その時、あなたはどこで何をしていましたか?ジョン・レノン没後30年。
時差の関係で、日本では12月9日の午後に速報が入った。
現地時間12月8日の夜、
ニューヨーク、ダコタ・アパートの前で起こった悲劇について・・・
そのニュースを耳にした時、
自分がどこで何をしていたのかを覚えている、という人は多い。
私の記憶も鮮明だ。
中学3年生だった私は、野球部の練習を終えて自宅に戻った。
夕食の準備をしている母親がかけていたラジオから、
ジョン・レノンが撃たれて亡くなったというニュースが流れてきた。
私は、小学生の頃からすでに5年以上、ビートルズ、
とりわけジョン・レノンのファンだったのだが、
なぜかその瞬間は悲しくなかった。
感覚が失われたかのようだった。
その後、いつものように学習塾に向かった。
よく私に「受験が終わるまで、ロックのレコードを全部オレに預けろ!」
と怒鳴っていたビートルズ世代の英語教師は、
沈鬱な面持ちで教室に入ってきて、
私をちらっと見た後、こう言った。
「ジョン・レノンが死んだ。でも、おまえらには関係ない。
受験が迫っているんだ」
大きな悲しみが私を襲ってきたのは、
その日、夜もふけた頃だった。
ジョン・レノンの歌声に、ただ耳を傾けた。
70年代の初頭、ニューヨークに移り住んだジョン・レノンは、
妻のオノ・ヨーコと共に、
強烈な社会的・政治的メッセージを含んだ楽曲を次々と発表し、
反戦・反差別の運動に積極的に参加していく。
初めのうちは、ジョン・レノンといえどもたかがロック・スターと
高を括っていたニクソン政権だったが、
次第にその影響力の大きさに脅威を感じるようになり、
大統領自ら、公然と「身辺に危険が及ぶだろう」と脅迫めいた発言をし、
FBIは、尾行・盗聴といった手段を使って、
徹底的にジョン・レノンの行動を調査した。
当時、ジョン・レノンは、親しい友人に、
「僕とヨーコに何かあったら、それは事故ではない」と
語っていたという。
その後、ヨーコ夫人との間に息子ショーンを設けたジョン・レノンは、
70年代の後半、「息子との時間を大切にしたい」と、表舞台から姿を消す。
そして、およそ5年にも及んだ沈黙の後、
1980年、ジョン・レノンは、
新作「ダブル・ファンタジー」と共に音楽シーンに復帰。
同時に、戦争や差別に反対する運動にも
再び力を入れようとしていた。
時は、レーガン政権発足前夜。
ジョン・レノンが撃たれたというニュースを耳にしたアメリカ人の多くは、
「またか」と思ったと言われる。
ジョン・F・ケネディの事件を思い出したのだ。
犯人とされたオズワルドは、逮捕直後、
まるで口封じのように射殺された。
オズワルドがいた場所からでは、
あの有名な映像に収められたような角度での狙撃は不可能だった。
ジョン・レノンの場合も、
マーク・チャップマンの単独犯とするには、
銃弾の角度や数に矛盾があると言われる。
ジョン・レノンとアメリカの闘いについては、
元FBI捜査官の生々しいコメントを含むンタビューや、
ニクソンの脅迫めいた演説をとらえた映像、
その他、多くの関係者への取材によって、
その真実に迫ろうとするドキュメンタリー映画
「ピース・ベッド アメリカvs.ジョン・レノン」に詳しい。
オノ・ヨーコは、この映画の中でこう言っている。
「結局“彼らは”ジョンを殺せなかった。ジョンの歌が遺っているから」
姿を消した父。別の家庭を持ってしまった母。その母の死・・・
あまりにも痛みが大き過ぎた少年時代。
そこから生まれた自己表現への強烈な欲求。
ロックンロールとの出会い。
ビートルズ。
70年代初頭の、アーティスト、運動家としてのアメリカとの闘い。
そして、非業の死。
ジョン・レノンが背負った運命は、あまりにも激しく、華やかで、
そして、残酷だった。
あの日から30年。
その時、あなたは何をしていましたか?
そして、今、ジョン・レノンの死について、何を思いますか?
