われわれの祖先である縄文人は現代の日本人とは
価値観や感覚がまったく違っていたのだろうとよく思います。
縄文時代には集落の真ん中に共同墓地があったことが
前回の主題でした。
「共同墓地」ということは、
「家」に分かれてはいなかったということです。
「家族」ごと別々に暮らしていた
わけではないということです。
縄文の頃には生まれてきた子は共同体のみんなで
育てていたということを聞いたことがあります。
そうだったのだろうと思います。
生まれてくる子の父親と母親は
「夫婦」ではなかった。
固定された関係ではなかったのでしょう。
「結婚」という形式がそもそも
なかったと思われます。
だから、「離婚」もなければ
「不倫」もない。
人の気持ちは変わるのに関係を固定するのは
「不自然」と言えます。
この「形式に縛られない関係」を
フリーセックスだの乱交だのと言う人がいますが、
現代人の猥雑な神経で
同列に扱ってほしくないものです。
家族という形を形成しないということは、
縄文の人たちは集団主義で生きていた
と想像しがちですが、
そうではないようです。
意外にも、個が主体だったようです。
『日本人はもともと集団や和を大切にする民族だ
という話がありますが、
それは正しくありません。
「和を以て貴しとなす」というあの聖徳太子の
言葉の意味を間違えて伝えてしまったのは、
日本人の大きなミステイクです。
その結果、
和を重視することは、自分を犠牲にして
集団に合わせるものだという、
誤った考えが広まってしまいました。
縄文人とアイヌは
同じエネルギーを持っています。
(アイヌのリーダーによると)
アイヌには縄文のエネルギーが伝わっていて、
それは基本的に個の文化だということでした。
だから彼らには、「団体」という概念がないそうです。
人に合わせるということが
基本的にないというのです。
彼らは、社会があって個があるのではなく、
個があって社会があると明言してしまうわけです。
それでも社会は分離せず、
融合して平和を維持しています。
これが本来のレムリア、
縄文のエネルギーなのです。』
(松久正著 青林堂刊 『神ドクター』初版139~140ページ)
個が主導だったので、「家族」という繋がりさえも
必要としなかったのかもしれません。
個の文化ならば「個人主義者」たちだった
と言いたくなりますが、
でもその言葉は現代の価値観に基づくものなので、
それとは違うでしょう。
弥生から現代は「分離」の時代であり、
自他が区別され、
一部の「他」は身内となり、
そのほかは「赤の他人」になります。
一部の人とは親密になり、
一部の人とは対立したりします。
それに対して縄文時代は、
自他が分離していなかったようです。
それが人間に対してだけではなく、
動物や植物、さらには
あらゆる物質に対してさえも
「別のもの」とは思っていなかったようです。
そして、「自然」に溶け込んで生きていた。
こうなると、われわれには簡単には
理解できません。
また別の側面から見ると、
われわれは物質偏重の考え方をしているのに対して、
縄文人は
霊性主体で生きていたようです。
目に見えないものが主体であり、
目に見えるものはその目に見えないものが
形になっただけなので、
目に見える物質は重要視されない。
それに対して現代人は
目に見える物質を重視して、
目に見えないものを軽視・無視しようとします。
目に見えないものを重視する人を
バカにしたりします。
当然、うわべだけ、表面的、
軽薄、的外れになりがちです。
本質を見ないからです。
このように何から何まで異なっていると、
なかなか理解できません。
分離思想で
物質偏重で
集団に依存している現代人と、
霊性主体で
万物と一体化していて
個が自立している縄文人。
でも、われわれ日本人は
縄文人の子孫です。
比率は少なくなってしまっていますが、
縄文人のDNAは確実に残っていて、
それがわれわれの根幹をなしています。
こころの奥底には
縄文人が生きています。
覆い被さっている瓦礫を取り去れば、
すぐにも蘇ってくると思われます。
「縄文のこころ」が解放を求めていて、
その圧力が高まっているからです。