やってくれましたね。
「接種直後に会場内で倒れ、救急車で搬送された際は
心肺停止の状態で、病院で死亡が確認された」
これはもう、即死と言っていいでしょう。
それでも、
因果関係不明!
「どんなことがあっても、ワクチンが原因とは一切認めない」
という意思表示です。
大風呂敷を広げた予防接種健康被害救済一時金も
支払わないということです。
(なしのつぶてなのか、こっそり
“解決金”を出して幕引きを図るのか?)
ここまでくれば、もう、
その徹底ぶり(=鉄面皮ぶり)
お見事!
の一言です。
(しょうもないことにも騒いで問題にする野党が
これほど重要なことを取り上げないのが不思議です。
結局、野党も
「同じ穴のムジナ」を証明している!?)
気を取り直して、私が一番好きな人物、
山岡鉄舟について。
山岡鉄舟は
「西郷と江戸無血開城を成し遂げた真の立役者」
ですが、そのことを論証する、
うれしい本が出版されました。
それが
『定説の検証 「江戸無血開城」の真実』です。
“定説”はもちろん、
「勝海舟が西郷と二人で会見した薩摩屋敷での談判で、
官軍による江戸総攻撃は回避された」です。
有名な『氷川清話』などで勝海舟が自分で語った
内容に基づいていて、これが広く知られ、
山岡鉄舟の功績はほとんど知られていません。
著者は、勝海舟が山岡鉄舟から
手柄を横取りしたと言っています。
『明治十四年、明治維新の勲功調査の際、
鉄舟は勝との手柄争いを嫌い、
勲功局に自らの功績の報告書を提出しなかった。
それを聞いた岩倉具視が、
「(功績は)たとへ勝に譲るにしても、
君の事業は事業として不朽に伝へて
国民の亀鑑に資せなくちゃならぬ」と懇望し、
岩倉個人に提出させた報告書が
『談判筆記』である』
(水野靖夫著 星雲社刊
『定説の検証 「江戸無血開城」の真実』62ページ)
岩倉具視は大悪党だという評価が多くて私も
そう思っていましたが、見直しました。
それはともかく、この“定説”が広まったのは
歴史家の怠慢のゆえだと思ってきましたが、
勝の手柄横取りも本当のようです。
若き勝海舟の写真を見ると、
眼光鋭い精悍な顔をしていますが、
晩年の写真を見ると、これが同一人物なのか
というほどの変わりようです。
それでは、山岡鉄舟と西郷との
迫真の談判場面を見てみたいと思います。
鳥羽伏見の戦いで敗れた徳川慶喜は
すばやく江戸に逃げ帰り、
江戸城も抜け出して上野の寛永寺に入って、
恭順の意を表して謹慎していましたが、
勢いづいた官軍は一気に慶喜の首を取らんと、
江戸めがけて進軍を始め、
駿府に着いたとの知らせに
江戸は大混乱に陥っていました。
恭順の意を官軍に伝えるべく、
方々から使者を送っても益なかったので、
慶喜は重臣の高橋泥舟に駿府行きを命じますが、
泥舟が行ってしまうと旗本たちが何を仕出かすかわからないので、
それは取りやめにします。
窮した高橋泥舟が推薦したのが、
当時はただの乱暴者と見られていた、
義弟の下級武士、
山岡鉄太郎(鉄舟)だったのです。
将軍慶喜に面会したとき
慶喜が泣き言を言ったので、鉄太郎は
「何をつまらぬことを仰せられるのですか。
そんな恨み言を言うようでは
本当に心から謹慎しているとは思えません。
表向きばかりを飾って、
ほかに何か企んでおられるのではありませんか」
と、あえて無礼ともいえる質問をし、
慶喜に二心なく心からの恭順であることを確かめています。
とても下っ端の家臣ではあり得ない言葉ですが、
鉄太郎も真剣です。
「本当に心の底から誠心誠意をもって謹慎しておられるのでしたら、
不肖ながら鉄太郎がそれを承った以上は、
必ず朝廷にその事実を徹底するようにして、
ご疑念を氷解させてまいります。
鉄太郎がお引き受けしたからは、私の眼の黒いうちは
決してご心配には及びません」
と言って辞去し、勝海舟に初めて面会し
勝が預かっていた長州藩士を道案内に借りて出立しました。
そして、気合いと気迫で官軍の陣営を通り抜けていき、
西郷のいる陣に到着します。
(大森曹玄著 春秋社刊 『山岡鉄舟』より)
将軍家茂の正室に皇族の和宮が降嫁していて、
平時であればその朝廷ルートでの周旋は
効果抜群だったのでしょうが、
殺気立っていて興奮状態のこの異常事態の時には
取り次ぎを頼んでもダメでした。
取り次ぎなどは期待せず、直接に中枢、
西郷の陣に切り込んでいったのが正解でした。
それを可能にしたのが、剣と禅を修行中の
山岡鉄舟の気合いだったのです。
さて、この新刊は歴史好きにはいいですが、
そうでなければ荷が重いです。
そういう方には鉄舟と西郷との談判の模様を書いた
私のブログ記事で充分だと思います。
④から⑥は読んでいただきたいです。
(その中でも特に、⑤だけでも)
これを見ると、勝海舟が『氷川清話』で、
「江戸城受け渡しも、あのとおり立ち話の間にすんだのさ」
と言った、本当の理由がわかります。
あれほどの重大事が、立ち話の間に済むわけがありません。
最後に、
著者は「おわりに」で次のようにまとめました。
『西郷は明治維新の最大の功労者である・・・
そして最後は江戸総攻撃により、
慶喜の首を取るか身柄を確保して、
江戸城に錦の御旗を掲げる予定であった。
ところが破竹の勢いで猛進してきた西郷は、
最後の最後で壁にぶつかり跳ね返されてしまった。
それは大きく手を広げて行く手を阻む
鉄舟であった。
西郷は余勢を駆って鉄舟を踏み潰して行くこともできたはずだが、
鉄舟の要求で朝命をひっくり返され、
京都まで押し戻されてしまった。
これが武力によってではなく
鉄舟という人間の説得によってである』
(『定説の検証 「江戸無血開城」の真実』374~375ページ)
この本がきっかけとなり、江戸無血開城の真相が
広まってくれるとうれしいです。