相思相愛?フランスのアーティストTeteと3年ぶりの再会♪
昨日、プロモーション来日中のフランスのアーティスト、
Tete
に会った。
2007年の日本ツアー以来の再会。
時にフォーキーに、時にブルージーに。
しなやかなで、艶があって、しっかりと芯があるヴォーカルと、
ビートルズや、ニール・ヤングなどのアメリカのロックやフォーク、
往年のR&Bなどのエッセンスを感じさせるソングライティングは秀逸だ。
元々、私が一方的に彼の音楽のファンだったのだが、
3年前の来日時にレコード会社の方を通じて私のCDを渡したところ、
私の曲をとっても気に入ってくれて、ライヴと打ち上げに呼んでもらったことで、
すっかり仲良くなった。
昨日のTeteとの会話。
私「元気?3年ぶりだね」
Tete「3年半ぶりだよ。元気だよ。そっちは?忙しい?」
私「元気、元気。忙しいけど、お金はない(笑)」
Tete「(苦笑)」
※ちなみにTeteは本国では日本で言う武道館クラスのアーティストなので
リッチ。
Tete「ここ暑いね」
私「君のショーケースを観るためにこんなにたくさんの人が集まってるからね」
私「君の最新作、最高だよね。プロデュースにロス・ロボスのメンバーを招いた
でしょ?どうだった?」
Tete「彼の仕事ぶりは素晴らしかったよ。いいサウンドができた」
私「あ、そうそう、カーボベルデ出身のマイラ・アンドラーデ、
君がプロデュースしたアルバム聴いたよ。あれもいいね」
Tete「マイラのはプロデュースじゃなくて、数曲提供しただけだけどね」
私「あ、そうだったね」
Tete「彼女は、すごい才能の持ち主だよ。本当に素晴らしい」
私「おまけにかわいいし!ジャケ写を見て、
彼女と仕事をしている君をうらやましく思った」
Tete「本物はもっともっときれいだぜ!」
私「パリに行くから、ぜひ紹介してくれ!」
Tete「もちろん!」
私「それで(CDを出して)、これ、素晴らしいギタリストのMr.Jun Kajiwaraと私の
新しいユニットのデモなんだ。今度はインストもの。
デモだし、ちょっとラフなところもあるけど、ぜひ聴いてね」
Tete「ありがとう!これ、最高だね!」
私「まだ聴いてないじゃん!」
Tete「君のだろ。いいに決まってるよ!」
※Teteはいいヤツだ。3年前に私の曲を聴かせた時には
“You're a fuckin' great songwriter!”なんて言ってくれた。いいヤツだ。
私「じゃ、聴いたら君の意見を聞かせてね」
Tete「もちろん!お、そろそろライヴの時間だ」
私「ゆっくり楽しませてもらうよ」
ライヴの後はファンに囲まれて忙しそうだったので、
別れのあいさつができなかったけれど、
来年の春には、日本でライヴ・ツアーをやるらしい。
その時にまた会おう、Tete!
こんな風に選曲してます。OTTAVA animato♪
TBSのデジタル&インターネット・ラジオOTTAVA で、
私が「プレゼンター」という名の、
おしゃべり・選曲・構成・生放送のオペレーションの全てを
ひとりで手がけるDJを務めている番組、
OTTAVA animato(月~金、10:00~14:00放送。オンデマンドでも聴取可能)。
クラシックをメインに、
世界各地の伝統音楽・民俗音楽などを交えてお送りする音楽番組なのですが、
今日は、
毎日4時間、40曲ほどのオンエア曲をどうやってセレクトしているのか?
