敗戦後も植民地解放に尽力した帝国軍人 ② インドネシア編 | “縄文の蘇り”&”ろくでもない世界”との決別

“縄文の蘇り”&”ろくでもない世界”との決別

第一ステップ:戦後の常識の徹底的な破壊(GHQの洗脳解除)
第二ステップ:弥生以降の常識の破壊(大陸思想の廃棄)
第三ステップ:奥底に眠っている縄文人DNAの起動

(『”縄文の蘇り”連続講座第1回』の追加開催について更新しました)

 

 

前回の続編です。

 

 

 

親日国というと遠くではパラオとか

トルコとかフランスなどがありますが、

 

上位には台湾、香港とともに

タイ、マレーシア、ベトナム、シンガポールなどの

 

東南アジア諸国が入ってきます。

 

前大戦で日本が悪いことはしていない証拠であり、

インドネシアもそんな親日国の一つです。

 

 

オランダの植民地で石油資源が豊富だったインドネシアは

大東亜戦争の主要目的地でした。

 

開戦の翌年3月にオランダ領東インド軍が降伏すると、

 

『日本軍は、オランダ植民地政府により軟禁されていた

スカルノやモハマッド・ハッタなどの

 

民族主義運動の活動家を解放し、

その後スカルノやハッタと協力体制を取り、

 

さらにインドネシア人を現地官吏に登用したほか、

「インドネシア」という呼称を公の場で使用することを解禁し、

 

英語やオランダ語ではなく

「インドネシア語」を公用語にした。

 

さらに1943年10月には、日本軍の協力を得て

インドネシア人指揮官がみずから率いる

 

「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、

日本軍政下ではあったものの、

 

インドネシア人はこれまでのオランダ統治下では

決して得ることのできなかった権限を得ることとなった…』

 

(Wikipedia『インドネシア独立戦争』) 

 

 

インドでと同じようにインドネシアでも

自国の軍隊(PETA、ペタ)を作らせています。

 

日本が暫定的に支配権を獲得している時に

自国軍を作らせるということは、

 

植民地支配が目的ではない、

「侵略戦争」ではないことは明らかです。

 

民族主義運動の活動家を解放したのもそうですが、

いずれ独立して自分で国を守ることができるように…。

 

 

しかし2年も経たないうちに日本が降伏してしまいました。

 

降伏の2日後にはすばやく独立を宣言して

スカルノを首班とするインドネシア共和国を成立させましたが、

 

(スカルノ大統領とデヴィ夫人)

 

当然のようにオランダ軍が再び統治しようとやって来ました。

とても対抗できる訳がありません。

 

そこで求められたのが

旧日本軍の将兵と武器です。

 

 

武装解除を待っている間に現地人が武器を奪っていくのを、

日本軍人が見てみぬふりをする形で、

 

独立軍に事実上

武器を譲渡するような例もあったそうです。

 

 

『また、日本の敗戦後、インドネシア側の武装勢力に

身を投じて独立戦争に参加した日本人がいた。

 

彼らが独立戦争に参加した動機はさまざまである。

 

戦前・戦中、日本が大東亜共栄圏、

東亜新秩序を打ち出していたことから、

 

欧米からのインドネシア解放・独立の為に

インドネシアの独立戦争に参加し、

 

インドネシア人と

「共に生き、共に死す」を誓いあった者や、

 

日本に帰国したら戦犯として裁かれることを

恐れたためにインドネシアに残留した者、

 

また日本軍政期に各地で結成された

郷土防衛義勇軍(ペタ)の教官として

 

インドネシア人青年の訓練にあたった者の中には、

その教え子たちに請われて

 

武装組織に参加した者もいる。』

 

(同上) 

 

その数は、15,500人が日本に引き揚げたのに対して、

900人以上だったとのこと。

 

これは半端ない人数です。

東亜共栄圏の思想はニセモノではありません。

 

 

インドネシアは5年間の悪戦苦闘の末、

1950年8月15日に完全に独立しました。

 

この独立戦争における旧日本軍人の貢献については、

戦後のインドネシア政府要人の言葉がよく表しています。

 

『1987年の訪日の際、アラムシャ第三副首相は

日本占領時に創設されたPETAでの人材育成に感謝し、

 

