(前回のつづき)
前回、古事記が
日本書紀やホツマツタヱとは大きく異なる点を取り上げましたが、
今度は、ホツマツタヱが
古事記・日本書紀とはさらに大きく異なっている点
があることを見てみます。
前提となる状況・背景がまったく違い、結末は
想像できないようなビックリする展開が待っています。
まずは、ことの起こる背景の違いから。
古事記・日本書紀では、天照大御神が息子(結果的には孫)を
天降りさせようとすると、
下界に服従しない荒ぶる者たちがいて
騒がしくてイヤだと言われたので、
下界を平定するために人を遣わします。
それに対してホツマツタヱでは、
天孫降臨とはまったく関係ありません。
では、ホツマツタヱではなぜ
出雲に軍を差し向けたのかというと、
ソサノヲ(スサノオ)の子で重要な地位にあった
オホナムチ(大己貴神)が、
本家をしのぐ高層の邸宅を建てて、
驕り高ぶるふるまいをしていたので、
その詰問・懲罰のために送られたのです。
オホナムチは初代オオモノヌシでした。
三輪山の神名でもある「オオモノヌシ(大物主)」は
役職名であり、
代々オホナムチの子孫が任じられました。
のちの杵築大社を思わせるものが
最初にもう建っています!
古事記では、国譲りを認める条件として
高い神殿を建ててもらうことになっていますが、
ホツマツタヱでは逆に
事の発端になっています。
「結果」ではなく
「原因」です。
それで、基本的には史実をもとにしている日本書紀には、
神殿を建ててもらう話は出てこなかったのです。
ただ、発端となった高層建築のことも出てきませんがそれは、
前提となる状況を古事記と同じように、
天孫降臨のための
“地ならし”としたからです。
古事記編者たちは、国を譲る条件としての
出雲大社建立の話を作り上げ、
後の天皇の子に出雲大神が祟りをなして
口がきけないようにしたので
実際に出雲大社を築いたなどと、
話としては一貫したストーリーにして、
いかにも真実のように見せかけましたが、
よくもそこまで練り上げたものです。
彼らの深謀遠慮は見事です。
古事記に登場する諏訪のタケミナカタが、
ホツマツタヱにも出てきます。
おおかたホツマツタヱを踏襲している日本書紀ですが、
このタケミナカタだけはなぜか出てこなくて、
代わりに星の神・香香背男(カガセオ)が
最後まで抵抗したとしています。
日本書紀編者の意図もよくわかりません。
諏訪一族からの圧力でもあったのでしょうか。
いよいよ、ホツマツタヱでの
服従を誓ったオホナムチの処遇です。
幽界に去ったのでもなく、
殺されたのでもなく、
懲戒免職となり、
なんと本州の北の果て、
東北・津軽の地に隠棲することになります。
追放と言っていいかもしれません。
アソベという今の岩木山のあたりを本拠地として、
でも元々能力のあるオホナムチは善政をしき、
開拓に励み、国を栄えさせます。
そして、死後には「ウツシクニタマ(顕国魂)」の神
と呼ばれるようになります。
現に津軽国一宮・岩木山神社の主祭神は、
顕国魂神です。
江戸時代に書かれた「岩木山縁起」には、
『おもんみるに、昔、
大己貴尊(一云大国主命、又云大元命)在り、
此の国に降臨す。
子一百八十人あり、ここに於て、
其の高原の妖壌播種百穀を覧て、
子遊内と名づく。』
とあります。
現地にその伝承が残っているのは当然ですね。
さて、オホナムチは東北に移ったので、
オオモノヌシの職は子のクシヒコ、
コトシロヌシという職名でも呼ばれていたクシヒコが、
二代目オオモノヌシとして引き継ぎます。
このコトシロヌシ・二代目オオモノヌシ・クシヒコが
あの天孫・瓊瓊杵尊の右腕となって活躍し、
繁栄をもたらします。
(クシヒコはニニギの兄ホノアカリの葦原中国への赴任のときも
重臣として随行しましたが、
ホノアカリが都を遷してすぐにまた遷都をすると言うので
諫めましたが強行したので、
憤然と職を辞するという信念の人でもあります)
恵比須さまは釣り竿を持ち、鯛をかかえた、
笑顔の縁起のいい神さまですが、これが
クシヒコです。
タケミカヅチたちが服従するかどうか問い詰めに行ったとき、
釣りをしながらニコニコしていたことにちなむようです。