なんていう話をご披露しようと思います。
作業は、生放送当日の早朝、OTTAVAルームで始まります。
まずは、誕生日、命日、初演記念日、その他のコーナーの
トークにまつわる曲をセレクト。
これがだいたい7、8曲。
その後、12時台の前半にお送りしている
「ランチ・タイム・ノン・ストップ」の選曲をします。
これも7、8曲ほど。
そして、ここからがおそらくOTTAVAではanimatoならではの選曲方法。
生放送開始の30~40分前にスタジオに入って、
まず、その日の天気や気分に合う1曲目を決めます。
その後は、曲のエンディングを聴いて、
自分の頭の中に流れてくる曲を次々つないでいくんです。
この時、楽器のアンサンブルや、調性、テンポなどで、
気持ちよく音楽の流れを作ることを念頭に置いておくのですが、
この時間帯には、機材のチェックなどもあるので、
生放送が始まる前に決まっているのは、
番組開始から45分前後のところまで、というのがいつものパターン。
そこからは、放送をしながら、次々に「聴こえてきた曲」を
セレクトしてリスト・アップしていくのです。
これが、私に、ライヴ感と心地いい緊張感をもたらしてくますし、
また、臨機応変に曲を変えていける、というメリットもあるんですね。
前にも書きましたが、
番組を聴いてくれている空間の空気をおいしく感じてくれたり、
窓の外の見慣れた風景の中に美しさを見つけてくれたり、
悩みを少しの間でも忘れてくれたり、
音楽がそんな力を存分に発揮してくれるように・・・という思いで、
ゆったりとした音楽を多くオンエアしているanimatoなんですが、
リスナーのみなさん、
実は、水上の姿は優雅でも、水面下で必死に水をかいている白鳥のように
(あ、そんないいもんじゃないか)、
ひとりスタジオで、わき目もふらず必死で選曲を続けている私を
たま~に思い出して、笑ってやってください♪
coco←musika、ラジオでのデモ音源オンエアとリスナー招待イベント出演決定!
明日、11月22日(月)から、
coco←musikaの出来立てほやほやデモ音源が、
TBSのデジタル&インターネットラジオOTTAVAの私の番組、
OTTAVA animatoでオンエアされます!!
生放送は、月~金の10:00~14:00ですが、
オンデマンドでも聴くことができます。
coco←musika音源のオンエア時間は、
OTTAVA HPのMusic Historyでチェック。
まずは、http://ottava.jp/
にアクセスしてください。
そして、coco←musika、
そのOTTAVAのリスナー招待イベントへの出演も決定です♪
奮ってご応募下さいませ! ※締め切りました。多数のご応募、感謝です!
<無印良品×OTTAVA salon ajima vol.7>
南の島のクリスマス ~coco←musika Christmas Live~
■開催日時
2010年12月13日(月)19:00開場 19:30開演(公演は約1時間)
■会場
MUJI新宿 地下1階「Cafe & Meal MUJI」
新宿区新宿3-15-15 新宿ピカデリー地下1階
http://www.muji.net/
■coco←musika(ココムジカ)プロフィール
長年友人関係にあった
ギタリスト梶原順と三線プレーヤーのゲレン大嶋が
2010年夏に結成したニュー・ユニット。
梶原順のギターとゲレン大嶋の三線で、
時にリラクシングに、時にアグレッシヴに、
南国風味あふれる極楽インストゥルメンタル・ミュージックを奏でます。
□梶原順(ギター)
1961年生まれ。1981年にプロとしてのキャリアをスタートさせる。
ソロ・アーティストとしての活動、「J&B」「JとB」「Bluer」「SOURCE」
「Witness」といったユニット、バンドでの活動に加え、
「渡辺貞夫グループ」「本田雅人バンド」などのギタリストを努め、
他にも、ロック、ポップス、ジャズと、ジャンルを問わず、
数多くの日本のトップ・アーティストたちの
レコーディングやライヴもサポート。
また、洗足学園音楽大学や昭和音楽大学、YAMAHA音楽院などで教鞭をとり、
後進の育成にも力を注いでいる。
http://www.junkajiwara.com/
□ゲレン大嶋(三線)
1966年生まれ。1999年、TINGARAの三線プレーヤーとしてデビュー。
5枚のアルバムに参加後、
2006年にハワイアン・スラック・キー・ギターの第一人者、山内雄喜氏らと
チュラマナを結成し、三線、ソングライティング、プロデュースを担当して
2枚のアルバムをリリース。
2008年以降は、島グニーズの三線プレーヤーとしても活動中。
http://ameblo.jp/gerhen/
□サポート・メンバー
川内啓史(ベース)http://music.geocities.jp/k2_bassman/k_top.html
元田優香(パーカッション)http://hp.kutikomi.net/motoda-yuuka/
■お申し込み方法
抽選で50名のみなさんを無料でご招待します。
11月26日(金)中に応募受付サイトが公開される予定です。
OTTAVA HP(http://ottava.jp/
)のOTTAVA Newsをご覧ください。














