個人崇拝の最たるものが
「宗教」でしょう。
『多くの仏教徒は「さとり」とは
ブッダのためのものであり、
「自分たちには畏れ多いものだ」と
感じています。
少なくとも「あの世」に行くまでは
「さとる」ことなど無理だと
考えてしまっているものです』
(エックハルト・トール 『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』)
ここに自己疎外の心理がよく表されています。
「自分たちには畏れ多い」
「あの世に行くまではさとることなど無理だ」
と考える。
ここには「対等」という
考え方はありません。
この人生では、死ぬまで
追いつけない、と考える。
その人との差を自覚することは
いいでしょう。尊敬することも
尊いことです。
しかし、生きている間には追いつけない、
崇めるだけの「別次元の人」では、
自分はただの、受け取るだけの
従属者になってしまいます。
それもこれもひとえに、
「価値あるものが、自分の中ではなく、
自分の外にある」という意識・認識・想念
を持っているからです。
自分に対する
「無価値感」が
すべての元凶なのです。