『ホツマツタヱ』と古事記・日本書紀 | “縄文の蘇り”&”ろくでもない世界”の粉砕

“縄文の蘇り”&”ろくでもない世界”の粉砕

第一ステップ:戦後の常識の徹底的な破壊(GHQの洗脳解除)
第二ステップ:弥生以降の常識の破壊(大陸思想の廃棄)
第三ステップ:奥底に眠っている縄文人DNAの起動

『ホツマツタヱ』について書いてきましたが、

古事記や日本書紀との位置関係を

明らかにしたいと思います。

 

 

『古事記』は712年に編纂され、

『日本書紀』は720年に完成しました。

 

これまでの定説によると、

日本で最初の国史編纂は、

 

聖徳太子によって、620年頃に完成した

『天皇記』『国記』だったということです。

 

古事記・日本書紀の約100年前です。

 

 

それが、大化の改新のきっかけとなる

中大兄皇子が蘇我入鹿を暗殺した事件により

 

その混乱のなかで、天皇記も国記も

失われてしまいました。

 

 

それで、その後を継いだ天武天皇が

編纂を命じてできたのが、

 

『帝紀』『旧辞』で、680年頃ですから

古事記・日本書紀の30~40年前です。

 

帝紀と旧辞も今はありませんが、これを一番に

参考にしながら古事記・日本書紀がまとめられたようです。

 

 

いずれにしても、古事記・日本書紀が完成する

100年くらい前からの出来事というのが定説でした。

 

 

これに対して、『ホツマツタヱ』は126年頃に

献上されていますので、

 

古事記・日本書紀の600年近くも前のものです。

聖徳太子が編纂する500年も前のことです。

 

 

その間に、時代はすっかり変わりました。

朝廷では中国の律令制を取り入れて、

 

政治の仕組みを作りかえ、漢字を採用して

文化も中国風が主流になっていました。

 

仏教も、反対派を滅ぼして

導入されました。

 

 

天皇家に大きな異変があった

のかもしれません。

 

それに伴って、重臣たちも

方針転換をした?

 

それとも、重臣となる氏族の勢力争いの

影響を受けて、それに引きずられて

 

天皇の施政が変わったのかもしれません。

 

 

先祖からの、旧来からの伝承は

敬遠され、無視され、抑圧された

 

可能性が考えられます。

 

 

それで、 『ホツマツタヱ』は地下にもぐって

ひっそりと伝承され続けてきました。

 

2000年もの長きにわたって!

 

それが二十世紀になって、

表に出てきたのですから、これは、

 

奇跡と言ってもいいでしょう。

 

 

『ホツマツタヱ勉強会』を開催しています。

 

10月12日(土)に名古屋

10月26日(土)に福岡

12月6日(金)に大阪

 

詳細とお申込みは以下のURLをご覧ください。

 

https://ameblo.jp/gerbera-it/entry-12530628588.html