現世に生きることは無価値? | “縄文の蘇り”&”ろくでもない世界”との決別

“縄文の蘇り”&”ろくでもない世界”との決別

第一ステップ:戦後の常識の徹底的な破壊(GHQの洗脳解除)
第二ステップ:弥生以降の常識の破壊(大陸思想の廃棄)
第三ステップ:奥底に眠っている縄文人DNAの起動

-* 「言葉」は心をつくり、人を生かす *-

 

多くの人が言うように、本当は

 

この世は仮のもので、あの世が実は本物。

 

あの世が「本体」であり、

この世はその「陰影」にすぎない。

 

あの世のものが「実」であり、

この世のものは「幻」にすぎない。

 

であるように私も認識しています。

 

生命というのは、

あの世に永続的に存在するのだが、

ときどきこの世に出てきて過ごし、

またあの世に帰る。

 

輪廻転生をする。

これを永遠に繰り返す。

 

この世の人生はあっという間に過ぎ、

人はすぐに死んで消えてしまう、

はかなく、もろいもの。

 

だから、この世に生きることは

価値がない、

と言う人がいますが、

ほんとうにそうでしょうか?

 

私は逆に、

短いからこそ価値がある

と思います。

 

あの世の霊界では、

精神レベルによって

分けられているようです。

 

同じレベルの人たちが

集まって住んでいるそうです。

 

死んでみなければ

本当かどうかはわかりませんが。

 

それだと変なヤツが紛れ込むことは

ないので、秩序は保たれます。

 

イヤなことは起こらないかもしれませんが、

面白みはないと思います。

 

それに対して、ときどき降りてくる

この世は、いろんな人間が

入り乱れています。

 

いろいろなレベルの人間が

すぐそばで生きていて、

つき合わなければなりません。

 

高い精神性で生きている人もいれば、

極悪非道の人間もいます。

 

ときには理不尽な目に合うこともあり、

地獄の苦しみを味わうかもしれません。

 

でも、だから面白いのだと思います。

 

悲しみがあるから、喜びがある。

苦しみがあるから、楽しみがある。

 

山があるから、谷がある。

山が高ければ、谷もまた深い。

 

試練があるから、人は向上する。

乱世があるから、英雄が出現する。

 

悪い奴がいるから、偉人が際立つ。

 

違うレベルの人と接するから、

変化のきっかけを得られる

こともある。

 

この世に生まれてくるのは、

たくさんの経験をするため。

 

たくさん経験して、

心を大きくするため。

 

それには人生は短すぎる。

だから価値が高い。

 

時間を無駄にするのは、

短い、貴重な時間を削ること。

 

あっという間に人生は過ぎていく。

時間は取り戻せない。

 

人の時間を奪うヤツには

心底怒りをぶつけるべきです。

 

こんなにかけがえのない

貴重な時間を、

 

世間体を気にして生きるなんて

なんとバカバカしいことか!

 

と思います。

これまでの自分がそうだったので。

 

自分のやりたいことをやって

暴れまくる、これが人の道、

 

でいいと思っています。

 

これでは秩序が乱れる?

秩序のために自分を抑えるべき?

 

心配することはないと思います。

 

自分の人生を謳歌するには

利己主義ではうまくいきません。

 

それに、

 

世界の本質は、自他の区別のない

ひとつに融合したもののようです。

 

他人の幸せが、自分の幸せ。

自分の成功が、他人の成功。

 

元は同じひとつのものが、

一時的に分かれているだけ

のようです。

 

ということで、現世に生きることは

プライスレスの、お金では買えない

もの凄い価値があると思います。

 

これを最大限に活用しないと

 

もったいない!!