人はそれぞれ別世界に生きている(ミユさん) | “縄文の蘇り”&”ろくでもない世界”との決別

“縄文の蘇り”&”ろくでもない世界”との決別

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第二ステップ:弥生以降の常識の破壊(大陸思想の廃棄)
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-* 「言葉」は心をつくり、人を生かす *-

 

 

最近、noteに掲載された『自伝』

という文章を読み、

ハマってしまいました。

 

https://note.mu/michiemiyu/m/m65c055184679

 

それを書いたミユさんの

波乱万丈の人生には、実は

裏にもう一つの物語があり、

 

その『裏自伝「傷」』という

有料の文章も一気に

読んでしまいました。

 

こちらも吸い込まれてしまいそうな

深~いストーリーの連続ですが、

 

世界観にも関わる哲学的な言葉が

印象に残ったのでご紹介します。

 

心残りな別れ方をした元カレ、

その後そのことを思い続けて

ようやく14年ぶりに再会して、

見事な肩透かしを食らった場面。

 

 

『彼は本当に何億光年も

離れたところにいたのです。

 

最初からそうだったのかもしれない。

 

実はわたしたちは、

互いに完全に自分の世界に入っていて、

勝手な思い込みの中で、

 

たまたま同時にお互いを

その世界の登場人物として

扱いあっただけなのだ。

 

恋とはそういうものなのだ。

勝手な片思いがそれぞれにあるだけなのだ。

 

人は延々とひとりなのだ。

自分の創造の中に生きているのだ・・・・』

 

 

『わたしは誰かと分かり合うということを

この時から良い意味で放棄しました。

 

そもそもそんなことは不可能だったのだ。

別々の人が同じことを感じるということは

不可能なのだ。

 

人間ひとりひとりの持つ価値観、

優先順位というのは、

指紋のように異なっているのだ。

 

たとえ同じことを感じたとしても、

それをどうやって確認し合えるだろう。

 

たとえ確認し合えたとしたって、

それがなんだというのだろう。

 

わたしが求めていたのは、

分かり合うことなどではなかったのだ。

考えてみりゃそんなことはクソくらえだ。』

 

(~ミユ著 note 『裏自伝「傷」』より~)

 

 

恋に限らず、人間というのは、

人それぞれ別の世界に生きている。

 

同じ場面、同じ空間に、

たまたまいっしょにいたとしても、

生きている世界は別々なのだ。

 

人は延々とひとりなのだ。

自分の創造の中に生きているのだ・・・。

 

これは、量子力学で言っていることと

同じです。

 

「遅延選択の実験」というのがあり、

何億光年も離れた天体を

地球の人間が観測すると、

その天体は観測者の影響を受けて

変化してしまうそうです。

 

過去である天体が、

未来の地球人によって

変化してしまうって

おかしなことです。

 

見られるたびに変わってしまったら

何が真実なのかわかりません。

 

確定しないままで、

変動しつづけるのでしょうか?

 

これを解決する解釈が、

変わったのは見た人の世界だけで

起ったことであり、

他の人にとっては何も変わっていない

ということです。

 

その天体自体は何も変わっていなくて、

変わったのは見た人にとってだけ。

 

人はそれぞれ、別々の世界を持って、

別々に生きている。

 

別の世界の人やモノと接触しながら。

 

人は皆、孤独に生きるということです。

死ぬときはひとりですものね。

 

それでは寂しいと思うかもしれませんが、

自分の中に生きる糧はあるものです。

 

自分の外に光と熱を求めると、

その太陽に依存してしまいます。

宗教団体ができてしまいます。

 

ひとり一人が自分の太陽を持てば

いいのだと思います。