すべての常識をぶち壊す 戦後の清算 | “縄文の蘇り”&”ろくでもない世界”との決別

“縄文の蘇り”&”ろくでもない世界”との決別

第一ステップ:戦後の常識の徹底的な破壊(GHQの洗脳解除)
第二ステップ:弥生以降の常識の破壊(大陸思想の廃棄)
第三ステップ:奥底に眠っている縄文人DNAの起動

最近4回も連続で

先の日米大戦について書きましたがそれは、

 

その敗戦と米軍の占領が

その後の日本人の「常識」を変えてしまい、

 

重大な悪影響を今も及ぼしているからです。

 

その常識は、本来の日本人の価値観を押しつぶした

「弥生以降の常識」の延長線上にあるとは言え、

 

あらぬ方向へと向わせるものだったからです。

 

日本弱体化のさらに先、

日本民族の消滅を目指していたからです。

 

 

戦争末期、日本の敗色濃厚となったとき、

連合国は「無条件降伏」を迫りました。

 

これは相手国を対等と見なしていない、

近代ではあるまじき、

 

異常な要求です。

 

そんな要求をされたら、

最後まで戦おうとするのは当然です。

 

事実、日本軍の中には「一億玉砕」を叫び、

徹底抗戦を主張していた軍人も多くいて、

 

実際に最後の最後まで

戦争を続けていた可能性もありました。

 

米軍も本当はそれを望んでいた

と私は考えています。

 

「無条件降伏を迫る」とは、

そういうことです。

 

「アッツ島玉砕」という実績をすでに残していました。

 

それが一番手っ取り早いし、

確実です。

 

日本人がほとんどいなくなった日本列島に、

他の国から人を移住させてしまえば、

 

本当に「日本という国」はなくなってしまいます。

 

 

ところが意外にも、あり得ない条件を受け入れて

日本は降伏してしまいました。

 

面倒くさいことをしなければならなくなりましたが、

でも、これはこれで

 

やる「楽しみ」もあったかもしれません。

 

なにしろ「無条件」ですから、

やりたい放題です。

 

生殺与奪の権を握っています。

日本人は「まな板の上の鯉」です。

 

好きなように料理できます。

煮てもいいし、焼いてもいい。

 

 

とは言っても世界の目があるので、

あからさまなことはできない。

 

それで各方面で密かにを盛って、

日本人の緩慢な死を図ってきました。

 

そして、その呪いの毒の根幹にあるのが、

日米大戦に対する誤った認識です。

 

自衛の戦争を

「侵略戦争」にねじ曲げ、

 

戦争責任をすべて日本人にかぶせて、

都合の悪い証拠は隠滅を図りました。

 

気づかれることなくその毒を日本国民に注入させる

洗脳システムを作動させました。

 

占領中にその体制を確立し、

独立後もその体制を維持してきて今があります。

 

朝鮮戦争が始まって一部修正があったかもしれませんが、

基本は変わりません。

 

そうやって70年以上、

じわじわと毒が日本人に浸透してきました。

 

 

 

おかげで今の日本人は

半病人の状態と言っていいでしょう。

 

 

しかし、ここにきて一部の日本人が

目覚めてきました。

 

折しも“闇の勢力”はコロナ騒動を起こして

全世界の支配をもくろみ、

 

半ば成功しつつあります。

 

日本人の大多数も

その支配下に入ってしまったようです。

 

彼らは戦後の毒が回ってしまい、

危険を感じ取る力が弱まっているのかもしれません。

 

それに対して一部の目覚めた日本人は、

その毒をはらいのけるだけの

 

自己防衛本能が強い人たちなのかもしれません。

 

呪いの毒を体外に排出するには、

まずは日米大戦の真実を知ることです。

 

それが重要な第一歩です。

 

 

①”闇の勢力”がアメリカを参戦させたかった

②”闇の勢力”がアメリカに日本を挑発させた

③帝国陸軍はアメリカを刺激しない策で活路を見いだした

④しかし内通していた帝国海軍がアメリカを攻撃して台無しにした

⑤結局参戦国はみな”闇の勢力”の策略に乗せられただけ

 

 

その目覚めた日本人が

“闇の勢力”からの魔の手を払いのけ、

 

自立を保つことができるか?

そして日本人の民族性を保持することができるか?

 

一部の日本人を目覚めさせているのは、

日本人の中にあるDNA

 

本来の日本人である

縄文人のDNAであると思われます。

 

もし、“闇の勢力”から身を守ることができた暁には、

「戦後の常識」を清算して健康体となり、

 

縄文の価値観を持った日本人が

蘇っていることになると思います。

 

“弥生の大陸”が沈没して、

“縄文の小島”が浮上する。

 

 

 

日露戦争の勝利が栄光とともに

「慢心」を引き起こしてしまったと考えてきましたが、

 

それは誤りでした。

 

日露戦争は辛勝であり、日本も国力を使い果たし、

戦争を継続するのがむずかしくなっていて、

 

アメリカの仲介で講和に持ち込むことができて

助かったというのが本当のところです。

 

その時はアメリカとイギリスは

日本を助けてくれましたが、

 

その後は対立するようになり、

慢心するような状況ではなかったようです。

 

 

ですが、日中戦争の泥沼にはまり込んでいくときの

日本軍に「慢心」があったことは確かです。

 

それでは何が慢心を引き起こしたのか?

 

それが、

 

満州事変を起こして電光石火に

満蒙問題を解決してしまった

 

石原莞爾たち関東軍の大活躍だったと思います。

 

遠い過去の話ではなく、すぐ近くに実際に展開している

同僚たちの最近の話です。

 

その活躍に刺激されて、

浮ついてしまったのでしょう。

 

「あいつらにできたんだから、

俺たちにだってできるはずだ」と。

 

 

関東軍にあって、彼らになかったもの。それは、

「大義と志」だったのではないでしょうか。

 

そういう根底にある信念の代わりに、彼らにあったのは

「功名心と羨望」だったのではないか。

 

その慢心を敵に突かれて、

ワナにずるずると嵌められてしまったように思います。

 

 

『“縄文の蘇り”連続講座 第二回』 追加開催

開催日時:2021年10月17日(日)13:30~16:00 

開催方法:ZOOMにて 

参加費:無料 

定員:8名様

 

テーマ:「ヤマトタケ尊とホツマツタヱ」

古事記・日本書紀とホツマツタヱの3書を比較して

「日本武尊の実像」と、「ホツマツタヱの真価」を

浮き彫りにします。