敗戦後もインドネシアに残留し

独立戦争に参加した日本兵らについても語っている。

 

「日本軍の軍政は良かった。…

行政官の教育は徹底したものだった。

 

原田熊吉ジャワ派遣軍司令官の熱烈な応援により、

PETAが創設された。

 

PETAは義勇軍と士官学校を合併したような機関で、

38,000名の将校を養成した。

 

兵補と警察隊も編成され、

猛烈な訓練をしてくれたばかりでなく、

 

インドネシア人が熱望する武器を

すぐに供与してくれた。…

 

(日本が連合軍に)無条件降伏した後も、多数の

有志将校がインドネシアの独立戦争に参加してくれた。…

 

経験豊かでしかも勇猛果敢な日本軍将兵の参加が、

独立戦争を、我々に有利な方向に導いたか

 

計り知れない。

 

数百年来インドネシアに住む、数百万の中国人の大部分は

オランダ側に加担して、

 

インドネシア軍に銃を向けた」。』

 

(同上) 

 

(最後の一文も興味深いですね。華僑などの中国人は

アジア人でありながら、宗主国体制側の存在だったのです)

 

インドネシア独立に尽力した6名の日本人には

国家最高の栄誉「ナラリア勲章(独立名誉勲章)」が

 

授与されています。

 

 

また、欧米からも日本軍の行動は賞賛されています。

 

『「インドネシアと日本軍政」についての研究は

1950年代から欧米諸国ではじめられ、

 

日本軍政がインドネシア社会に

大きな政治的インパクトを与え、

 

現地のナショナリズムを刺激し、

脱植民地化を加速させたとの評価が一般的となった。

 

ジョージ・S・カナヘレは著書

『日本軍政とインドネシア独立』の中で、

 

「日本軍政はインドネシア語の公用化を徹底させたが、

このことを通しインドネシアは国民的自覚の

 

連帯意識を強化せしめることができた」

とし以下のように分析している。

 

「日本軍政はオランダ時代には知らなかった

広い地域の大衆を

 

インドネシアという国家形態に組織した。…

 

日本軍政はジャワ、バリ、スマトラに

現地人による常備軍(ペタ)を設けて訓練した。

 

オランダ復帰に抵抗して闘ったこの革命軍将校と

数万の兵士の組織と訓練、

 

そして日本軍があたえた大量の兵器なしに、

インドネシア革命はあり得なかった」。』

 

(同上) 

 

インドネシアの人たちが今も

大の親日家であるのもうなずけます。

 

 

独立戦争で命を落とした元日本兵は

各地の英雄墓地に葬られ、

 

戦後生き残った元日本兵も

インドネシア国籍を与えられたインドネシア人として、

 

これらの墓地に埋葬される予定だそうです。

 

 

われわれ今を生きる日本人は、

彼らの存在とその尊い義の行動

 

忘れてはいけないと思います。

忘れたりしたら、バチが当たります。

 

 

 

昨年8~9月に開催した『“縄文の蘇り”連続講座』の

第1回を見逃した方からリクエストをいただき、

追加開催することにしました。第1回のテーマは

 

「縄文人から弥生人へ DNA解析等からみた大変化」

「縄文人はどこから来たのか」です。

 

縄文時代については記録が何も残っていない

(ということになっている)ので、

発見された遺跡や遺物を見て

その生活を想像するしかありませんでした。

 

それは極めて主観的な憶測なので、

共通の認識にはなりにくいものでした。

いろいろな説が飛び交うことになりました。

 

しかしそこに、誰もが納得できる

客観的な事実を明らかにしてくれる

学問が現れました。

 

それが今世紀になって飛躍的に進歩している

遺伝子学です。

 

その科学的DNA解析のデータにより

未解決の論点が決着してきましたので、

縄文人と弥生人の違いを明確にします。

 

後半は、その縄文人が

どこから来たのかについて考察します。

 

私はスピ全開の怪しげな人間ですが、

でも糸の切れた凧にはなりたくない、

大地にしっかりとつながることが大事だと考えていますので、

学問的な情報も重視しています。

 

開催日:①2022年2月27日(日)
       ②2022年3月  5日(土) 

開催時刻:13:30~16:00 

開催方法:ZOOMにて 

参加費:無料 

定員:各回8名様