雲黒斎さんの守護霊さんは次のように言いました。
「世界にはおまえしか存在していない。
世界のすべてはおまえなんだ。」
これをわかりやすくするために、
たとえを使って説明を試みています。
『まず、「あの世」にはおまえの魂の大本
(大きな自分)がある。
これを「黒い粘土」だとしよう。
この黒い粘土の目標は、
自分の魂を漂白し
「白い粘土」になること。
ただし、あの世で魂の漂白の作業を行うのは
とても大変なことなんだ。
魂は、あの世にいるより、
この世にいたほうが漂白の効率がいいんだよ。
本当は一気に漂白したいところなんだが、
あの世にはこの「漂白したがっている黒い粘土」が
たくさんいてね、
順番待ちが起きているんだ。
私だけが「じゃあ、お先に!」
ってわけにはいかなくてね。
生まれることができる魂に
限りが出てしまうんだよ。
そこで、「あの世」にいる黒い粘土は、
自分の一つまみ(小さな自分)だけを
この世に送るんだ。
この一つまみの粘土の使命は、
その生涯をかけてできるだけ
自分を漂白すること。
そして、その粘土がその役目を終えると、
あの世の大きな粘土のもとへ帰ってくる。
そうすることで大きな粘土はやっと
「黒」から「グレー」になることができる。
そして、この作業(転生)を延々と繰り返し、
大きな粘土はどんどん白くなっていくんだよ。』
(~雲黒斎著 サンマーク出版刊
『あの世に聞いた、この世の仕組み』より~)
「自分」という魂の存在は、
あの世の「大本の魂」のほんの一つまみで、
この世に送り込まれてきますが、
死んでこの世を去ると、
あの世でまたその「大本の魂」に戻る。
そして、あの世には
その「大本の魂」が一つあるだけ。
だから、
「世界にはおまえしか存在していない。
世界のすべてはおまえなんだ。」
なんだか、わかるような気がしませんか?
あの世の「大本の魂」から
出たり入ったりを繰り返している。
あの世から見たら、すべては一つ。
この世で別々なのは、一時的なこと。
「あの世」が実体で、
「この世」は仮の姿だと言います。
「あの世」が全体で、
「この世」はその一部のようです
「あの世」が通常の世界で、
「この世」は特殊な世界なのかもしれません。
「あの世」が目覚めている状態で、
「この世」では夢を見ているのかもしれません。
「あの世」が実体なら、
「あの世」の視点が本物で、
「この世」の視点は迷いです。
「あの世」の視点が「悟り」
と言えるでしょう。
「この世」の視点は、それでいくと、
「迷妄」なのでしょう。
人間は気がついたときには、
「迷妄」の中をさまよっています。
それが誰しもの必然でしょう。
それが人間の「運命」なのかもしれません。
死んで「あの世」に行けばわかるでしょうが、
生きて「この世」で「悟る」ことができたら、
これは素晴らしいことですね!