦山権現誓仇討と同様にいつも上演する鬼界ヶ島の場の前に初段の六波羅清盛館の場が付け加えられています。
2~3年に1回程の割合で演じられる鬼界ヶ島の場に比べて六波羅清盛館の場が演じられるのは稀で一応2年前に八代目中村芝翫が通しで上演しましたが、吉右衛門が六波羅清盛館の場を演じるのは1995年以来実に四半世紀ぶりの事であり今回が見納めになる可能性は非常に高いです。
その六波羅清盛館の場は俊寛の妻東屋が捕らえられて連行されてくる場面から始まります。
この場に出て来る清盛は本の僅かばかりの出番で仕所らしい仕所はなく、座りながらも平家一門の総帥としての威厳と立敵としての大きさを求められるという役所です。吉右衛門の敵役らしい敵役は久しぶりでちょっと調べてみても2015年の伽羅先代萩の仁木弾正以来とあって凄く新鮮で古怪な清盛を見事に演じていたのが印象的でした。
そして捕らえられて俊寛の赦免を匂わされて清盛の側女になるよう強要される東屋の葛藤と余りに惨い清盛の仕打ちに対して彼女の名誉を守る為に自害を暗示する教経のやり取りがこの場の見所といっても良く、自分が菊之助の女形役を見たのは團菊祭での雷神不動北山桜の雲の絶間姫以来でしたが、夫への貞節と身を案じる不安さの板挟みになりながら自害を選んで貞節を守り、教経の赦免の約束に安堵しながらも夫に自分の死を伝えてくれるなと頼みながら死ぬ所まで哀れ気を見せて初役とは思えない充実ぶりでした。
この東屋に対して教経が「生かすも情、殺すも情」と言葉をかけますが、この言葉はあるかどうか分からない赦免の為に恥を忍んで清盛の側女になるという屈辱の日々に甘んじる位なら名誉の為に死なせてやるという武士の情けであると同時に後半の鬼界ヶ島での俊寛が妻が殺された(上記の様に正確には自害したのですが)と聞かされてから自らがあれほど熱望していた赦免を断ってまで千鳥を船に乗せて島に残る選択を選んだ背景にある「戻った所で妻のいない都での日々の生活は死んだも同然だから残る」という決意にも影響しています。
当時の倫理観からすれば不義密通は死罪にも値する大罪であり、東屋が死を選ぶのはさして異常とは言えない行動ですが皮肉にも彼女が死ぬ間際まで願ったいた夫の帰京を自分の死によって破壊してしまう事、奇しくも夫婦が互いの事を思いながらも別々の選択(妻:夫への貞節の為に自害、夫:妻の仇討の代償に流刑地の島に一人残って生きる)を選んでしまう運命の皮肉にも繋がっています。
 
さて、後半はお馴染み鬼界ヶ島の場ですので場面についての細かい解説は省略します。
ただ、最後の崖に上り去り行く船を見つめる場面は上記の勘三郎や、四半世紀前の通し公演の時とは異なり「おーい」と叫ぶ事もなく、身振り手振りもなくただ去り行く船を無言で見つめるという演出に変わっています。
元々この最後の場面は初代吉右衛門が生み出した型であって島に残ると決意しながらもいざ船が離れて行ってしまうと長年過ごしてきた仲間たちと別れへの未練が沸き起こるという揺れ動く俊寛の矛盾した心情を表している大事な部分ですが、今回の吉右衛門の場合は六波羅清盛館を付けた事で上記の様に都へ戻っても意味がないという諦めと妻を亡くし天涯孤独の身になってしまった悲しみの部分を強調する為なのか敢えて抑えての演技となっています。
これを型破りと取るか型崩しと取るかは人それぞれだと思います。
 
さて、吉右衛門以外ですと何度も鬼界ヶ島の場を上演している事もあり馴染みの面々ばかりで安定しています。そんな中初役の歌六の教経は平家の良心と言える存在で東屋とのやり取りや有王丸、種王丸を絡みを経て実質的に場の主役に相応しい演技でした。
吉之丞、錦之助も吉右衛門の邪魔立てせず大人しく務めていましたし菊之助の二役の基康も東屋と比べると仕所が少ない役だけにこれといっての場面はありませんが品良くきちんと役自体はこなしていました。雀右衛門の千鳥も何回も務めただけあってこなれていますが、心なしか雀右衛門がふっくらしたような気がする事もあってオボコらしさが少し増したかなという感じです。原作ではこの後千鳥が大活躍するのですが今回はカットされている為にそこまで目立つことはありませんでした。
 
主演が吉右衛門だったせいかはたまた観劇した日が休日とあってせいか入りも悪くなく盛大な拍手もあり、4部制を続ける歌舞伎座とは違い大分普段の観劇に戻ってきた感じがしました。
 
1階の入りはこんな感じ
真ん中は8割方埋まっていました。