『ホツマツタヱ連続講座』のなかに
「ホツマツタヱが教える神社の祭神間違い」
というコーナーがありますが、
こちらもご紹介していこうと思います。
今回は、第一回目で取り上げた【上賀茂神社】、
正式には【賀茂別雷神社】(かもわけいかづちじんじゃ)です。
まず、賀茂別雷神社のホームページの説明を見てみます。
『第五十代桓武天皇による平安京遷都以降は、
皇城鎮護の神・山城国一之宮として
歴代の天皇が行幸・奉幣祈願され、
明治時代以降大東亜戦争終戦まで
伊勢の神宮に次いで、全国神社のなかでも
官幣大社の筆頭となりました。』
ということで、高い格式を備えています。
では、その祭神は誰なのか。
ホームページでの神話は以下の通りです。
『太古の昔、神代の時代に遡ること天上で雷鳴が轟き、
一本の丹塗矢[にぬりのや]が降って参りました。
山背國に移り住んだ賀茂一族の姫である賀茂玉依比売命
[カモタマヨリヒメノミコト]が石川の瀬見の小川で身を清めているとき、
川上より流れて来たその丹塗矢を不思議に思い
お持ち帰りになられます。
その矢を丁重に扱われ、床に祀りおやすみになられたところ、
矢に籠もっていた不思議な力によってご懐妊され、
立派な御子をお産みになられました。
お生まれになった神を当初は御子神[みこがみ]と申し上げ、
御子が元服を迎えしとき、祖父であり一族の長である
賀茂建角身命[かもたけつぬみのみこと]が八尋殿を造り、
数多の神々を招き七日七夜の祝宴を催されます。
祝宴の席で賀茂建角身命が御子に対し
「父と思う神に盃をすすましめよ」と申され盃を渡したところ、
御子神は「我が父は天津神」と言って盃を天上に向けて投げ、
甍[いらか]を破って雷鳴とともに天へ昇ってしまわれました。
残された賀茂建角身命、賀茂玉依比売命が
再び御子に会いたいと乞い願っていたある夜、
賀茂玉依比売命の夢枕に御子が顕れ
「吾れに逢はんとは、天羽衣・天羽裳を造り、
火を炬き鉾を捧げ、又走馬を餝り、
奥山の賢木を採りて阿札に立て、
種々の綵色を垂で、また葵楓の蔓を造り、
厳しく餝りて吾を待たば、来む」とのお告げを聞き、
その御神託に従って神迎の祭をしたところ、
立派な成人のお姿となり、
天より神として神山に御降臨されたと伝わっております。
この御子神が当神社の御祭神「賀茂別雷大神」であり、
そこで祭りが始まった事が上賀茂神社の起源であります。』
この物語を読んでどう思われるでしょうか?
丹塗矢から生まれた不思議な神ですが、
特に業績は何もありません。
これで上賀茂神社が「伊勢の神宮に次いで全国神社のなかでも
官幣大社の筆頭」だということが信じられますか?
私にはとても信じられません。
それでは、ホツマツタヱはどうでしょう。
ホツマツタヱでは、別雷神とは、
ニニギノミコトです。
ニニギは京都盆地開発に当たって雷雨の害から民衆を守り、
これを逆に活用するために、
水の神を貴船神社に祀り、
火の神を愛宕神社に祀って自然を治めましたが、
アマテルカミがその「雷を火の神と水の神に分けた」
功績を認めて”ワケイカツチ”の讃え名を授けました。
ニニギノミコトと言えば”皇孫”と呼ばれ、
アマテルカミから三種の神器を授けてもらって最初に天降り、
数々の功績を上げた天孫降臨の神です。
これなら、「伊勢神宮に次ぐ官幣大社の筆頭」であるのは
当然のことと言えます。
神社の祭神間違いはいろいろありますが、
この上賀茂神社の場合が一番甚だしいと感じます。
ニニギノミコトと訳のわからない神。
あまりにも落差が大きい。大きすぎる。
なぜこんなことが起きたのか、ずっと不思議に思ってきましたが、
最近その真相を突きとめたように思います。
これは次回の下鴨神社のあとで、
いっしょに考察したいと思います。
3/21(土)開催の『ホツマツタヱ連続講座』第三回のテーマは
「ニギハヤヒ」。
神社参拝は「明治神宮」、祭神間違いは「宗像大社」です。
こちら ⇒ 第三回『ホツマツタヱ連続講座』のご案内
