前回、「親子の情は絶対的で神聖なもの」
ではない、
ひとつの文化に過ぎないかもしれない、
ということを書きました。
そして、それをもたらしたのが
「結婚制度」ではないかと。
原始時代は
「結婚」はなかったと思います。
縄文時代もそうだった可能性が高いです。
男女を夫婦として固定することなく、
大家族で暮らし、
みんなで子どもを育てていたと思われます。
それが「結婚」して
夫婦が家庭を持つようになると、
それぞれの家庭に分かれていきます。
社会に「分離」が起こります。
家庭が「内」になり、
それ以外が「外」になります。
そうすると、各家庭がそれぞれの人にとっての
「主な世界」になり、
「分け隔て」が起こり、
「自分のモノ」と「他人のモノ」に分かれます。
モノはすべて社会で共有していたのに、
「所有」「私有」が始まります。
格差も生じてきます。
社会をまとめるために権力が生まれ、
争いが生じます。
かつての共同体生活から、
競争社会への変化です。
人間はハダカで生まれてきて、
ハダカで死んでいきます。
この世のモノを持って、
あの世に行くことはできません。
縄文人など古代人はそのことをわかっていたので、
モノに執着はしなかったようです。
あるモノはすべて社会全体のモノで、
「自分のモノ」はなかったからです。
モノよりも、精神的な価値、
霊性に重きを置いていたと思われます。
はかないモノではなく、
永続する精神性にこそ
意味があるからです。
しかし今や、モノをいかにたくさん持つか
が生きる上で重要になりました。
我欲は当然のことで、
争いになります。
無駄な戦いが起こり、
余計な死と破壊を生み、
栄枯盛衰が展開します。
これは「煩悩」であり、
「迷妄」です。
普通なら死ぬときに、
モノを持っていけないことがわかるので、
「煩悩・迷妄」であることに気づくはずですが、
そのモノを息子・娘、孫に残すことに意味を感じるので、
目を覚ますチャンスを失います。
煩悩は永続します。
一族の繁栄を求めます。
こうして弥生以降の長い年月、
煩悩まみれで日本人も生きてきました。
「分離」の社会、
物欲礼賛の生活です。
これも、結婚という「分離」を促す制度・風習が
もたらしたものなのかもしれません。
明治以降の欧米化150年でさらに急加速して、
極端なところに行き着いたのがいま現在です。
この閉塞感のある現状に違和感を抱いている
多くの日本人がいるように感じます。
それは、日本人の心の奥底に今も生きている、
「縄文のこころ」があるからだと考えています。
人はひとりで生まれ、
ひとりで死んでいきます。
ひとりになったときに「孤独」を感じるのは、
「本当のところ人間はいつもひとりである」
ことを悟っていないからです。
家族という「幻想」に生きているからです。
ひとりになったときに寂しさ・心細さを感じるのは
「幻想」に依存し、支えられているからです。
これではいつまでたっても自立できずに、
低次元に留まったままです。
先に進めません。
「ひとりきりであること」に耐えられるようになった時、
その先にある
「すべてはつながっている」
という安心悟りの境地が待っているようです。
私はいま、「破壊」が必要だと思っています。
だからといって、いまの日本社会を
破壊しようとは思いません。
なぜなら、いまの社会は
みずから壊れていくからです。
これまでの常識にとらわれていたら、
この社会で生きるしかないと思っていたら、
壊れる社会に巻き込まれ、
社会と心中することになります。
これまでの固定観念を破壊すれば、
目を覚ますことができます。
いまの常識はほぼ100%、
弥生以降のものです。
すべての常識をぶち壊す必要があります。
来月、オンライン講座を開催します。
講習会は対面でしか考えていなかったのですが、
先日あるZOOMでのワークに参加させていただき、
その良さを実感しました。
会場費がかからないので無料でできるなど、
メリットは大きいです。
講座の内容は、
DNA解析に基づく日本人の成り立ち、
これが土台になります。
縄文人の考え方と大陸人の思想、
古事記・日本書紀とホツマツタヱについて、
弥生から現代までの流れ、
いま現在の状況、
日本人の使命、
人類の起源、などです。
頭の中を一度整理したいと思っていたので
ちょうどいい機会だと思っています。
『“縄文の蘇り”連続講座 第一回』
開催日時:2021年8月28日(土)13:30~15:30
開催方法:ZOOMにて
参加費:無料
定員:8名様 (7/15 23:20現在 残席7)
