「物質的意識」・「人格」 | “縄文の蘇り”&”ろくでもない世界”との決別

“縄文の蘇り”&”ろくでもない世界”との決別

第一ステップ:戦後の常識の徹底的な破壊(GHQの洗脳解除)
第二ステップ:弥生以降の常識の破壊(大陸思想の廃棄)
第三ステップ:奥底に眠っている縄文人DNAの起動

前回は、「心」のはたらきについての、ビリー・マイヤーの捉え方をお伝えしました。


「心」は、内部に潜んでいる「本当の自分」から発していて、


現実に活動している「物質的意識」・「人格」にはたらきかけようとする意識で、


「本当の自分」と「物質的意識」・「人格」の仲介役を果たしている、ということでした。



今回は、「心」がはたらきかけようとしている「物質的意識」・「人格」を、


どう捉えているか見てみたいと思います。



人間の生きる意味は、「本当の自分」のなかにある


創造する生命エネルギーを発揮することであり、


そのためには、現実の世界で表わす具体的な存在が必要であり、


それが「物質的意識」・「人格」である、としています。


創造的生命エネルギーを表現するための手段だと言えると思います。



ところが現代は、創造的生命エネルギーから切り離されてしまい、


手段であるはずの「物質的意識」・「人格」が、自己目的と化し、


迷走し、暴走しているとしています。


利己的になり、独善的になり、傲慢になっているが、


創造的生命エネルギーから切り離されているので不安であり、


欠乏感があり、不調和になり、病気になり、


自己嫌悪に陥り、焦燥感にさいなまれ、


方向を変えて外部に攻撃的になり、破壊的になる場合もあり、


喜びのない、不毛な生活を送っている。


「本当の自分」という生命の源泉から切り離されて、


その替わりを外部に求めるようになり、


社会的な名誉を求めたり、金銭的な成功にのみ邁進したり、


あるいは宗教に救いを求めて従属的な生活を送ったりしているが、


いつまでたっても満たされることがない。


本来の源泉から引き離されているからです。



「このような物質的意識は、もはや霊や心、


つまり人間の内なる高度な自己の存在を認識できない状態になっている。


その理由は、・・・ 物質的意識、すなわち人間の人格が唯物化し、


物質的身体で感じ、手で触り、鼻で嗅ぎ、舌で味わい、


目や耳で見たり聞いたりできるものだけしか


受け入れることができなくなるからだ。


・・・ そのため物質的意識は、


いわば長期的に自らへその緒を切断することになる。


それによって生命に欠くことのできない栄養と、


それに劣らず生命に欠くことのできない飲料を失うことになる」

(ビリー・マイヤー著 『瞑想入門』)



生命に欠くことのできない栄養、


それが「本当の自分」のなかにある創造的生命エネルギーであり、


それに回帰する必要がありそうです。




瞑想入門 ビリー・マイヤー