日本軍の「主体的な」影の実力者 | “縄文の蘇り”&”ろくでもない世界”との決別

“縄文の蘇り”&”ろくでもない世界”との決別

第一ステップ:戦後の常識の徹底的な破壊(GHQの洗脳解除)
第二ステップ:弥生以降の常識の破壊(大陸思想の廃棄)
第三ステップ:奥底に眠っている縄文人DNAの起動

戦時中フィリピン戦線に従軍し、

杜撰な戦争計画の犠牲となり、

 

身をもってその極限の悲惨さを

体験し記録に残した山本七平が

 

帝国陸軍を分析した書のなかで

「主体性」に富んだ人物を描いています。

 

 

『昼食の時間が来た。

閣下たちは三々五々、歩いてきた。

 

だがその日には、いつもと違った

一人の新顔が見えた。

 

その人は、米軍のジャングル戦用

迷彩服を着ており、それが奇妙に

よく似合った。

 

彼は、あたかも収容所も鉄柵も

軽蔑するかの如く傲然と見下し、

 

それらの一切を無視するかの如く、

堂々と歩いてくる。

 

その態度は、終戦前の帝国軍人の

それと、寸分違わなかった。

 

丸い眼鏡、丸刈りの頭、

ぐっとひいた顎、ちょっと突き出た、

つっかかるような口元、

体中にみなぎる一種の緊張感、

 

「彼だな」

私はすぐに気づいた。

 

それは第十四方面軍参謀長

武藤章中将その人であった。』

 

 

 

『すべてを剥奪されて収容所に入れられても、

他の将官とは全く違う、

 

彼のもつ一種異様の威圧感。

 

数年前、戦前長いあいだ

陸軍省づめをしていた老記者に、

 

この不思議な威圧感の話をしたところ、

その人は深くうなずきながら

さまざまな「武藤伝説」を語ってくれた。

 

一佐官だった彼に威圧されて

将官があわてて敬礼してしまったこと。

 

彼の上級者が、私をクビにするのは

この男だろうと言ったこと等々から、

 

一にらみで雀が落ちたとか、

彼が歩けば自然に人が道をあけた

とかいった他愛のないものまで、

 

そのすべては、彼が、

そのとき私が受けた印象通りの

人物であることを物語っていた。』

 

(~山本七平著 朝日新聞社刊

 『一下級将校の見た帝国陸軍』より~)

 

 

著者の言う「威圧感」が

ひしひしと伝わってきますね。

 

この重量感、

この威圧感はいったいどこからくるのか?

 

 

 

ところで、帝国陸軍では、

指揮官が命令を下しても、

 

実際に命令を決定したのは

もっと下位にいる別の実力者で、

 

指揮官はただの「代読者」

にすぎないことがあったそうです。

 

その実力者が実際は

内部を支配し動かしていた。

 

 

 

戦前、陸軍が議会を無力化し、

日本国の実権を握ってしまい、

戦争に引きずり込んでいきましたが、

 

その決断をし、実行に移したのが

東条英機以下などではなく、

 

当時軍務局長だった影の実力者、

武藤章だったと断定していますが、

 

あの威圧感を見ると、

むべなるかなと納得できます。

 

 

 

彼こそ「主体性」の権化です。

100%自分の世界に生きています。

 

他の軍人が敗戦になったら

とたんにみじめな姿をさらしたのに、

 

彼は収容所に入れられても

変わらずに超然としています。

 

そういった点では、

本物の人間と言っていいでしょう。

 

ことの是非は別にして、

あの威圧感を持てたら凄いことです。

 

すべての人が自からの意思で

従わざるを得ないように促し、

 

まわりの状況を自分の思うとおりに

引きずっていくことになります。

 

まわりを引きずっていっても心の負担を

感じないだけの力があるということですね。